第43話
これから、暑いさかりだった。お腹もすいたので、休憩を兼ねて、近くの蕎麦屋で蕎麦と天丼を食べた。
天丼はエビがたっぷりと乗っていたおいしかった。
そういえば、ここら辺は、エビがよく取れるんだっけ。
食べ終わると、沙紀ちゃんが、僕を連れて行きたいところがあると言い出した。
今度は、僕が沙紀ちゃんについていくことになった。
沙紀ちゃんは、山の方へどんどん歩いて行く。お祭りのにぎわいとは反対の方角だ。
沙紀ちゃんが通う小学校がある方向だった。
学校にでもいくのかなと思ったが、途中の小さな公園までくると、
「おにいちゃん、覚えている?」と聞かれた。
「ああ。鉄棒の特訓をしたところだ。」
当時、小学校一年生だった沙紀ちゃんは、鉄棒が怖くて、前まわりもできなった。
僕は、5年生で、逆上がりも、後ろまわりも自由自在だったから教えてあげたけど、とうとうできなくて、落っこちて泣いちゃったんだ。
僕は、膝を擦りむいてしまった沙紀ちゃんをおぶって、屋敷へ戻る途中、あまり遅いので、車で探しに来た僕の父さんと母さんに見つかって、こってりとしぼられたんだっけ。
まだ午後の暑いさかりだった。西日に照らされた公園には、人影もなく、遊具の影だけが長く伸びていた。
沙紀ちゃんは、鉄棒のところにいくと、麦わら帽子と、バスケットを鉄棒にひっかけた。
「見て、見て、もう逆上がりもできるんだよ!」とやって見せようとした。スカート姿の女の子の鉄棒を、正面から見物するのはマナー違反だ。
僕は、横に並ぶと、「ひじが伸びているとできないよ」と言った。
沙紀ちゃんは、少し勢いをつけると、見事にくるりとまわって鉄棒の上で体を止めた。
「すごい、とうとうできるようになったんだ」
沙紀ちゃんが鉄棒の上で、うれしそうに微笑む。
僕も、逆上がりで鉄棒にあがると、そのまま、後ろまわりを2回して、前周りをして鉄棒の上で静止した。
「おにいちゃん、すごーい!」
「実は、後ろまわりの方が簡単なんだ。前周りで地面に降りずにこらえるのは、意外と力がいるんだよ」
「よし、がんばるよ」沙紀ちゃんが挑戦しようとしたので、あわてて止めた。
「もう小さな子供じゃないんだから、落ちそうになっても支えられないよ」
「沙紀のお尻が重いから?」
「い や、そういう訳じゃなくて」僕は、前まわりでクルリとまわると、そのまま地面に降りた。
沙紀ちゃんも続いた。沙紀ちゃんは、僕に追いつくと、僕の顔をいたずらっぽい眼で見上げて、「おにいちゃん、なんか困った顔してる」と言った。
僕は、そのまま、地球ジムのところへ行った。つかんだまま走って、回転させると、飛び乗った。
「あっ、沙紀もやるぅ!」と走ってきたので、一旦止めて、沙紀ちゃんを中に入れた。
「じゃあ、廻すぞ!」僕が、走って、勢いをつけて廻すと、「きゃああああ!」と、球の真ん中でしゃがんでしまったが、そう怖がっているようには見えなかった。
二人を乗せたメリーゴーランドがクルクル廻る。
それは、午後の夏の日差しを受けて、キラキラ輝いていた。
「昔から、沙紀を中に入れて廻すんだね。自分は外に捕まるのに」
沙紀ちゃんを、引っ張り出そうとすると聞かれた。
「その方があぶなくないから。外に捕まって、もし手を放したら、けがをさせてしまうからね」
と僕が言うと、
「もう、そんな小さな子じゃないよぅ」と、ジムから出るなり、胸にしがみついてきた。
おいおい・・・。
「ここからじゃ、海が見えないね。高台なのに」と傾きだした太陽を見つめて言うと、
「肩車してくれたら、きっと見えるよ」
えっ、また?と思ったが、誰も見ていないので、沙紀ちゃんの後ろにまわると、黙って担ぎ上げた。
「きゃ!」自分からねだったのに、沙紀ちゃんが悲鳴をあげた。今度は、落とされるのが怖くなったのか、僕の首をぎゅうぎゅう締め付けるので、苦しいくらいだ。
