第28話
少し無理をしたせいか、沙紀ちゃんの家までの急坂が足に堪えた。
それでも意地になって登り切り、門に入ると、沙紀ちゃんが飛び出して出迎えた。
今日は、白に水色のセーラーカラーがついたワンピース姿で、相変わらずお人形さんのようだった。
「岬の途中まで走ってきた」と言うと、
「えーっ!起こしてくれれば、沙紀もいっしょに行ったのに」と残念そうだった。
でも、バスはまだ走っていないよ。とは言えなかった。
あいかわらず、にぎやかな朝食をすますと、沙紀ちゃんがおかあさんと、さっそくお弁当作りを始めた。
僕が、「手伝おうか」と言うと、「おにいちゃんは、楽しみに待っていてください」と言われた。
僕は、離れに戻らずにいられなかった。
予備のザックをしょっていこうかと思ったが、山にいくわけではないので、ハヤブサのサドルバッグにショルダーベルトを取り付けて下げていくことにした。
後、ボトルもいっしょに持っていこう。
「今日は、留守番だ。すまない、相棒」ひっそりと離れで佇むハヤブサのサドルを撫でると、沙紀ちゃんの待つ居間へ戻った。
沙紀ちゃんと連れ立って家を出ると、今日も一点も曇りのない夏空だった。
坂の先に広がるキラキラと輝く青い海、真っ白な入道雲、潮のにおいのする風に混じる波の音、降るような蝉の声、麦わら帽子をかぶった白いワンピース姿の女の子、すべてが夏の景色の一部だった。
岬行のバスは、一時間に一本だ。これでも、夏のシーズンだから多い方らしかった。
沙紀ちゃんと並んで、一番後ろの席に座った。
冷房などないので、窓を開けると、再び潮の匂いが飛び込んで来た。
空は、どこまでも明るい夏空が続いていく。
たまには、自分で走らずに、乗せて行ってもらうのもいいものだ。
ハヤブサで走るのと違って、道を読む必要がないので、僕は、窓の外の夏空と入道雲のした、途切れることのない青い海をのんびりと眺めながめていた。
「岬まで行くのは、ほんとうに久しぶりだね」
沙紀ちゃんと寄り添うように、並んで座っても、不思議と、そんなに息苦しい感じはしなかった。
もっとも、あまりじゃれつかれても困るのだが。
「おにいちゃん、覚えている?あの時は、まだ小さかったから」沙紀ちゃんが。少し恥ずかしそうに言った。
なにが?と言おうと思ったが、下手に何も言わないほうが良い気がした。
沙紀ちゃんを泣かせると大変だ。
何しろ、あの大きな眼から大粒の涙を流されると、どうしていいかわからなくなってしまう。
あまり、沙紀ちゃんがしおらしいので、このお人形さんを少しからかってやりたくなった。
「ああ、小さい頃の必殺技は勘弁ね。しばらく、ごはんが食べられなくなる」
「えっ?」
僕は、沙紀ちゃんに耳打ちすると、そっとつぶやいた。
「握りっ屁だけは勘弁」
「えええええ!そんなことしないもん」沙紀ちゃんに、ポシェットで思いっきり叩かれた。
「女の子に、そんなこと言うおにいちゃんは嫌い」
「でも、忘れられないくらい強烈だったし」
「言うのやめないと、またやっちゃうかも!」
沙紀ちゃんがいたずらっぽくいったので、僕達は盛大に笑いあった。
やっぱり沙紀ちゃんといると退屈しない。
にぎやかだったバスのなかも、観光客の大部分が、途中の海水浴場で降りてしまうと、二人の貸切状態だった。
僕は、隣に、沙紀ちゃんの柔らかな感触を感じながらも、できるだけ意識しないようにして、ひたすら窓の外の青い海原を目で追っていた。
沙紀ちゃんも黙って、僕に寄り添っていた。
入道雲の湧き立つ岬への道をのんびりと走る少し古びたバス。
夏色の可愛い少女と、夢にあふれた少年の自分。
なんども繰り返してみたい「今」の時間だった。




