第44話
今日も、泳ぐにはうってつけの夏空だった。
でも、僕も沙紀ちゃんも昨日のようなわくわくした感じはなかった。
沙紀ちゃんは、小さい頃から、わりと人見知りをする方だ。
集団行動は、苦手な方だった。僕も同じだった。
だから、今度の旅で誰とでもうちとけておしゃべりできる自分に、一番驚いているのが、自分自身だった。
沙紀ちゃんのお兄さん役は、昔通りだが、二人とも少し成長して、変わってきているのかもしれない。
でも、僕達が心地よいと感じる関係を壊したくないという意識が、これ以上の二人の成長を止めようとしているのかもしれなった。
それだけに、昨日の夕方は、沙紀ちゃんにどう接してよいかわからなかったのが事実だった。
二人が、つむいできた、兄妹のような関係が変わってしまうのが、無意識にこわかったのかもしれない。
これが、同級生、例えば、千佳子だったら、僕は、躊躇なく未知の世界に踏み出していたかもしない。
なぜなら、新しく二人の関係をつむいでいけるのがわかっているから。
朝食後の日課にしているハヤブサの手入れしながら、取り留めなくこんなことを考えていると、渡り廊下を小走りに走ってくる軽やかな足音がした。沙紀ちゃんだった。
「おにいちゃん!」沙紀ちゃんは、開け放した襖から、白いヨットパーカーのフードをかぶった顔だけをだすと、
「新しい水着だよ。見たい?」と思わせぶりに言った。
海で見られるじゃんと、答えるような男はまずもてない。
「ぜひ見たいけど、海辺での楽しみがなくなるよ」と言うと、
「だって、海では私だけを見てくれないと思うし・・」ちょっとうつむいて顔を曇らせた。
僕は、ハヤブサに注油する手を止めると、座敷に戻って、胡坐をかいた。
「どれどれ、水着のファッションショーの開幕ですか」と言った。
「えーっ、そんな改まられると、恥ずかしいよぅ」
白いヨットパーカーを羽織った沙紀ちゃんが、もじもじしながら、入ってきた。
下にピンクっぽい水着が透けていた。
そのパーカースタイルでも、充分凶悪な可愛らしさだったが、
「じゃーん!」パーカーを脱ぐと、薄いピンク色のセパレートの水着に、腰のところに短いスカートがついた壮絶に可愛い水着姿の沙紀ちゃんがいた。
スリムでスレンダーだか、これから、少女として成長していく淡くはかなげな感じに、水着の薄いピンク色がよく似合っていた。
成長していく妹を見守る兄の気持ちは、こんな感じなのかな・・とも思った。
「すごく可愛いよ。二人だけで海に行けないのが残念だ」思わず言ってしまって、おいおい何言っているんだ、と自分を戒めた。
沙紀ちゃんは、少し赤くなって、「おにいちゃん、ずっとここにいてくれればいいのに」と小声でつぶやいた。
「でも、海の中じゃ、陸みたいに疲れても助けてあがられないから。今のうちに」
僕は、沙紀ちゃんに近づくと、さっと抱き上げた。
「えっ、ええええ・・・!」と言いながら、当然のように、腕を僕の首に廻してきた。
僕の腕の中の沙紀ちゃんは、今見た姿よりも、ずっと重く感じたけど。
「さて、僕も着かえることにしよう。どこまでお運びしましようか」と言うと、
「海まで行けたらいいな。」とつぶやいた。
でも、二人のお遊戯は、渡り廊下でおしまいになった。
玄関で、浩一君達の声がしたのだ。沙紀ちゃんがあわてて、離れた。
玄関に出ると、サイクリングクラブの面々がいた。
「ちと、早いと思うたが、誘いにきた」浩一君がいうと、
「ちわーっす。今日もあっちゃい日だね」と慎太君達が顔をだした。
皆、水着にTシャツを羽織っただけの姿だった。自転車で来たのだろう。
「まだ着替えていないんだ。とは言ってもこれしかないけど、」と言ってから、
「沙紀ちゃんは、自転車もっていないんだ。せっかく誘いにきてくれて悪いけど、先に行っていてくれる。すぐ行くから。あの海水浴場のあたりだろ」
「浜の前の磯のところで待ってる。里美たちも、もう行ってるし」
「ごめん。すくに追いかけるよ」と僕が言うと、
「じゃあ、先に行ってる」浩一君達は、一斉に自転車で坂を下っていった。
「おにいちゃん、おかあさんが、車で送ってくれるって」沙紀ちゃんが言った。
これは、また里美ちゃんに皮肉を言われるなぁと思ったが。
僕達は、お弁当をもって、沙紀ちゃんのお母さんの車で出かけた。(ちなみに、この当時、沙紀ちゃんの家には、両親の車が一台ずつあった。)
もう、大祭が済んでしまった海辺の街は、いつもの静けさを取り戻しつつあった。
それでも、まだまだ海水浴場には、たくさんの人が繰り出していた。
ビーチの手前で車を降りると、磯の岩場の先端で、数人が手を振るのが見えた。
浩一君達だった。僕は、手を振りかえすと沙紀ちゃんと歩いていった。
さすがに、手を引くのはやめておいた。
磯の岩場に、サイクリングクラブのメンバーの3人と、浩一君、それに里美ちゃんと、典子ちゃんがいた。
里美ちゃんは、ワンピースの水色と黄緑色のストライプ柄の水着で、そのスリムな身体とあいまって、トビウオのようだった。
典子ちゃんは、普通のスクール水着だった。さすがに、胸に名札はついていなかったが。
