第4話
「まず、車種だな」と矢上さん。
「ランドナーに決まってるだろ。ツーリングでもロードで行くお前のようなヤツには、なってほしくない」と坂本さん。
「使いもしないのに、6つもバッグを取り付けて、自分の体重くらいあるマシンを、ひいこら漕いでなにが楽しいんだ?」
「旅と触れあうためよ。自然と触れあい、人と触れ合い、花と戯れ、気に入った場所あれば大地に眠る。お前みたいに、道の良しあしにしか関心のないやつは、ツーリストではない」
「あの・・・・、いくらくらいかかるものなのでしょうか?自転車の予算ですが・・・?」
僕は恐る恐る聞いてみた。
「たとえばあそこにかかっている水色のスマートなやつ」
「いい趣味をしているな。だが残念なことに売り物ではない。パリのルネ・エルスにオーダーした私の愛車だ」店主が胸をはった。
「スポルティーフか、いいかもしれん。ルネ・エルスだと、君がサラリーマンになってボーナスを全部つぎ込むくらいの値段になるかもしれないが、同じやつを国産で組めばいい」と矢上さん。
「旅は、42Bのランドナーだ。それで決まり!旅先でスマートさなんぞは糞くらえ。日本中走り回っている俺が言うんだから間違いはない」坂本さんが熱く主張する。
「萩原君は、どんな自転車の種類があるか知っているかい。用途が専門的になると専用の車種になる。兼用はできない」と冷静な矢上さん。
「教えてください」
矢上さんは、頷くと、「まず、壁や、天井にかかっているタイヤの細い、スマートなヤツがロードレーサー。公道でのレース用だ。ツールドフランスや、ジデロイタリアなど、世界のメジャーなレースを走っているのは、このタイプ。もちろん、最速のツァラ―でもある。一日で日本海まで行けるぜ」
すかさず坂本さんが、
「その代り、常に予備のタイヤをサドルに括り付けて走らないと、いつパンクするかわからない。しかも、この手の丸タイヤは、チューブラーと言って、旅先では、まずパンク修理ができない。搬送車がいるレースなら、ホィール毎交換してくれるからいいが、およそ、ツーリングで使える代物ではない。ギヤ比も君の脚力では使いこなすのは難しいだろう。それに、ダートは、まず走れないし、第一、荷物はどこに積むんだ?」
「で、これが、ツーリング専用車のランドナー。」
坂本さんは、立てかけてあった。フロントにバッグがついた、泥除けのあるタイヤの太い自転車を指した。
「この65042Bのタイヤなら、どんなダートでも心配ない。荷物も、サイドバッグをつければ、テント一式もっていける。ツーリングで大切なことはなんだと思う?」
「壊れないことですか?」
「うん、それが大切だ。故障しても誰も助けてくれないからね。見落としがちなのが、居住性というのかな、ツーリングでは、一日に八時間以上乗ることになる。ロードは、速度が速いから距離はいくけど、実は、乗っている時間はそれほど長くない」
「当たり前だ、ライバルより長く乗っていたら、レースに勝てないからな」
坂本さんは、笑っている矢上さんをにらむと、
「それを何日も続けることになるんだ。お尻が痛くなったら悲惨だぞ。サドルが大切だ。革サドルがベスト!」
「異議なし!」と矢上さん。初めて二人が一致した。
「慣らしに時間をかけられれば、ブルプロ、ブルックスプロフェッショナル。これがいい。
でも夏までには、無理だ。それなら、イデアル90。こいつの方がなじませやすい」
いかにも、旅の鞍という感じのごつい革サドルを矢上さんがもってきた。僕は、一目でほしくなった。ブルプロは真っ黒、イデアルは美しいなま革だった。
「おいくらでしょうか?」恐る恐る、僕は、店主のおじさんに聞いてみた。
「まあ、負けても7000円だな」
「・・・・買い物自転車が買えますねぇ」
「まあ、ほんとに使えるヤツを組もうとすると、国産パーツでも最低8万円はかかる」
「・・・・・・」
僕の貯金は、4万円だ。見る見る夢がしぼんでいくのがわかった。
僕ががっかりしているのがわかったのだろう、坂本さんが、
「そうだ、バイトしないか。中学生にお金はあげられないが、その分パーツでどうだい。
自転車部のイベントちらし作りや、やってほしいことは山ほどある」
「異議なし!ついでに走りも鍛えてあげよう。君は、中学生にしては背が高い。サイズの合うロードは部室にころがっているだろ」
「いきなりアウター52Tなんて踏ませたら膝をこわすぜ」坂本さんが心配そうに言う。
「もちろん、インナーだけだ」と矢上さん。
僕には、まったく意味不明の会話が飛び交うなか、わくわくした気持ちが止まらなかった。
僕は、夢に向かって走りだしているんだ、今まさに。
「そこの雑誌を持って帰って読むといい。読み終わったらまた持ってきてくれればいいよ」
おじさんが、テーブル脇に積まれている「ニューサイクリング」と「サイクルスポーツ」を指さした。
「ありがとうございます」僕は、何度も頭を下げた。
「萩原君、ひとことだけ、忠告しておく。僕もパーツを提供するのは惜しまないが、サドルだけは、新品を買ったほうがいい。こいつの尻のニオイがたっぷりしみこんだサドルにまたがりたくはないだろう。さて、部に戻って、ひとっ走りしてくるか」
笑いながら、矢上さんは、表に無造作に立てかけてあった、ネービーブルーのロードレーサーにまたがった。
すごく、絵になっていて恰好よかった。
「じゃあ、来週の土曜日の午後にでも、部室を訪ねて来たまえ」
「素直に人それぞれ尻の形は違うから、新品を慣らせって言いやがれ!」坂本さんも笑っていた。
商店街を風のように遠ざかる矢上さんを見送りながら、僕も、何冊か雑誌を借りて店を出た。
僕の14回目の夏はもうすぐそこだった。




