胸キュン発生機
愛娘の薫子を看護師体験に送り出した薫子の父、鈴木昇造が聖マタイ病院理事長室の中を落ち着かない様子でうろうろと何往復もしていた。
「昇ちゃん……そんなに心配しなくても大丈夫だよ。
優秀な看護師とそれに郡山君も付いている事だし。
あとは天にまかせようよ!」
と、聖マタイ病院理事長であり昇造の幼馴染でもある花園耕一が、そんな昇造を見るに見かねて声をかけた。
「そうは言っても……耕ちゃん……あの薫子が……
家内やわしの腕の中でミルクを飲んだり、すやすや眠っていた薫子が……
よちよちと歩いて、家内やわしの後をついてまわっていた薫子が……
男の子と取っ組み合いのけんかをして、幼稚園の先生に叱られていた薫子が……
家内が亡くなった時、まだ5歳だった薫子が……その時、自分もどれだけ寂しかったかわからないのに ”お父様、私がお父様のそばにいます!” と言ってわしをなぐさめてくれた薫子が……
小学校時代、6年間虫歯ゼロで表彰されて照れていた薫子が……
中学校時代、作文コンクールで金賞を受賞して晴れ姿を見せた薫子が……
高校時代……あれ? 高校時代は……わしは外国で忙しく働いていて……
薫子の高校時代を全然知らないな……ごめんよ、薫子……
お父さんが悪かった……うっ、うっ、うっ……」
と、昇造は薫子との17年間を振り返りながら、泣き出してしまった。
「おいおい、昇ちゃん……大げさだよ!
薫子ちゃんは患者さんの足浴を体験しに行っただけじゃないか。
戦場に看護師として派遣されたわけじゃあるまいし……」
と、耕一があきれた様子で言った。
その時、理事長室をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
と、耕一は言いながら、泣いている昇造を奥の部屋へ押し込んだ。
「失礼します」
と、挨拶しながら引率の看護師と薫子を含む学生4名と義也が、理事長室に入室した。
「おかえり。どうだったかな、足浴体験は? って、どうした?
みんな、さっきまで泣いていたみたいに目と鼻が赤いじゃないか?
何か大変な失敗でもしたのかい?」
と、耕一が心配になって聞いた。
それを奥の部屋で聞いていた昇造も心配になって、奥の部屋で聞き耳をたてていた。
「いいえ、大丈夫でした。足浴体験は大成功だったと思います。
学生の皆さんも私の言う事をきちんと聞いてくれて、初めてにしてはみんな上手にできました。患者さんもとても喜んでくれていました。ただ……」
と、引率の看護師が語尾を濁らせながら答えた。
「えっ? ただ? ただ、なんだい? 何があった?」
と、耕一がますます心配そうに聞いた。
昇造もますます心配になって聞き耳をたてた。
「ただ、すみません! 学生さんたちが感動しているのを見て、私まで感動して少し泣いてしまいました。私は看護師になった初めの頃の、あの初々しい感動を今日、再び思い起こす事ができました」
と、引率の看護師が深々と頭を下げながら言った。
それを聞いて、耕一と昇造はほっとして胸をなでおろした。
「なんだ、そんな事かぁ! 驚かせないでくれよ、それなら良かった……
感動して泣いたのなら患者さんにも迷惑じゃなかっただろう?」
と、耕一が聞いた。
「はい、大丈夫でした。でも患者さんの前で私まで泣いてしまって……患者さんまでもらい泣きしている人もいました。申し訳ありません!」
と、引率看護師がもう一度頭を下げて謝った。
「大丈夫、大丈夫。看護師だって人間だ。血も涙も出ないロボットじゃない。
患者さんだって、その事はよくわかってくれているはずだよ。
同じ人間だからね」
と、耕一が優しい笑顔で言った。
「理事長先生……ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです。
今日は本当に良い看護体験になったと思います。
私まで ”神の恵み” を受けた気分になりました」
と、引率看護師が喜びの表情で言った。
すると、その場にいる全員の心の中にも、つられて喜びの気持ちが湧き上がってきた。
「聖書に精通している郡山君。こういう時、聖書ではなんと言っているかな?」
と、耕一が義也に聞いた。
「えっ? はい、えぇっと……この御言葉はどうでしょう?
『喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。』
まあ、今日皆さんが泣いたのは悲しかったわけじゃないので、少しニュアンスが違うかもしれませんけど……
さっきは男の僕までもらい泣きしてしまいましたよ。
今日は付き添わせてもらって、大変恵まれました!」
と、義也が少しとまどいながらも笑顔で答えた。
そんな義也の笑顔に、薫子はいつものように胸がキューンとしてしまうのを感じてこう思った。
“ヨッシーの笑顔は、私の胸キュン発生機だわ!”
※本文中の『』内の言葉は、新改訳聖書のローマ人への手紙12章15節より引用しました。