典子ちゃんも充分に可愛いのだが、他の二人が、ジュニアアイドル顔負けなので、どうしても地味に見えてしまう。本人は気にしていないのかもしれないが。
男性陣が、沙紀ちゃんの水着姿にくぎ付けになっているのを感じたのか、里美ちゃんが、
「沙紀、随分と可愛らしい水着じゃない。東京のおにいさまに選んでもらったのかしら?」と僕に聞こえるように標準語で言った。
「ここで、泳ぐの?」と僕が話題を変えると、「いつもは、そうなんですけど、今日は、シティボーイのおにいさまに合わせて、浜にいきましょうか」と里美ちゃんが言った。
「そうだな。磯遊びもなんだな」と浩一君がいうと、「よし来た!」と皆、海に飛び込み始めた。
「じゃあ、浜でね。沙紀!」里美ちゃんも、海に飛び込むと、綺麗なクロールで、泳ぎだす。
「里美は、泳ぎが達者じゃ。ここらの地区の大会で優勝しとる」浩一君が胸をはった。
お兄さんとしては、自慢したいところなのだろう。見ていると、皆一旦冲へ出てから、ボディサーフィンの要領で、波に乗って、岸に近づいて行く。
「おまんどうする?」と浩一君に聞かれたが。
「僕には、とても無理だ。きっと沖に向かう強い流れがありそうだし、おぼれて迷惑をかけたくない」と言うと、
「よし、わしらは、荷物持ちじゃ。」と皆の弁当を持つと、浜に向かって歩きだした。
彼が泳ぎが達者なのは、河の秘密基地でも見ている。僕達のために、僕達の側にまわってくれた。
ほんとうにやさしくて、いいやつなのだろう。
僕と沙紀ちゃんは、それぞれ、荷物をもって、浩一君に続いた。
浜に行くと、もう、里美ちゃん達が着いて、待っていた。水にぬれた里美ちゃんは、綺麗だった。
僕が、思わず見つめていると、ちょっと顔を赤らめて恥ずかしそうにうつむいた。
後ろで、鋭い視線を感じて、振り返ると、今度は、沙紀ちゃんが睨んでいた。やれやれ・・・。
「よし、あっちゃくなった。泳ぐぞ!」と浩一君が、波に飛び込んだ。
「沙紀も泳ごうよ。見せるだけじゃ水着がかわいそうだよ」里美ちゃんに手を引かれて、沙紀ちゃんも海に入っていった。
僕も遅ればせながら、波に飛び込んだ。結構海水が冷たかった。
浩一君達をまねて、ボディサーフィンよろしく波に乗ってみる。
たちまち、波においていかれてしまった。その点、彼らはうまいものだ。
太一君が、僕の傍らを波に乗って、すぅーっと岸まで運ばれて行く。
沙紀ちゃんは、典子ちゃんと二人できゃあきゃあ言いながら波と戯れていた。ありきたりの海水浴の光景だったが、この先、ずっと思い出すだろうなと思った。
「波に乗れるまで掻いていないとダメです」里美ちゃんが、いつの間にか隣に来ていた。
水の中に浮かんだ姿は、人魚を思わせた。「いいですか、見ていてください」
里美ちゃんは、振り返って波を確認すると、そのまま、クロールで泳ぎだした。
波が追いつくと、手で水を掻いて、胸をそらして、綺麗に波に乗った。まさしくトビウオのようだった。
僕も、まねをして、次の波に合わせて、全力で泳ぐと、体が押されるのがわかった。
そのタイミングで強く水を掻いて、胸をそらせると、すうーっと波に乗ることができた。
楽に岸まで行くことできた。浪打際で立ち上がると、パチパチパチと里美ちゃんが拍手をしてくれた。
自分が、ケアされる側もいいな、と少しだけ思ってしまった。後で沙紀ちゃんにむくれられるなと思ったが。
再び、僕は、頭から潜り込むように波に飛び込んで、やり過ごしながら沖に出て行った。
里美ちゃんも一緒だった。冲を見ると、大きなうねりが近づいてくるのがわかった。
里美ちゃんが指さして頷く。僕は、全力で波に追いつかれないように泳いだ。
すごい力で体が押されるのを感じた。
2,3回大きく水を掻くと、海水が壁のように盛り上がり、僕は、自分の体を使って、その水の斜面を滑り下りた。
経験したことのない速度で、ロケットのように、浜にむかって突進した。
沙紀ちゃんがこちらを見ているのがわかった。
たちまち沙紀ちゃんの横を通り過ぎて、僕は、浅瀬に突っ込んで止まるまで波に乗った。
「ちょうどよいところで、止めるのがむずかしい」
上から心配そうに見下ろす沙紀ちゃんに、照れ隠しに言ったが、砂だらけの顔では負け惜しみにしか聞こえなかった。
今度は、沙紀ちゃんが手を差し伸べてくれた。
砂だらけの僕は、黙ってその小さな手にすがって立ち上がった。
水着だとわかっていても、下から見上げる沙紀ちゃんの短いスカート姿は、かなり凶悪な光景だった。
里美ちゃんは、うまいもので、波の底を横にすいすい進んでいく。
波が小さくなると足をついて、また冲へもどっていく。
そのとき、ちらっとこちらを見たが、すぐに沖へ行ってしまった。
僕も、また冲へ行こうとしたが、沙紀ちゃんが手を放してくれないので浅瀬で両手をもって泳がせてあげた。
沙紀ちゃんが、ばちゃ、ばちゃ、やっていると、典子ちゃんが近づいてきて、「あっ、おじゃまでしたね。ごめんなさい」とまた離れていった。
浩一君は、潮の流れにのって、たちまち冲に出ると、磯まで泳いでいって、岩に腰掛けて冲を見ていた。
日に焼けたその姿は、まさに海の子だった。




