第21話
今日の目的地、上田ヒュッテは、スキー場の傍なので、街道から少し登らなければならない。
小学生の頃、スキーに連れていってもらっただけなので、場所はうろ覚えだった。
何しろ、一面の雪景色しか覚えていなかった。
今は、一面の緑の高原の夏景色。それでも、うら覚えの標識をたよりに登っていくと、なつかしいログハウスが見えてきた。まだ一時に少し間があった。
ロッジのエントランスの前で、デニムのミニスカート姿のお姉さんがカメラ片手に花の写真を撮っていた。
「こんにちは!」ハヤブサを押しながら、挨拶すると、
「こんにちは。君、その自転車、綺麗だね。もしかしてフランス製?」と聞いてきた。
「一部フランス製です。大部分は、国産で組んでいますが」
「そうなんだ。彼氏が自転車の選手で、良く聞かされるんで覚えちゃった」
「どんな自転車競技をなさっているんですか」
「ロードレース。彼氏というのはうそ。そうだったらいいなって、私が思っているだけ。家庭教師の先生なの」そういうと、お姉さんは。ペロリと舌を出した。
なんとなく、よく知っている人の顔が浮かんだが、これ以上突っ込むのは止めておいた。
「ようこそ。」上田のおじさんが、エントランスに出てきて出迎えてくれた。
「ご無沙汰しています。ちょっと早く着きすぎましたが」
「あら、お客さんだったの。ごめんねぇ。ひきとめちゃって。ワタシもここに泊まってい
るのよ」
おじさんは、僕とハヤブサをじっと見つめると、
「ほんとうに、その自転車で、東京から走ってきてくれたんですね。この間来られたとき
は、小さな小学生だったのに。」と目を細めた。
「さあ、そばを茹でます。あがってください。自転車は、エントランスの中で入れてください。しゃれた自転車ですね」
「食事はありがたいのですが、昨日野宿したので、体が汚れています。シャワーを浴びて着替えたいのですが」
「運動した少年が、多少汚れても、私はきたないとは思いませんが、その方がさっぱりするでしょう。ボイラーはついていますから、シャワーは使えます。一時に昼食をづらします。部屋は、三階を用意しました」
「こっちよ。」お姉さんが、サドルバッグをもってくれた。
「ワタシ、新田栄子。高校2年。家族で毎年、冬にスキーに来るの。今は、両親より一足早く写真を撮りに来ているの」
「もしかして、文久女子高ですか」なんとなく聞いてみた。
「そうよ。そういえば、君、中等部にいたっけ」やっぱり、と思ったが、これ以上は聞けなかった。
「これは、イギリス製だね」と、僕のキャラダイスのサドルバッグをしげしげと見つめて言った。
女子高生がこんなことを知っているようでは、たぶん、世間は広いようで、狭いのだと思った。
シャワーを浴びて、着替えると、さすがに生き返った。
陽子さんがプレゼントしてくれた真っ白なサイクルジャージは、あくまでも明日にとっておいて、自分で買った青いジャージに着替えた。
矢上さんのお古を着ているのが、なんとなく気恥ずかしかったということもある。
ダイニングに行くと、昼食の準備ができていた。
「後で、洗濯をしたいのですが。着替えがないので」
「あ、ワタシ洗っておいてあげるよ。どうせ自分のも洗濯するから」
栄子さんは、気軽に言ってくれたが、なんとなく気恥ずかしかった。
本場信州の蕎麦は、文句なしにおいしかった。
透明感があって、何とも言えないさわやかな蕎麦の香りがした。
聞けば、おじさんの手打ちだそうだ。
お代わりを進められたのをいいことに、3人前くらいは食べてしまったかも知れなかった。
「すっごい食べるんだ。やっぱ男の子だね」と栄子さんに妙に感心された。
ヒュッテの客室の窓から、スキー場のスロープがよく見えた。今は萌えるような緑一面の丘だったが。
ほどなくして、栄子さんが誘いに来た。
「ねえ、サイクリングに行かない。被写体になってよ」
「僕が、ですか?自転車だけの方が」
「充分絵になると思うよ。高原の道を自転車で旅をする少年ってね」
栄子さんは、レンタサイクル。僕は、ハヤブサにボトルの水を満たして、予備のザックを背負った。
「うーん、やっぱり前だけでもバッグがあった方が、絵になるかな」
「はあ、わかりました。」僕は、空のフロントバッグをまた取り付けた。
「もしかして、そのスカートで走るんですか」
「男の子、気になる?」栄子さんは、そういうといたずらっぽくウインクした。
「いや、ぺダリングしずらいかと思って」
「ワタシは、気にならないけど、少年には教育上悪そうだから、お姉さん、着替えるてくるわ」
栄子さんは、そう言うと、部屋に戻っていった。
なんか、いいようにからかわれている気がしたが、嫌な気はしなかった。
ほどなくして、短パンにポロシャツ、両方とも、ラルフローレンポロらしかったが、の栄子さん戻ってきた。
「ワタシ、デブだから、恥ずかしいんだよね」
「別に、ぜんぜんデブには見えませんけど」
「でも、華奢には見えないでしょ」
どうしても、結構な胸の膨らみに目がいってしまい、あわてて目をそらした。
「ふふふ・・否定しないな、少年!」
「さあ、行きましょう」何もかも、見透かされているようで、気恥ずかしくなった僕は、ハヤブサにまたがった。
高原といえども、夏の午後は、さすがに暑かった。
スキー場に向かって登って行くと、すぐに栄子さんが根を上げた。
「ちょっとぉ、少年、待ってよ。置いていかないでぇーっ!」
僕は、上り坂の途中で何度も足をついて待たされた。
「ねえ、こんなことならミニスカートの方が良かったでしょ」
栄子さんが、またウィンクした。やれやれ・・・。
「ねぇ、坂を登っているところを撮りたいの。また登ってきてくれる」
「この坂をまた上るんですかぁ?」
「ねぇ、お願い。後で、ワタシの写真をあげるから」
別にいりませんよとは、言えずに、僕は、素直にもう一度坂を下ると、スタンディングで登りはじめた。
坂の上で、湧き立つ入道雲を背景に栄子さんが、カメラを構えていた。
「いいぞ、すごくいい。絵になる!」お姉さんにそういわれては、頑張らないわけにはいかなった。
「そのまま、登り続けて、こんどは、山を背景に後ろから撮りたい」
僕は、栄子さんを追い越すと、そのまま、登り続けた。
「上で待っていまーす!」
「あっ、こら!か弱い乙女をおいていくなぁ!」
ちなみに、この時の栄子さんの写真、「湧き立つ入道雲に向かって急坂を登って行くサイクリストの写真」は、コンクールで賞をもらった。
僕にとっても、あの夏の旅の、数少ない思い出の写真になった。




