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リントヴルムの魔法紡ぎ  作者: 小津 カヲル
六章 故郷へ

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63 ハーディ

 蒸気が勢いよく吹き出し、呑み込まれるように沈んでいった楔が圧倒的熱量をもって氷塊を溶かしていく。

 最初の氷塊が落ちて大きく上がった水しぶきは、橋に到る街道を濡らした。刻一刻と水量を増す川に、再び大きな塊を落とすことを避けるつもりだろうか。二度目の楔は一度目よりもたくさんの蒸気を上げながら、氷を溶かし崩していく。

 その熱を操作するのはラルフなのは明白で、御者台で立つ彼の面持ちは真剣な面持ちで、その額には汗が滲んでいる。


「ラルフェルト、無理をするな!」


 手綱を握っていた騎士が叫びながらラルフの腕を引くけれど、ラルフは同僚の制止には微動だにせず、魔法を展開し続ける。

 圧倒的な魔力を持つ者の責任。

 淡々とそんな言葉で片付けているけれど、ラルフは優しい。きっと少年の声を、彼は無視できない。だからやり方を変えたのかもしれないと思うと、私は無意識に組んでいた両手に力を込める。

 ラルフの力になりたい。けれども今は祈ることしか思いつかなくて歯がゆい。

 誰か、ラルフの力に……。


 ──リズ。


 誰かの声がしたような気がして、目線を上げた。

 するとどこかで、ピチョンと水が跳ねるような音が届く。


 なに?


 周囲に気を配る私の視界の端に、黒い何かがかすめた。


「……ヤタ?」


 馬車の横を滑空したヤタが、羽ばたきをして高度を上げ、蒸気の霧の中へ飛び込んだ。

 慌てて窓に縋り付いて外を見るけれど、真っ白で何が起きているのか分からない。私はそのままラルフを仰ぎ見て叫ぶ。


「ラルフ、ヤタが!」

「心配ない、俺が行かせた」


 氷塊のあった川岸から勢いよく吹き出していた蒸気が、気づけば止んでいた。もう氷塊を溶かすことができたということ?

 しかし濁流と化していた川面は低くならず、このままでは馬車が通ることはできない。


「ヤタ、いいかげん叩き起こせ」


 山から風が吹き抜けて、上空を遮る霧が晴れる。その僅かな隙間をヤタが飛び、うねる川面へ向かって急降下していく。

 その嘴には、黒い羽が咥えられていて……。

 ヤタの羽が魔素の塊であり、人にとって危険なものだということは、かつて町中で暴走した時のことで思い知っている。


「ヤタに何をさせるつもりなの、ラルフ?!」


 私が問うよりも早く、ヤタは川の中に沈んでいった。

 少年の叫びが、私の中に木霊する。『リイナ』と呼ばれた人物が、あの氷塊を造った魔法使いだったら……。そしていまだ川の下に居るのではないことを、不安のなかで祈るしかできない。

 ヤタが濁流に消えてからほんの三十秒ほど経った頃。

 ゆっくりと川面が盛り上がり、まだ見えていた橋の欄干までが茶色に染まった水の中に沈んでいく。

 ついに川の氾濫が始まったのだ。


「そんな、間に合わなかったなんて……あれじゃもう」


 渡ることができない。そう絶望を抱いた私の脳裏に、再び水面を跳ねるような音が響いた。

 囂々と続く川の音は遠のき、空気がしんと沈む。

 次の瞬間、目の前に広がる異様な光景に、私は言葉を失った。

 濁流が生き物のようにまとまって川底から持ち上がり、空高くアーチを描いたのだ。

 そして大きく蛇行しながら、ホロラル橋をはるか越えてまたぐ姿に、私は開いた口が塞がらない。

 濁流が、橋を避けるなんておとぎ話のよう。

 そんな現実離れした現象にあっけにとられているのは私だけではなく、馬車に同乗した騎士たちもまた目を見開いて窓から外を眺めていた。


「いったい、何が起きたの?」


 時折身をくねらせるように空で蛇行する川は、まるで生きている魚のようで……。


「……まさか」


 突如現れた空を流れる濁流に目を凝らすと、上流の跳ね上がる付け根にギョロリとした目がある。まるで大きな口を開けた魚が、その口に濁流を受け止めるようにも見える。その口横らしき部分からは、細い支流が蛇行していてまるで髭のよう。それだけじゃない。弧を描く腹の横から、丸くて大きなヒレもあり……川上から徐々に太く平らになる川下へ、尻尾が揺れて跳ねた。


