↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/50

第23話

暮れていく山々をぼんやり眺めていると、栄子さんが顔をだした。


「お待たせ。お風呂空いたよ。洗濯モノは、ランドリーのところに干しておいたから。忘れないでもっていってね」


「ありがとうございます。替えがないから、忘れることはありません」


今日のお客さんは、栄子さんと、僕だけのようだった。


夏のスキー場なんて、こんなものなのかもしれない。


風呂は、小学生の頃に来たときよりも、狭く感じた。僕が大きくなったのだが。


ヒグラシの声を聴きながら、ゆっくりと、温泉を堪能できた。


部屋に戻る途中で、夕食の支度のよいニオイがした。そういえば、ここは、なんでも自家製で、料理が自慢なんだっけ。


すぐに、夕食を知らせる鐘の音がして、ダイニングにおりていくと、様々な前菜がならんでいた。


「メインは、信州牛のハーブ焼きです。その前に前菜をどうぞ」


ほどなくして、栄子さんが、チェックのサマードレス姿で現れて、僕の向かいに座った。


しっかりと、お化粧までしていた。僕が、あっけにとられていると、


「貴志さん、グラスを取ってくださる」


「変身しすぎですよ。やりずらいんですけど。」僕が、ワイングラスを持っていくと、


「少年のひと夏の思い出に残してもらうためよ。素敵なお姉さまとしてね」


「最初から充分素敵です」


栄子さんは、一瞬赤くなってうつむくと、うれしそうに、ニコリと笑った。


「信州ワインはおいしいんですが、おふたりとも、未成年なので、リンゴジュースで我慢してください。炭酸でわりますか?」とおじさん。


「お願いします。それだけだと、甘すぎるので、」僕がすかさず言うと、


「お父さんと似て、お味にうるさいようですね。今日は、腕を振るいました」


僕は、ビーフの香草焼き、つまりステーキが最高においしかった。


もっと食べたさそうな顔をしていたのだろう。栄子さんが、少しわけてくれた。


その代り、デザートの杏のタルトは、半分あげた。


こっちは、栄子さんの方がもっと食べたそうだったから。


文句のない食事を楽しみながら、僕は、この旅の体験を二人に語って聞かせた。


とくに、お寺で野宿した話は、大うけだった。


ワッパ熊さんこそ、豪田さんの野宿のスキルは二人とも感心したみたいだった。


豪田さんは、今頃、晩夏の木曽路をひとりで旅をしているのだろうか。


食事が終わって、部屋に戻る途中で、地下のランドリー室へ洗濯モノを取りに行った。


驚いたことに、栄子さんの、洗濯モノといっしょくたにしてロープにほしてあった。


僕は、隣に干してあるレースのついたピンク色の小さな洗濯モノを、できるだけ見ないようにしながら、自分のレーサージャージを外した。


ちょうど、栄子さんも降りてきた。


「あら、よかったら、それも記念にもっていっていいよ」


「ジャージを洗濯していただいただけで充分です」僕は、あさっての方を向いて言った。


部屋に戻ってしばらくすると、案の定、栄子さんが顔を出した。


「さて、少年、恋の相談に乗ってあげよう。写真を見せなさい」


からかわれるのはわかっていたが、僕も栄子さんともう少し話していたかったので、

「別に恋とかそんなんじゃありません。幼馴染の友だちです」と、沙紀ちゃんの写真を見せて、手紙の話をした。


栄子さんは、写真を食い入るように見つめると、「うーん、妹路線かぁ、こういう手があったんだ!」と意味不明なことをつぶやいていた。


なんか、千佳子がもう少し大人になったら、こんな風になりそうだな、と思ってしまった。


そのあと、二人でどうでも良い話を延々とした。栄子さんの美術や、写真の造詣はすごかった。


栄子さんの言ったことをひとつだけ、今でもよく覚えている。


「写真に限らず、ある時間を切り取って永遠に残すって、ある意味、すっごく残酷なことだと思わない?たとえば、ワタシが、おばあさんになって、少年の君が山にむかって、ぐいぐい坂を登っている今日の写真を見た時、なんて思うのかな」


「その時は、僕もおじいさんですよ」僕は、外しているのをあえて承知で言った。


確かに、今のこの時は、その場限りで、もう二度と繰り返すことはできない。


さすがに、10時を過ぎたのでお開きにしようとしたが、終わり際に、もう一回思いっきりからかわれた。


「ねぇ、きみ、キスしたことある?」栄子さんが、正面から僕の顔を見つめて言った。


「なっ、ないですよ」


「練習してみない?」


と栄子さんは、あさっての方を見ながら、小声でつぶやいた。心なしか顔が赤かった。


僕が、固まっていると、


「うそよ、うそ。からかってごめんねぇ。おやすみなさい。」


そう言うと、栄子さんは部屋に戻っていった。


いよいよ明日は、日本海だというのに、その夜はなかなか寝付けなかった。


確かに、「今のこの時間」は、二度と、繰り返すことはできない。何度そうありたいと思っても。


このことが本当にわかったのは、ずっと大人になってからだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。