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リントヴルムの魔法紡ぎ  作者: 小津 カヲル
六章 故郷へ

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64 リントヴルムへ

 ハーディが力を失いホロラル川との同化を解くことで、私たちと領兵を率いるオーベルス卿たちは別たれた。

 雨のように降る水が引いたあと、川は地面を流れる本来の姿に戻っていた。

 しかし川の水は既に増水していて、ホロラル橋は川の中に沈んでいた。卿たちが無事に向こう岸まで戻れたか心配していると、騎士の一人が私に言った。


「大丈夫そうだ、全員の無事を確認したと卿が言っている」


 彼は確か、風魔法でリイナを引き上げるのに手を貸してくれた人だ。

 風魔法というと、遠く離れた人に音を受け渡しができる。向こう岸の会話を聞き取っていたのだろう。そう思っていると。


「俺は攻撃に特化しているから、僅かにあの距離を拾うのが精一杯なんだ。向こうに届けることはできなくて、ごめんね」


 そう、謝られてしまった。

 私は首を横に振り、無事を確認できただけで充分だと告げる。


「……ああそれから、町の人たちも大丈夫そうだ」


 それを聞いてホッとする。騒動の中でも、町の人たちの姿が見えなかったことが疑問だった。いったいどこに隠れていたのかと思っていたのだけれど、落ち着いた今ようやくラルフが説明してくれた。


「民家の扉がすべて、氷で固められていた。自分たちの邪魔をされないよう、扉や窓を凍らせて閉じ込めていたのだろう。家の外に出ていた者たちが寺院に集められていたと、領兵たちが言っていたのが耳に入った」

「そうだったんだ……」

「ああ皆、助け出されたようだな」


 そう言われて目を凝らすと、町に人影が増えているようだった。

 町の人々に被害がなかったことは、不幸中の幸いだ。

 少年たちのことを思うと、少しでも罪を重ねないでいてくれたらと願う。そうでなかったら、私の腕の中でぐったりと意識を失ったままのリイナも哀しむだろう。

 そんな風に眺めていると、人々の中から川岸に向かって走ってくる影が見えた。その明るい髪色からすぐにクリスチーナさんだと分かり、私は窓から身を乗り出して手を振った。


「良かった、クリスチーナさんたちも無事みたい」


 コンファーロ商会の人たちやシュウさんも追いつき、揃って私たちへと手を振ってくれている。


「まて、オーベルス卿が、こちらに向かってまだ何か言っているようだ」


 ラルフの言葉に視線を移すと、卿が川岸に立ってこちらを見ていた。風使いの魔法騎士が、しばらく卿の言葉を拾おうと集中した後に言った。


「……捕まえた者たちを尋問し、背後関係を調べる。その知り得た情報を、なるべく早くリントヴルムに届けるよう手配してくれると言っている。あと、リーゼロッテに……」


 私?

 振りかえった私に、騎士は微笑みながら言った。


「どうか何があっても無事で……己の身の安全を優先しなさいと」


 私はそれを聞いて胸がぎゅっと熱くなり、窓の外をもう一度見る。

 ここからじゃ伝わらないかもしれないけれど、手を振るオーベルス卿に向けて何度も頷く。どうか卿も……伯父様も無事で。そしてありがとうございます。

 王都グラナートの混乱を思えば、彼らの協力も容易いものではないだろうことは、私でも分かる。

 助けてくれた卿と領兵たちが無事に戻れますように。

 祈るような気持ちを抱きつつ、私たちの馬車はリントヴルムに向けて出発したのだった。



 ヴィンスの町を最後に、街道は深い山道へと変わった。分かれ道などない一本道が続き、深い谷間と崖を避けて進む道は、つづれ織りのように続く。 

 御者は交替し、ラルフも馬車の中に戻ってきていた。後部座席には休息をとる二人の騎士。五人の騎士たちが乗っていた馬のうち三頭は、いつの間にか馬車の後ろに繋がれていて、残る二頭に騎士が乗って、馬車の前後を警護してくれている。

 私の座席の背もたれにはヤタが陣取り、少々お疲れなのか目を閉じてうつらうつらしていた。そんなヤタのすぐ隣の柱には、小さなカップがくくりつけられている。その中には、小さくなったハーディが入っている。ホロラル川と同化したハーディは力尽きて、親指大に縮んでしまった。そんなハーディをヤタは咥えて戻ってきてくれた。

 ふたりとも、本当にお疲れ様。ゆっくり休んでね。

 そう声をかけた私はというと、ストールに包まれたまま意識を取り戻さない少女を抱えている。

 リイナ──。

 あなたの名前はリイナなのね。

 どうして魔法使いとなってホロラル橋にやってきたの?

