第8話
それは、これまでの僕の人生で、間違いなく一番うれしい日だった。
とうとう、旅の相棒が完成したのだ。
あの最初に三共スポーツで見た、空色のスポルティーフ。
矢上さんいわく、初夏のパリの空の色なのだそうだ。
でも、新品は、この空色のフレームと、フランス製イディアルのなま革のサドル、スマートで軽いウォルバーのスーパーランドナーのタイヤだけだった。
残りは、アルバイトの謝礼としてもらったパーツばかり。
いずれも、坂本さんと、矢上さん、店主のおじさんとの延々と続く議論の結論として選ばれたものばかりだった。
フレームは、サイズ500mm。石渡022と019のクロムモリブデン鋼製ダブルバテットチューブのブレンド。重量2kg程度。矢上さんのチョイスだった。
ディーラーは、前がサンツァーSL、,後ろがスキッター。自転車部の部室にころがっていたのをもらったものだ。
一番故障しやすいので、旅先で簡単にパーツが調達できる国産にした。
トップノーマルなので、もし、ワイヤーが切れて変速できなくなっても、走ることができるという坂本さんの意見を取り入れた。
ギヤクランクは、矢上さんが、星形パターンのフランス製のストロングライト、坂本さんが、フランスの定番、TAにこだわったけど、どちらも予算オーバー。
国産だけど、TAと互換がある5ピンのスギノのプロダイナミックスにした。もちろん中古だ。
ギヤ比は、前が、46T―34Tの2段、後ろが14T―24Tの5段で、合わせて、10段変速。
このギヤを決めるだけで、矢上さんと、坂本さんで半日議論して、結論がでなくて、結局、僕が走って走りやすいほうに決めさせてもらった。
フロントギアが軽めなので、後ろのフリーホィールは標準的なものにして、極端なワイドにはしなかった。
三共スポーツのおじさん曰く、スポルティーフらしさなのだそうだ。
タイヤは、これは、ギヤ比以上に深淵な議論を巻き起こした。
たしかに、レース用のチューブラータイヤの軽さは魔法のようだったし、坂本さんのおすすめの65042Bの極太タイヤの頼もしさは、驚きだった。
最終的に二人が一致したのが、このウォルバーのスーパーランドナータイヤ。
充分な信頼性と、驚きの軽さ。タイヤにおかねを惜しむなとは、矢上さんのお言葉。
それにしても高かった。
僕の身長では、700Cよりも、650Bのホィールサイズの方が自然で無理がなかった。
ハンドルは、マース型のドロップにした。
坂本さんは、ランドナーバーを進めたが、こちらの方が、スマートだし、慣れていたからだ。
矢上さんが、3回は頷いてくれた。
泥除けは、シンプルな半丸型のアルミ磨き仕上げ。どうせ傷だらけになるから、こんなきれいなヤツでなくてもよかったんだけど。
これと、ランプは、陽子さんがこだわった。
ちなみにランプは、フランス製ソービッツのまん丸い団子型。
7mmのパイプのフロントキャリアに直付けしてもらった。このキャリアは坂本さんのプレゼント。
俺は、こんなヤワなやつは使かわんから。とは坂本さんの言い訳。
皆さん、ありがとう。ほんとうにありがとうございました。
あの時、誰もが、少年の僕の夢を、自分の夢として、いっしょになってかなえようとしてくれたんだ。
大人になった今ならわかる。アルバイトなんていうのは、そのための口実だったことを・・・。
僕は、この空色のスマートなスポルティーフに、「ハヤブサ」という名前をつけた。
大空を自由に羽ばたく、あの隼のように、僕の行きたいところに連れていってくれる。
片手でも、軽々と持ち上げられる軽さ。こいつとならどこまでもいける。
一晩、自分の部屋に持ち込んだときは、さすがに母さんからいやな顔をされたけど、最初の夜はコイツと一緒に過ごしたかった。
ハヤブサを目の前にして、そろそろうるさくなってきた蛙たちの声をBGMに、沙紀ちゃんに手紙を書いた。
沙紀ちゃん
やっと旅の相棒の自転車が出来ました。
初夏の青空の色のスマートで速い自転車です。
僕の家から、山を越えて、日本海までコイツで行きます。
花火大会までには、必ず着くように、夏休みにはいったら出発するつもりです。
おじさんとおばさんによろしくお伝えください。
萩原貴志




