表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ごはん革命  作者: Sen
8/36

かまど

 フェルメリアへ来てから、数日が過ぎた。


 碧とリゼは、一日ごとに交代でオステリア・ジーノへ働きに出ることにした。


 片方が店へ行き、片方が空き家を直す。


 次の日は逆。


 ジーノはそれを聞いて、


「あぁ、いいよ」


 とだけ言った。


 それ以上、何も聞かなかった。


     ◇


 その日は、碧が空き家に残る日だった。


 朝、リゼは少し緊張した様子で布袋を肩に掛けていた。


「じゃあ、行ってきます」


「おう。気をつけて」


「碧さんも、屋根から落ちないでくださいね」


「落ちないって」


 そう返した碧の頭上で、屋根の板がぎし、と鳴った。


 リゼは無言で碧を見た。


「……はい、気をつけます」


「ふふっ」


 リゼは小さく笑ってから、オステリア・ジーノの方へ歩いていった。


 その背中が通りの向こうへ消える。


 碧は空き家を見回した。


 数日前まで廃墟だった場所は、少しずつ形を変えていた。


 窓には布が掛かり、床の埃もかなり減った。


 隣の家から外した板で、壁の穴も少し塞がっている。


 でも、まだ家とは言い切れない。


「……よし」


 碧は腕まくりをした。


 今日の目標は決まっている。


 竈を使えるようにすることだった。


     ◇


 台所らしき場所には、古い竈が残っていた。


 石を積んだだけの簡素なものだ。


 所々崩れていて、煤もひどい。


 そばには、第五話で見つけた煤だらけの鉄釜が置かれている。


 深くて丸い。


 何度見ても、飯を炊く釜にしか見えなかった。


「これ、絶対そうだよな……」


 碧は釜の内側を覗き込む。


 焦げ跡が残っていた。


 煮込み鍋とは違う。


 底の焦げ方が、妙に見覚えのある形をしている。


「でも、米がないんだよな」


 そう呟いた時だった。


「なに一人でしゃべってんの」


 背後から声がした。


「うわっ」


 振り返ると、ルカが割れた窓枠の上に座っていた。


 相変わらず、いつ来たのか分からない。


「お前、ほんと音しないな」


「碧が鈍いだけ」


 ルカはそう言って、ひょいと床へ降りた。


 手には短い縄と、小さな袋を持っている。


「それ何?」


「拾った。使う?」


「使う」


「じゃあパンちょーだい」


「取引早いな」


 碧は苦笑しながら、昨日の残りの黒パンを少し渡した。


 ルカはそれを受け取り、端を齧る。


「それ、直すの?」


「竈な。ここ使えれば、家で料理できるだろ」


「料理」


 ルカは少し不思議そうに竈を見る。


「外で焼けばいいじゃん」


「雨の日困るだろ」


「雨の日は食べなきゃいい」


「いや食べろよ」


 碧が思わず言うと、ルカは肩をすくめた。


「食べられるなら食べるけど」


 その言い方が、妙に軽かった。


 碧は少しだけ黙る。


 ルカにとって食事は、楽しいものというより、あれば口に入れるものなのかもしれない。


「……まあ、今日はここを使えるようにする」


「ふぅん」


 ルカは興味なさそうに返したが、その場から離れなかった。


     ◇


 竈の修繕は、思ったより大変だった。


 崩れた石を運び出す。


 煤を掻き出す。


 隙間へ粘土を詰める。


 煙が逃げる穴を確認する。


 碧は何度も咳き込みながら作業した。


「げほっ……煤やば」


「顔、真っ黒」


「笑うな」


「笑ってない」


 ルカは笑っていた。


 夕方になる頃には、竈はなんとか形を取り戻した。


 碧は額の汗を拭う。


「……火、入れてみるか」


 小枝を組み、ルカが拾ってきた縄の切れ端をほぐして火種にする。


 火打石はルカのものを借りた。


 ぱち。


 火花が散る。


 何度か失敗して、ようやく小さな火がついた。


 煙が上がる。


 碧とルカは揃って天井を見た。


 煙は少し部屋へ戻ったが、ほとんどは竈の奥へ抜けていった。


「……いける」


「ちょっと煙いけどね」


「まあ、廃墟にしては上出来だろ」


「まだ廃墟って言うんだ」


「家って言うにはもう少し足りない」


 碧はそう言って、釜を竈に乗せた。


 ぴたりとはまる。


「……やっぱりこれ用じゃん」


 思わず声が出た。


 ルカは首を傾げる。


「それ、そんなに珍しい?」


「珍しいっていうか……俺の知ってる道具に似てる」


「どこの?」


 碧は言葉に詰まった。


 どこの、と聞かれても答えようがない。


 日本。


 現実。


 電車で寝る前までいた場所。


 それをどう説明すればいいのか分からなかった。


「……遠いところ」


「ふぅん」


 ルカはそれ以上聞かなかった。


     ◇


 夜、リゼが帰ってきた。


 手には布包みを抱えている。


「ただいま戻りました」


「おかえり」


 碧が返すと、リゼは少しだけ目を丸くした。


 それから、竈を見てさらに驚いた。


「……直したんですか?」


「たぶん使える」


「すごい……」


 リゼは近づいて、竈の周りを覗き込む。


 煤で黒くなった碧の顔を見て、少し笑った。


「顔、真っ黒です」


「さっきルカにも言われた」


「だって真っ黒だもんね」


 いつの間にか、ルカは棚の上にいた。


 リゼはもう驚かなくなっていた。


 布包みを机へ置く。


「ジーノさんが、余りを持たせてくれました」


 中には豆の煮込みと、野菜の切れ端、それに小さな肉片が入っていた。


「いいおやじさんだよな」


「はい」


 リゼは素直に頷いた。


 碧は竈を見る。


 火はまだ小さく残っている。


「……じゃあ、今日はここで温め直すか」


 その言葉に、リゼの耳がぴくりと動いた。


「ここで?」


「せっかく直したし」


 碧は鍋を乗せた。


 火が鍋底を舐める。


 煮込みが温まり、少しずつ湯気が立ってくる。


 空き家の中に、食べ物の匂いが広がった。


 今までの埃っぽい匂いとは違う。


 温かい、暮らしの匂いだった。


「……なんか」


 リゼが小さく呟く。


「本当に、家みたいですね」


 碧は鍋を混ぜながら笑った。


「だから言っただろ。そのうちよくなるって」


 ルカは棚の上から、じっと鍋を見ている。


「ルカも食う?」


「……食べる」


 いつもの返事だった。


     ◇


 三人は、直したばかりの竈のそばで夕食を食べた。


 黒パンは相変わらず硬い。


 煮込みも、店の味そのままだ。


 でも、温め直しただけで、昼よりずっと美味く感じた。


 リゼは両手で器を持ち、湯気に目を細めている。


 ルカは床に座り、黙々と食べている。


 碧は釜を横目で見た。


 いつか、あれで米を炊ける日が来るのだろうか。


 そもそも、この世界に米はあるのだろうか。


 分からない。


 けれど、今は火がある。


 鍋がある。


 食べる相手がいる。


 それだけで、昨日より少し進んだ気がした。


 窓の外では、フェルメリアの夜が静かに降り始めていた。


 空き家の中では、竈の火が小さく揺れている。


 その火の明かりが、三人の影を壁へ映していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