第10話
期末テストも終わり、夏休みまで数日に迫った日だった。
刺すような日差しの夏空を眩しそうに見上げながらポストを開けると、沙紀ちゃんからの手紙が来ていた。
やけに、封筒が膨らんでいると思ったら、手縫いの可愛い子犬のマスコットが出てきた。
貴にいちゃん
お手紙を読んでびっくりしました。
自転車で、日本を横断して、来てくれるってほんとうですか。
父も母も驚いています。
一生懸命お守りを作りました。
わたしは、何もできないけど、一緒に連れて行ってくれるとうれしいです。
どうか、くれぐれも気を付けて。
会えるのを楽しみにしています。
でもほんとに来てくれたら泣いちゃうかも。
藍川沙紀
さっそく僕は、フロントバッグの後ろポケットの右側に、コンパスと一緒にしまった。
「もうひとり、連れて行くよ」僕は、ハヤブサのフロントバックを撫でた。
沙紀ちゃんの大きな瞳が山の向こうから見守ってくれているように感じた。
一学期の終業式の後、クラスメート達に散々激励された。
校門を出たところで、久しぶりに千佳子が待っていた。
あの雨の日いらい、なんとなく気まずくなってロクに千佳子と話をしていなかった。
沸き立つ入道雲と、千佳子の真っ白な夏服のブラウスが同じ色だった。
彼女は、今日はポニーテールにしていた。並んで歩きながら、
「ほんとに行くんだ。自転車で日本海まで」
「ああ、そんなに大変でもないみたいだよ。矢上さんなら、一日ちょっとで走るって言っ
ていた」
「付属中学でもないのに、なんでそんなに大学生と仲良しなの」
「自転車の仲間だもの。この旅を応援してくれているんだ。すごく感謝している」
「なんか遠くなっちゃったね」千佳子が目を伏せた。
「夏休みはどうするの?」僕は、話題を変えたくて、あえて聞いてみた。
「特に萩原君みたいに予定はないの。毎日同じことしていると思う」
「じゃあ、帰ったら、一緒にプールに行けるね」
「えっ?」千佳子が驚いて僕の顔を見た。
僕と一瞬目が合うと、すぐにまた目を伏せてしまった。
「おいおい、帰ってくるに決まっているだろ、だから旅なんだ」
これは、100%坂本さんの受け売りだったけど。
千佳子は頷くと、突然、「これ、お守り。気をつけてね!」と、手縫いの子猫のアクセサリーを差し出した。
「必ず無事に帰って来てね。約束だよ」
「ありがとう。約束する」
「水着買わなきゃ」千佳子が小声でつぶやいた。
やれやれ、また旅の仲間が増えた。なんか子犬と子猫じゃ喧嘩しそうだな。
帰り道、いつもの饒舌な千佳子に戻っていた。
「萩原君が、言ったでしょ。自分を変えたいって、あれ、すっごく私も思った。その第一歩」
僕は、あえてどう変わりたいのかは聞かなかった。
「自分の力でひとり旅かぁ、いいなぁ。萩原君ほんとにすごいよ。応援しているよ」
千佳子は、別れ際に何度も手を振りながら、
「忘れちゃいやだよ。こっちのことも。プールに行くの約束だよ!」
「ああ、じゃあ、夏の終わりに」
千佳子が一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐに笑顔にもどって、
「気をつけてね。帰って来るのを待っているから」
僕は、片手をあげて応えると、もう振り返らずに歩き出した。
矢上さんの影響かもしれなかったが。
「いっしょにプールに行くの、約束だよ!」
また後ろで千佳子の声が聞こえたが、すぐに蝉の合唱にかき消されてしまった。
旅立ちの準備をしなければ。
蝉しぐれに急き立てられるように、僕は、小走りに駆けていた。
まぶしい夏空の下どこまでも伸びていくあの入道雲に向かって。
まだ見ぬ山の向こうを、自分自身の目で見る旅が始まった。