 問うこともできずに、ただ苦しげに瞼を閉じる少女を、抱きしめる。そんな私たちを、ラルフとヤタが心配そうに見守っている。


「きっと大丈夫、ぐっすり眠ったら目を覚ますわ」


 癒やしの力を持つ魔法騎士でさえ、リイナには触れることができなかった。

 だからストールを外さないように気をつけながら、私がリイナの体を清めた。かなり長い間、氷の中に居たはずなのに、リイナの体はさほど冷えてはいなかった。とはいえ塗れたままでは風邪をひいてしまう。茶色の髪を布で拭いている間に、彼女の服をラルフたちに乾かしてもらって着せた。


「……本当に、その子の体に紋章は見当たらなかったのか」


 改めて私に問うラルフに、私は頷く。

 着替えのついでに、例の魔力増幅の紋章が刻まれていないか確認したのだけれど、リイナの体のどこにも紋章のようなものは見当たらなかった。

 そうなると、あの凄まじい魔法はリイナ自身の力だということになる。

 エンデの市で出会った時には、そんな風には見えなかった。ならばその後に、魔法使いに目覚めたってことなの?


「稀に、突発的な大量魔素に触発されて魔力に目覚めることがある。条件は体が成長しきる前、第二次性徴期を終えてない子供に限定されるが……」


 ラルフの言葉にエンデで起きた事件を思い出して、ハッとする。

 あの、鼠のアバタールに市が襲われた時……彼女は鼠と接触していた。それのせい?


「実は、子供の一人が魔力の暴発覚醒を起こして寺院が対応に入ったと、報告は受けていた」

「暴発、覚醒……?」

「ああ、慣れない覚醒にはよく暴発を伴う。制御方法を習ってないのだから当然だ。幸いにして怪我人などは出なかったと聞いている、だがその子供の処遇についてだが……」


 魔法使いについて知識が乏しい私は、彼の言いたいことがいまいち理解しきれず聞き返したのだけれど、ラルフだけじゃなく他の騎士たちの顔色が曇る。


「エンデに住む両親が、養育を放棄したらしい……」

「……え?」


 私は言葉を失ってラルフと腕の中のリイナを見比べる。


「エンデは貧しい者が多い。そうした環境の親から、魔法使いが生まれるのは稀なんだ」


 そういえば、ラルフのお祖父さまからも聞かされた。魔法使いはその力ゆえに権力を持ち、貴族家となった。だからその名残で、身分の高い家から輩出される確率が高いのだと。

 今でこそ魔力によって身を滅ぼすラルフや私の父さんのような存在によって、魔法使いである素質を望む家は少なくなったとはいえ、その偏りは解消されていない。

 だから突如娘に能力が目覚めたとしても、エンデに住むリイナの両親が困惑しただろうことは想像に難くない。

 でも、だからといって……。


「その子供が寺院に身を寄せたことは聞いていた。だがまさか……」


 言葉を切るラルフだったけれど、彼の言いたいことは私にも分かる。

 どうしてこんな年端もいかない少女を、利用したの……レギオン先生。あんなに慕われていたのに。リイナだけじゃない、川向こうに残してきた少年もだ。彼には紋章まで刻まれていた。どうしてあんな危険なことを……何故。

 そんな問いを連ねても、今ここで答えを得ることはできない。知っているのは、リイナたち当人か、彼女たちを使った者。

 沈黙が続く馬車の中、その答えを知っているであろうリイナが目覚めるのを、私たちはただ待つしかなかった。



 山間のあまり人が使わない街道とはいえ、所々に休憩所が設けられている。

 私たちは日が陰る前に休憩所に入り、暖を取ることになった。

 いまだ触れられない騎士たちが簡易の担架を用意してくれて、リイナを休憩所の中に運び入れてくれた。そこで栄養のある蜂蜜入りスープを作り、スプーンですくってリイナに飲ませる。咽せないよう注意を払いながら口に含ませると、リイナは少しだけれど呑み込んでくれた。

