第41話
海沿いの街は、4年に一度の大祭で華やぎだしていた。
まだ観光客が繰り出すには時間が早いので、混雑は始まっていなかったが。
街中に、年季の入った喫茶店目に付いた。まだ昼には間があったので、入ることにした。
僕が、入ろうとすると、沙紀ちゃんが一瞬躊躇した。
「保護者と一緒じゃないと入っちゃいけないことになっているの」
「僕が、保護者だよ」と言うと、「うん!」沙紀ちゃんが頷く。
「いらっしゃい」店内に入ると、まだ他にお客さんもおらず、上品なマスターがにこやかに出迎えた。
僕は、沙紀ちゃんと窓側に座った。外の華やぎとは、別世界の静寂が支配していた。
ここからだと、岸壁しか見えないが、その向こうに海が広がっているのが、感じられた。
僕は、ぐるっと店内を見回した。結構コーヒーに力を入れているようで、いろいろな豆の種類があった。
沙紀ちゃんは、喫茶店に入ったことがないらしく、緊張気味だった。
「お祭りの見物ですか?」マスターが、水とおしぼりを持ってきて聞いた。
「ええ、僕は、東京からですけど、彼女は、ここの人です」と僕が言うと、
沙紀ちゃんを見て、「ああ、町長のお嬢さんでしたか!」
沙紀ちゃんが「おはようございます」とぺこりと頭を下げる。
さすがに、この街の名士のお譲様だけあって、顔を知られているようだ。
マスターは、僕をじっとみて、
「以前にお会いしたことがありませんでしたっけ?」と聞いた。
「父は、この街が故郷です。僕も、小さい頃はここで夏を過ごしていました」と言うと、
「お父様のお名前は?」と聞いてきた。
「萩原正志です」と僕は、答えると、
「似てらっしゃる。中学で同級でした。彼は、高校で東京へ行かれたが、中学時代は、よくつるんでバカをやった仲です」
マスターは、遠くを見る眼をして言った。
「その息子さんが、もうこんなに大きくなっていたなんて」マスターがしみじみと言った。
僕は、一瞬、同年代の父が、この街で過ごしてきた時間に思いをはせた。人生は続いていく。
「なんにいたしましょう?お好みのコーヒーはございますか」
「コーヒーは、詳しくないんですが、この間飲んだ味が忘れられなくて」
「豆の名前は覚えていますか」
「トラジャという豆です」と言うと、
「ああ、それは幻の豆と言われているトアルコトラジャですか。最近またインドネシアで農園が復活したようですが、田舎では、とても手にはいりません。よほど、コーヒーのお好きな方にごちそうになられたのでしょう」
坂本さんのにこやかな髭づらと、自転車部の部室が浮かんだ。
「似た味なら、マンデリンがございます。トラジャほど洗練されていませんが」
「じゃあ、僕は、それでお願いします。沙紀ちゃんは?」
「コーヒーはあんまり飲んだことないから」と迷っているので、
「アイスココアなどいかがでしょうか。暑くなってきましたし」とマスターが勧めると
「あっそれ、お願いします」と沙紀ちゃんが言った。
「ケーキもあるよ」と僕が言うと、「えーっ、そんなお誘い断れないよぅ」とうれしそうだった。
さすがに、アイスココアとケーキでは、甘すぎると思ったが、沙紀ちゃんに、ショートケーキ、僕は、チーズケーキを頼んだ。
ほどなくして、すばらしいコーヒーの香りがしてきた。
マスターが、丁寧にドリップで入れてくれていた。
僕達のテーブルに、熱いコーヒーと、水滴のついたアイスココア、それから、ケーキがふたつ運ばれてきた。
「わぁ、おいしそう!」たっぷりとクリームがついた、ココアと、ショートケーキに沙紀ちゃんが歓声をあげた。
「でも、またおデブになっちゃう」
「何かレコードをかけましょうか、リクエストはありますか?」
「そうですね。The BeatlesのIn my lifeがあればお願いします」
マスターは、ニコリとほほ笑むと、
「Rubber Soulのアルバムでしたっけ。なるほどうってつけですな」
窓の外の明るい海辺の街、テーブルの向かい側の幸せな少女の笑顔、静かな喫茶店の穏やかな時間。
この海辺の喫茶店で、おいしいコーヒーを味わいながら、かけがいのない人と過ごした、
思えば、宝物のような時間だった。
「神輿がでるまでは、だいぶ時間がりますから、ゆっくりしていってください」
マスターは、冷房を入れてくれた。幸せそうにケーキを食べている女の子を見るのはいいものだ。
こっちまで幸せな気分になってくる。
「沙紀ちゃん、ほっぺにクリームがついているよ」「えっ、どこどこ?」
僕は、沙紀ちゃんの赤ちゃんのようなほっぺに、指を伸ばしてクリームをぬぐうと、
「ほらっ」と、目の前に突き付けた。
沙紀ちゃんは、僕の指ごと、ぱくっと口に入れた。
「こらっ、めっ!」と僕が叱ると、「えへへへ・・・。」と恥ずかしそうに微笑んだ。
ふと、鋭い視線を感じて、窓の外に眼をやると、いつもの二人と眼がった。
見られたくない絶妙のタイミングで里美ちゃんと、典子ちゃんが、覗いていた。
もっとも典子ちゃんは、沙紀ちゃんというよりも、ケーキの方を見つめていたようだが。
里美ちゃんには、しっかりとみられた。彼女の顔が思いっきりこわばっていた。
僕も、顔がひきつっていたかもしれない。
僕が、手をあげて挨拶すると、ぷいっと横を向いて、すたすたと行ってしまった。
典子ちゃんがあわてて、追いかけていった。ケーキに一生懸命の沙紀ちゃんは気が付いていなかった。
僕が、苦笑いしているのを見て、沙紀ちゃんが、「どうしたの?」と聞いてきた。
「里美ちゃんと、典子ちゃんが通っていった」
「ええっ、見られたら、学校で叱られちゃう」
「沙紀ちゃん、そっちの方は、大丈夫だと思うけど・・・」
11時過ぎると、さすがに祭り見物のお客さんで店内が混んできた。
もう少しここにいたい気もしたが、あまりねばるわけにもいかないので、出ることにした。
「また、この街にいらしたら、どうぞお寄りになってください。トラジャを探しておきます」
とマスターに言われた。