「どう、高くなると、海が見えるかい?」と僕が聞くと、
「うっ、ううん・・・やっぱり見えないみたい・・」とうわの空のような返事をした。
「やっぱりダメだろ。じゃあ、降ろすよ」と言うと、
「えっ、イや、まだ・・・」とやけに神妙な声で言う。
「じゃあ、公園を一周まわったらね」と僕が、歩きだすと、「きゃははは・・・」と笑った。
僕は、沙紀ちゃんを肩車したまま、公園をゆっくりと回った。大して広くない公園だが、妙に疲れた。
「よいしょっと」沙紀ちゃんを地面に降ろすと、「いやっ!」と頭を抜かせまいと抵抗した。
「こらっ!」と僕が力づくで、離れると、「きゃははは!」と顔を真っ赤にして笑い転げていた。
そんな、涙ぐむほど、笑わなくてもいいのに、と思ったが、
「おにいちゃんのいじわる。また必殺技やっちゃうから」とまだ笑っていた。
公園を後にして、夕暮の坂道を海にむかって沙紀ちゃんと下って行く。これまで何度も繰り返したような光景だったが、実際には初めてだったかもしれない。
漁港まで来ると、夕日がきれいだった。僕は、沙紀ちゃんの手をひいて、防波堤の先っぽの赤い灯台のところまで行った。
そこで、並んで、防波堤に腰掛けて、海に夕日が沈んでいくのを眺めた。
海は静かで、湾の中は油を流したようだった。
夕日に照らされた沙紀ちゃんの横顔が綺麗だった。
思わず、見つめていると、沙紀ちゃんと眼があった。
しばらく、眼をそらせないでいると、沙紀ちゃんが、顔を近づけてきて、眼を瞑った。
おいおい、沙紀ちゃん、なんでここで眼を閉じる?・・・と思ったが、僕にも未知の体験だったから躊躇していると、
「貴ちゃぁぁん!」と後ろで怒鳴る声がした。
二人にとっては、耳元でラッパをならされたのに等しかった。
振り返ると、慎太君がこちらに走ってくるのが見えた。本当に狭い町だった。
慎太君は、灯台のところまで来ると、
「後ろ姿がしゃれとったから、貴ちゃんだとすぐわかったわ。あれ、藍川、おまん、なに正座しちょるの?」
かなりかわいそうな沙紀ちゃんだった。
「夕日がきれいなんで眺めていたんだ」
「さすが、東京モンは、言うことが違うし。当たり前すぎて見飽きたわ」と言った。
しばらく、慎太君は、サイクリングクラブのことを一通りしゃべると、
「暗くなると、お囃子の船が綺麗だぞ。それ見物するといいわ」と帰っていった。
もう昔からずっと友達だったかのようだった。
なんか完全に水を差されてしまったので、「行こうか。」と言うと、沙紀ちゃんにしては、珍しくふてくされて、しぶしぶ立ち上がった。
「おなか空いただろ。今日もおかあさんは遅いだろうから、浅葱食堂で食べていくかい?」
というと、即座に、「いや!」と拒絶された。
「沙紀が作ってあげる」「えっ?」僕が、驚いていると、「オムライス、得意だよ。えへん!」
と、とほほ笑んだ。
「それは、楽しみだ。期待しているよ」
「おにいちゃん、ぜったい信じていない」沙紀ちゃんに睨まれた。
「そんなことないよ。おなかすいたから、帰ろうか」
僕達は、にぎやかになりだした漁港を後にして、星を見上げて帰ることにした。
もう、海からの風は、かなり涼しく感じられた。
「あれが、白鳥座だ。」僕が指さすと、「えっどこどこ?」沙紀ちゃんが、眼で追いかける。
その大きな瞳の横顔は、本当に可愛らしくて、愛おしく思えた。
「さて、早く沙紀ちゃんのオムライス食べたいから、行くよ。おんぶはなしね」僕が、どんどん坂を登って行くと、「あっ、待って!」と小走りでついてくる。
「はいっ、お手をどうぞ」僕が、手を差し伸べると、うれしそうな顔で手を握り返してきた。
僕は、その小さな手をそっとつかむと、丘の上の沙紀ちゃんの家に向かって坂道を登っていった。
まだ幼なかった二人が精一杯過ごした、夏の海辺の街の忘れられない一日の終わりだった。