 生きようとする本能が、彼女にはしっかりと残っていると分かっただけで、嬉しかった。きっと、もう少ししたら目を覚ましてくれるに違いない。

 ほっと息をついていると、ヤタを肩に乗せて食事を持ったラルフが来て私の前にしゃがむ。


「リズ、しばらくヤタに任せて休憩しよう。このままではその者が目覚めるより先に、リズが倒れる」


 そう言うと、ヤタがラルフの肩からリイナの側へと舞い降りる。

 ヤタはリイナに触れることができる。額にある黒い魔石のせいだろうか……。


「魔力の反発は、本人が目覚めれば収まる可能性が高い。だから」


 差し出された食事の器を受け取り、頷く。


「ありがとう、ラルフ……そうよね、リイナが目覚めて最初に見る顔がラルフだと、きっと驚いてしまうわ」


 そう言うと、ラルフは横を向いて舌打ちをした。

 人を突き放すような乱暴な口調に毒舌、舌打ちで隠さない苛立ちから冷たい印象を与えがちだけれど、誰よりも多くのことを背負おうとする優しい人。ラルフの決断はいつだって誰かのため。エンデの町を焼いたのはラルフだけれど、それはリイナたちを守るためだったって……分かってもらえたらいいな。

 リイナから少し離れた場所に移動して、壁に背を預けて座った。ラルフも心配そうな顔をしながら、私の隣に座る。

 監視をされているなかで、私はゆっくりと、スープを口に運んだ。

 色々なことが続いて、まだ体が緊張している気がする。そんな体のこわばりを、温かいスープがほぐしてくれるようだった。

 たくさんは食べられなかったけれど、満たされて瞼が重くなる。

 ずっと黙ったまま横にいてくれたラルフの肩に、頭を寄せた。


「今は、何も考えなくていい……おやすみ、リズ」


 優しい声が瞼の後押しをしたようで、そのまま私は眠りについていた。




 ──母さん、それはなあに?

 幼い私が覗き込むのは、針仕事に夢中の母の手元。頼まれ仕事での繕いとは違う、上質な布に鮮やかな糸での緻密な刺繍。

 大人の女性としては普通の域だと思っていた母の腕前が、もしかしたら凄いのではないかと思ったのは、この時だった。

 母さんが箱に入れてしまっていた大事な糸を使っていることに気づき、私にも触らせて欲しくて手を伸ばした時。


「駄目よ、リズ。これだけは一針も外してはならないの」


 駄目とは言いつつも、申し訳なさそうに微笑む母さん。それでも目の前で造りあげられる絵画のような刺繍に目を奪われていると。


「リズ、この花は知っているかしら?」

「うん、父さんがお薬にしてる」

「お薬は実の方ね。蔦を周囲の木にからませて、どんな嵐がきても倒れたりしない丈夫なの。こんなに可憐は花をつけるのにね」

「これは嵐?」


 うねる海原のような青と緑は、草原だと説明された。

 いくつもの渦をつくって揺れる葉が、風の流れを表していた。


「嵐は怖いわ、なくなればいいのに」


 リントヴルム山から吹き下ろす大風は、時折村に被害を及ぼす。

 けれども母さんは笑って、私に諭すように言った。


「風がなければ、悪いものは留まり、良いものはやってこないわリズ。すべては流れて巡るのよ」


 その時の幼い私には、母さんの言っている意味があまりよく分かっていなかった。

 でも心にすごく残っていて……。

 だから最初のラルフへの刺繍柄を、風車に見立てたヴィオラにしたんだ。


 目が覚めて目の前にあるストールに、手を伸ばす。

 隣に寝かされているリイナを包むストールには、幾つもの渦を巻く草原とテッセンの花が散っていた。


 ──母さん。


 朝日が差す中、愛おしくて、眩しかった。


「……お姉ちゃん?」


 小さな声が、もぞもぞと動くストールの中から聞こえたのだった。


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