「ハーディ……なの?」


 するとひときわ大きく跳ねる、空飛ぶホロラル川。

 黒い鴉が滑空して、跳ねたアーチをくぐってが戻ってきた。


「ねえヤタ、あれはあなたの仕業なの?」

『ここは主の領域に続く場所、ハーディならなじみ深い』


 御者台へ続く扉から顔を覗かせ、ヤタが得意げに言う。 

 そんなヤタを振り向きながら、ラルフが続ける。


「安心している暇はない。今のうちに橋を渡るぞ。しっかり掴まっていろリズ!」


 ラルフの声に呼応して御者台の騎士が握る手綱がしなり、馬車が動き始める。

 同時に騎士たちが馬車の窓から身を乗り出し、馬車を守るために魔法を展開し始める。そしてラルフは、この状況に同じく戸惑うオーベルス卿に向かって叫んだ。


「オーベルス卿、川底の方を確認してくれ。魔法を使っていた者が残されている」


 オーベルス卿がすぐさま領兵たちとともに、橋のたもとへと向かった。

 橋に近づく馬車からも、水がなくなってゴツゴツとした岩の並ぶ川底が覗えた。苔をまとった緑色の岩の合間に残された水に、魚が跳ねている。

 すっかり露わになったホロラル橋に馬車がさしかかると、深い渓谷のようになった向こう岸の大きな岩に、小さな何かがひっかかっているのが見えた。

 目を凝らすと、ボロ雑巾のようなそれが小さな子供のようで……。


「ラルフ、あそこに!」


 そう叫ぶ間にも、倒れて意識がない様子の子供が、苔むした岩から滑り落ちようとしていた。川底は山から運ばれてきた岩ばかり。そのまま落ちたら無事では済まなさそう。

 オーベルス卿が川底に沈んでいた自らの魔法で操る鋼を集め、いくつかの小さな楔を錬成し、子供へと放った。


「距離がありすぎる、そう長い時間は保たない」


 オーベルス卿の焦ったような声に反応したのは、馬車から身を乗り出していた騎士たち。そのうちの一人が風魔法の使い手だったようで、すぐさま小さな竜巻を川底に起こして、子供を落ちないよう風で支えてくれた。

 ほっと息をついている間に、馬車はホロラル橋の中程まで来ていた。

 囂々と頭上に流れる川の下をくぐるのは、ラルフとヤタを信じているし大丈夫と思っていても、どうしたってドキドキと心臓が跳ねる。

 息を潜めて見守るなか、橋を渡りきろうかと思われた頃には、先回りしてくれた領兵たちの中心に、川底から引き上げられた子供の姿が見えた。

 オーベルス卿が魔法で造った槍の竿に、子供の服が絡まりそのまま引き上げられたようだった。子供といえどあの強力な氷魔法の使い手だからだろうか、兵士は子供に触れないように、槍にぶら下がった状態で引き上げてきたようだ。

 その子供は思っていた以上に小さくて細くて、私の胸ががぎゅっと苦しくなる。

 対岸へ到着すると馬車を駐めさせ、ラルフがオーベルス卿の元へ向かう。それに続くようにして私が降りようとすると。


「リズはまだそこに居てくれ」


 そう言われてしまったら、足を止めるしかなくて……。

 子供の様子が気になるけれど、魔法に疎い私が邪魔をしてはいけないのだろうと諦める。けれども子供のことが気がかりでならない。

 淡い茶色の長い髪が顔にかかってよく見えないけれど、姿から少女には違いないだろう。ぐったりとした手足からは、生死すら判別できなかった。

 そんな彼女の側まで行ったラルフが、彼女に触れようとして、その指を止めた。

 しばらくして手を引き、黙り込んでしまった姿に居ても経ってもいられなくなって、私は馬車を飛びだした。


『リズ、リズ、我を置いていくな』


 ヤタが羽を広げて私を追ってくる。

 そのせいで私を制止しようとする騎士が、遅れを取った。

 もつれそうになる足を動かして辿り着いた先で、兵士が絡まる服から槍を外して下ろしていた。けれども地面に下ろされた拍子に、それまで動かなかった少女が激しく咳き込み、真っ赤な血を吐いたのだ。

