狐の少女
朝、碧が目を覚ますと、窓の外はもう明るくなっていた。
ぼんやりしたまま身体を起こそうとして、すぐ隣に温もりがあることに気づく。
「……うお」
思わず変な声が出た。
リゼがびくっと肩を揺らす。
長い耳も跳ねた。
「す、すみません!」
「いやなんで謝るんだよ」
碧は苦笑した。
昨夜は狭いベッドで無理やり二人並んで寝たのだ。
近いのは当たり前だった。
だがリゼはかなり気まずそうに身体を離す。
耳まで赤い。
碧は寝癖だらけの頭を掻きながらベッドを降りた。
「……腹減った」
第一声がそれだった。
リゼは一瞬ぽかんとして、それから少し吹き出した。
◇
宿を出る頃には、フェルメリアの街はもう動き始めていた。
朝の冷たい空気の中を、けん車が何台も通っていく。
商人たちの怒鳴り声。
荷下ろしの音。
焼いた何かの匂い。
碧は屋台から漂ってくる香りへ視線を向けた。
「……あれうまそう」
「お腹空いてばっかりですね」
「お腹空きすぎて死にそう」
リゼは少し困ったように笑った。
二人は通り端の屋台へ寄った。
鉄板の上で平たい生地が焼かれている。
香ばしい匂いが立っていた。
「焼き麦パンだな。二枚で銅貨一枚」
店主が言う。
碧にはまだ高いのか安いのか分からない。
だがリゼは少し迷ってから頷いた。
「……二枚お願いします」
受け取った焼き麦パンは熱かった。
碧は齧って目を丸くする。
「……うま」
「昨日のパンよりは柔らかいですから」
リゼも小さく齧る。
昨日より少しだけ、表情が穏やかだった。
碧は歩きながら聞いた。
「リゼって、なんでフェルメリア来たんだ?」
リゼの耳が小さく揺れる。
「……働くためです」
「仕事?」
「春に学校を出て、それから探してました」
「へぇ」
「でも、ポルトヴェラだと獣人の仕事、少ないので……」
リゼはパンを見ながら言った。
「荷運びとか、港の仕事とか、それくらいしかなくて」
「それでフェルメリア?」
「獣人でも働けるって聞いたので」
碧は少し考える。
「……じゃあ、結構覚悟決めて来たんだな」
リゼは少しだけ困ったように笑った。
「どうなんでしょう」
その笑い方は、どこか曖昧だった。
◇
家探しは、宿探しよりもっと難しかった。
「高っ」
碧が思わず声を上げる。
市場近くの部屋は、とても払える値段ではなかった。
獣人街へ入っても、それほど変わらない。
狭い。
古い。
それでも高い。
「フェルメリア、人多いので……」
リゼが小さく言う。
二人は獣人街のさらに外れまで歩いていた。
石畳は途中から土道へ変わり、建物も少しずつ古くなっていく。
洗濯物の揺れる細い路地。
崩れかけた壁。
人気の少ない通り。
そして。
「……なんだここ」
碧は立ち止まった。
空き家が並んでいた。
五軒、六軒。
屋根が崩れた家。
窓の割れた家。
半分壁が剥がれている家。
完全に放置されている。
「誰も住んでないんですかね……」
リゼが不安そうに呟く。
碧は一軒へ近づいた。
扉を押す。
ぎぃ、と嫌な音を立てて開いた。
中は埃だらけだった。
けれど。
「……あれ」
碧は部屋の奥を見る。
古い竈。
崩れかけた棚。
そして、その隅。
煤だらけの鉄釜のようなものが置かれていた。
「なんだこれ」
リゼも覗き込む。
「鍋……?」
「いや、なんか違うな」
碧は釜を軽く叩いた。
深い。
丸い。
妙に見覚えがある。
「……これ、米炊くやつじゃね?」
「コメ?」
またその言葉だった。
リゼは不思議そうに首を傾げる。
碧は釜を見つめる。
なんでこんなものがある?
こののあたり、米なんて食べてる人いなさそうなのに。
その時だった。
「それ、まだ使えるよ」
後ろから声がした。
二人同時に振り向く。
崩れかけた壁の上。
そこへ、小柄な少女が座っていた。
少し茶色がかった銀色の髪。
細い狐耳。
大きな尾が、ゆらゆら揺れている。
少女はじっと碧たちを見下ろしていた。
「あと、その家の梁は腐ってるから。住むなら隣の方がいいよ」
そう言って、狐耳の少女はにやりと笑った。




