第46話
この海辺の街で過ごすのも今日が最後だ。
僕は、とても寝ていられなくて、5時に起きると、この街を再びハヤブサで駆け廻った。
いつもの海へ向う下り坂を駆け下り、活気のある朝の漁港や、浅葱食堂を横目に、岬へ続くアップダウンの道を走った。
そして、折り返して神社への登り坂、沙紀ちゃんと過ごした海辺の喫茶店や公園、今回の旅の思い出の舞台をなぞるように巡った。
朝、岬へのこの道を浩一君と競争したのは、わずか四日前なのに、もう思い出だった。
涼しい今朝の海風とともに、僕の夏が終わろうとしていた。
今夜の花火を最後にこの海辺の街を後にして、東京へ帰るのだ。
帰るところがあるから旅だった。旅を終わらせる時が近づいてきたんだ。
いまいが町を巡り、沙紀ちゃんの家へ向かう登り坂に差し掛かった時、坂の上に、白い人影が見えた。沙紀ちゃんだ。
到着した時と同じだった。
沙紀ちゃんが手を振った。
僕も、片手をあげて、それに応えると、ダンシングでこの急坂を駆け上がった。
まだすべて思い出にするわけにはいかなかった。
沙紀ちゃんは、白いブラウスに、紺色のスカート姿で、シンプルながら、相変わらず強力に可愛かった。
ちょっと、スカートが短めなのが気になったが。
ハヤブサを押す僕の横にぴたっと寄り添うようについてくる。
「街をひとまわりしてきた。だいぶ朝が涼しくなったね。」と僕が言うと、
「花火大会が終わると、もう泳ぐ人があまりいなくなるの。クラゲも出るし」
と、ニコニコしていた。
朝食の間も、僕の隣に来て、かいがいしく世話をしてくれた。
僕は、いつも通りに、良く食べ、良く笑った。
沙紀ちゃんも、おかあさんもみんな笑顔だった。
夏の終わりのあたりまえの一日が始まった。
ひとつだけ違うのは、今日の日はずっと続かないというあたりまえの現実だった。
帰りの旅のパッキングを始めようと離れに戻ろうとすると、そのまま沙紀ちゃんもついてきた。
パッキングと言っても、フロントバッグと、リアのサドルバッグの二つしかないから、大した量ではない。
むしろ忘れ物がないか点検するぐらいだ。
僕が、取り出して点検していると、いつの間にか沙紀ちゃんが隣にきて、珍しそうに手にとって見ている。
そのうち、マファックの携帯工具をどこかにもっていって、隠そうとする。
最低限度の荷物で来ているので、忘れると、旅に支障をきたしてしまう。
「こらこら、持っていっちゃだめだよ」というと、いたずらっぽく笑って返すのだが、まるで幼児だった。
普通にやれば、30分で終わるパッキングが、1時間たっても終わらないので、
「沙紀ちゃん!」と怒ると、サドルバッグごともって、走っていってしまった。
僕が追いかけようとすると、座敷の隅でじっとこっちを見ている。
「それがないと、帰りの旅ができないよ」と言うと、
「帰っちゃいや!」と、サドルバッグを抱きしめて言った。
おいおい・・・、絶対的に可愛い女の子にこんなことを言われたら、誰でも困ってしまう。
初心な少年ならなおさらだ。
僕は、開け放たれた庭の方を見つめると、「あっ、里美ちゃん!」と言った。
沙紀ちゃんが、あわてて、眼を向けた隙に、後ろに回って、がら空きの脇腹をコチョコチョすると、
「きゃははあは・・」
と笑い転げて、バッグを放した隙に取り返した。
「もう!」沙紀ちゃんが、むくれた。
このまま、本当に準備を邪魔されそうなので僕は、パッキングを止めにして、庭先の縁台に座った。
今日も、夏空だった。蝉の声が降るようだ。
今回の旅は、天気にも恵まれた。すべてが最高だった。
僕が、感慨にひたっていると、沙紀ちゃんが、そっと近づいてきて、隣に座るのかと思いきや、「えいっ!」といきなり、僕の膝の上に座った。
小さな女の子ならともかく、まったく不意をつかれた攻撃だった。僕は、完全に固まってしまった。
「おにいちゃん、重い?」沙紀ちゃんが、全体重をかけてきた。
別に重いというよりも・・・手の置き場に困る・・・。
沙紀ちゃんが、ニコニコしながら振り向く。睫が見えるくらいに顔を近い。
しかも、そのスカートでこれはないんじゃないの・・・と言いたかったが、言葉が出なかった。
「おにいちゃん、ポケットにまだなんか隠してるね」
「・・・・どかないと、またくすぐっちゃうぞ!」とかろうじて言うと、
「いいよぅ」と言った。
「帰るのやめないと・・・」ちょっと、沙紀ちゃん、幼稚園の時とは違うんだから。
僕は、思わず、膝に座る沙紀ちゃんを抱きしめた。
沙紀ちゃんの胸の鼓動が大きくなるのがわかった。
僕達は、無言のまま、しばらく、降るような蝉の声と、かすかな波の音に身を任せた。
「おにいちゃん、やっぱりダメかも・・・」沙紀ちゃんが、僕の方に顔を向けた。
顔が赤かった。僕は、沙紀ちゃんの大きな眼を見つめていた。
もう、僕達には、蝉の声も聞こえなくなっていた。
沙紀ちゃんが、ゆっくりと目を閉じる。
僕も何も考えられなくなった。
「しょーしい・・・」いきなり、僕達の目の前で、誰かが、つぶやいた。
僕達が、眼を見開くと、今度は、ほんとに、里美ちゃんと典子ちゃんが目の前にいた。
里美ちゃんは、すごい怖い眼で睨んでいるし、典子ちゃんなんて、顔を覆っていた。
沙紀ちゃんともども、僕も固まってしまった。
「いくら玄関で挨拶しても、誰も出てこないから、庭に回ったら、・・・そいやんかね」
里美ちゃんが、皮肉っぽくいった。沙紀ちゃんは、まだ僕の膝に座ったままだった。
「沙紀が、泣いてたら、可愛そうだと思ったから、早めに来たのに」
「だから、やめようって言ったんだよぅ」典子ちゃん顔を覆いながらあさっての方を見て言った。
「よく、このあっちゃいのに、いっつもいっつも、ひっつけるねぇ」
里美ちゃんが笑ったが、眼は笑っていなかった。
沙紀ちゃんが、すごく、きまり悪そうに、立ちあがると、
「えいっ!」今度は、里美ちゃんが、僕の膝に座ってきた。
「あーっ!」沙紀ちゃんが悲鳴をあげる。
「沙紀とどっちが重いですが、おにいさま」里美ちゃんが、クスクス笑いながら言う。
里美ちゃんは、いつものカットオフジーンズの短パンだったが、僕は、完全に頭が真っ白になってしまった。