 ……魔力酔いだ。


「これを!」


 手に握りしめたままだったストールを広げて、苦しみで仰け反る少女を包む。ストールの端からはみ出た少女の服には、あの日エンデで繕いをした自分の手仕事が。

 ああ……そううでなければいいのにとの願いは裏切られた。

 真っ白に血の気が引いた幼子を、領兵から奪うようにして抱きしめる。

 ゲホゲホと血を吐き、呼吸を荒げるその様が、私の心の奥を恐怖で満たしていく。震えるのは私の腕なのか、少女の身体なのか分からないくらい、抱きしめて頬を寄せる。


「大丈夫、大丈夫だから……必ず良くなるから」


 うわごとのように繰り返していると、肩を一回り大きな腕に抱きしめられた。

 顔を上げると、心配そうに眉を寄せるラルフの顔。


「リズ、落ち着け……リズ?」


 名前を呼ばれてハッと我に返る。ラルフの横には、同じように哀れむ目を向けるオーベルス卿。

 目を落とすと、託されたストールが血に染まっていて。


「ご、ごめんなさい汚してしまって……でも私っ」


 慌てて謝ると、オーベルス卿は責めることなく首を横に振った。


「リーゼロッテの判断は正しい……恐らくここにライサがいたとて同じことをしただろう。我が娘にしたように」


 そう言ってオーベルス卿が私の腕の中で動かなくなった少女の前髪をかきあげる。

 するとまるで静電気が弾けるような大きな音が鳴り、触れたオーベルス卿の手も弾かれていて。


「え……?」


 同時に反動から、少女の前髪がふわりと舞う。その露わになった少女の額からこめかみにかけて、黒い結晶が皮膚に埋め込まれているのが見えた。


「それはまさか、黒い魔石か?」


 今度はラルフが手を伸ばす。けれどもラルフが触れるよりも先に、再びバチンと音をたてて何かが反発した。

 どういうこと?

 するとオーベルス卿が私と、少女を槍にぶら下げたまま引き上げてきた領兵を見比べて、静かに言った。


「お前は確か、魔法を苦手としていたな?」


 困惑しながらも領兵が頷く。

 もしかして、魔力を持つ者を拒絶しているのかな。それは彼女の額に埋まった黒い魔石と関係がある?

 困惑していると、私たちの上で轟音をたてながら泳ぐハーディが、ひときわ大きく跳ねたせいで、その飛沫が私たちに降り注ぐ。

 それだけでなく、美しいアーチを描いていた彼の魚体が綻び始めたような……。


「どうしたの、ハーディ?」

『もうそろそろ力を使い果たす、水が地に落ちるぞ』


 ヤタの言葉に、周囲が騒然とする。


「オーベルス卿、領兵を連れて向こう岸に戻ってくれ」


 このホロラル橋を渡った先は、険しい山道が続く。しかもしばらくは抜け道のない、一本道という。このままこちら川に残されたら、戻ることはできない。

 そんなことは誰よりも承知しているオーベルス卿は、すぐさま連れてきた領兵たちに待避を命じる。それから私の方へと手を差し出すとこう言った。


「リーゼロッテ、その子は私が預かろう」


 けれども私は、少女を差し出すことを躊躇う。

 魔法を使えない者は、王都でもごく僅か。だから渡してしまったら、誰もこの子に触れることは出来ない。もちろん触れずに対処する方法はあるだろうけれど……それでいいのだろうか。

 迷う私の肩に、ヤタが乗る。


『主さまにお伺いをしよう、黒は主さまの眷属の証』


 私はそばにいたラルフへと視線を送る。

 そして決意した。


「私が、面倒を見るわ。だから連れて行きます」


 ラルフは眉を寄せてあまりいい顔はしていなかったけれど、ひとつ舌打ちをした。

 そして少女には触れないように私に手を伸ばして、立たせた。


「オーベルス卿、急がねば川が墜ちてくる」


 ラルフは返事を聞くことなく、私を川からなるべく遠ざけるように手を引いた。

 後ろを振り向く余裕もなく、私は少女を抱え直して走り出す。

 同時に幾つもの蹄の音が鳴り、遠ざかっていく。

 私たちが馬車に乗り込んだのと同時に、まるで地震のような震動と轟音に、馬車の窓がビリビリと震えた。そして墜ちて川底に叩きつけられた水が波のように泡立ち、雨のように馬車の屋根に降り続けたのだった。


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