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ごはん革命  作者: Sen
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働いた後の皿

 数日後。


 空き家群の軒下には、琥珀色の稲束が並んでいた。


 風が通るたび、かさ、と乾いた音がする。


 碧はその下に立って、一本の束に手を伸ばした。


 指で触れる。


 乾いているような気もする。


 まだ湿っているような気もする。


「……分からん」


 思わず呟く。


 隣でリゼが木板を抱えていた。


 そこには、どの軒下に何束吊るしたか、炭で細かく印がつけてある。


「こちらは、三日前に吊るした分ですね」


「三日で乾くのかな」


「分かりません。でも、昨日より軽くなっています」


 リゼは束を持ち上げて、少しだけ首を傾げた。


「風が通る場所の方が早いみたいです」


「ちゃんと記録してるの、すごいな」


「あとで分からなくなると困りますから」


 リゼは少し照れたように耳を動かした。


 その横で、ルカが別の束へ近づく。


 鼻先を寄せる。


「それ、まだ」


「え?」


「こっちはいける」


 ルカは迷わず別の束を指した。


 碧は二つを見比べる。


 正直、違いはよく分からない。


「なんで分かるんだ?」


「匂いが違う」


「匂い?」


「まだのやつは、重い匂いがする」


 ルカはそう言って、いけると言った束を軽く揺らした。


 かさ、と乾いた音がした。


 碧も鼻を近づけてみる。


 分かるような、分からないような。


「……俺にはまだ難しいな」


「碧、鼻弱い」


「人間だからな」


「大変」


「今ちょっと馬鹿にした?」


「してない」


 ルカはそっぽを向いた。


 だが、尾は少しだけ揺れていた。


     ◇


 その日の昼営業後。


 乾きの良い稲束だけを選び、オステリアの裏手へ運んだ。


 全部ではない。


 リゼの記録と、ルカの鼻で選んだ分だけだ。


 リゼは木板を見ながら言う。


「今日は、軒下の東側から十二束。家の間から八束。土間に仮置きしていたものは、まだ少し湿っています」


「分かった」


「あとで、処理した分も記録します」


「頼む」


 リゼは小さく頷いた。


 もう、ただ数を数えているだけではない。


 どこに吊るしたものが早く乾いたか。


 どれを処理したか。


 どれを残したか。


 それを見ている。


 米は、少しずつ食べ物になる前に、管理するものになり始めていた。


     ◇


 オステリアの裏手には、すでに何人かが来ていた。


 マルタ。


 ミーナ。


 ダリオ。


 そして、ルカが連れてきた子供たちのうち、三人ほど。


 ノーラもいた。


 オステリアの裏手で、袋と木皿の数を数える係だ。


「今日は少ないの?」


 ノーラが聞く。


「乾いた分だけだからな」


「いっぱい干してたのに」


「全部いっぺんにやると、また大変になる」


「ふうん」


 ノーラは納得したのかしていないのか分からない顔で、木皿を並べ始めた。


 マルタはそれを見て、短く笑う。


「数える子がいると楽だね」


「ノーラ、よく見てるんです」


 リゼが言うと、ノーラは少し得意げにした。


「間違えないし」


「間違えたら大変だよ」


 マルタが言う。


「間違えないってば」


 そのやり取りを見て、碧は少し笑った。


     ◇


 しばらくして、グレーテが来た。


 片手に、布で包んだ道具を抱えている。


「持ってきたぞ」


「改良版ですか?」


「試しの二つ目だ」


 グレーテは布を開いた。


 前の道具に似ている。


 浅い木の器。


 底の石板。


 溝。


 木の棒。


 だが、少し違っていた。


 棒が細く、前より軽い。


 溝は深くなっている。


 石板の端には、小さな留め具がついていた。


「石板、外せるようにした」


「替えられるんですか?」


「割れたり、目が合わなかったりしたら替える。全部作り直すよりましだ」


「すごい……」


「すごくない。面倒を減らしただけだ」


 グレーテはいつもの顔で言う。


「棒も軽くした。使うやつが下手でも、前より割れにくいはずだ」


「……俺のことですか?」


「お前のことだ」


「即答……」


 ルカが横から言う。


「碧、下手だから」


「お前まで」


 グレーテはルカを見る。


「なら、お前も使え」


「食べられるならやる」


「働け」


「それ、前も言われた」


「何度でも言う」


 マルタが後ろで笑った。


「いい職人だね。口は悪いけど」


「そっちも大概だろ」


 グレーテはマルタを見た。


「大鍋屋だ。口が強くないと鍋を守れないよ」


「道具屋も同じだ」


 二人は一瞬だけ睨み合った。


 碧はなぜか、二人が少し気が合いそうだと思った。


     ◇


 作業が始まった。


 まず、乾いた稲束から籾を落とす。


 ダリオが束を叩く。


 最初は力任せだった。


「強すぎる」


 ルカが言った。


「え?」


「粒、飛ぶ」


 その直後、籾が布の外へ散った。


 ノーラがすぐに声を上げる。


「あー、こぼした」


「悪い悪い」


「拾うのこっちなんだけど」


「すまんって」


 ダリオは苦笑しながら、次から少し力を抑えた。


 ミーナは落ちた籾を木皿へ集め、軽いものを分ける。


 リゼはその横で、処理した束の数を記録する。


「十二束のうち、まず三束」


 炭で印をつける。


 その動きは、前よりずっと自然だった。


 ミーナがリゼの手元を見て言う。


「リゼさん、こっちは処理済みでいいですか?」


「はい。そちらは印を一つ足します」


「分かりました」


 ミーナは他の獣人たちへ声をかける。


「処理した束はこっち。まだのものと混ぜないで」


 リゼが少しだけ目を丸くする。


 自分が見ているものを、ミーナが自然に助けてくれている。


 そのことが、少し嬉しかった。


     ◇


 次に、グレーテの改良道具を使った。


 碧が籾を少し入れる。


 棒を溝に沿わせる。


 前より軽い。


 手元が逃げにくい。


 ごり。


 ごり。


 音がする。


 碧は前より慎重に転がした。


「どうですか?」


 リゼが覗き込む。


「まだ分からない」


「強い」


 ルカがすぐ言った。


「え、そうか?」


「その音、割れる」


 碧は慌てて力を抜く。


 皿へ出すと、確かに少し割れた粒が混ざっていた。


「……ほんとだ」


「言った」


 ルカは少し得意げだった。


 グレーテがルカを見る。


「耳もいいのか」


「音、違う」


「なら、お前が横で聞け」


「食べられるなら」


「働けと言ってる」


 ルカは不満そうにしながらも、碧の隣に座った。


 それからは、碧が棒を転がすたびに、


「強い」


「軽い」


「それ」


「もういい」


と短く言った。


 碧はその声に従う。


 不思議なことに、割れる粒は少し減った。


 グレーテは腕を組んで、それをじっと見ていた。


「……なるほどな」


「何がですか?」


「道具だけじゃ足りん。使うやつの感覚もいる」


「それは、まあ」


「感覚があるやつが横につけば、下手なやつでも少しましになる」


「下手なやつって俺ですよね」


「そうだ」


 碧はもう反論しなかった。


     ◇


 作業は少しずつ形になっていった。


 ダリオが束を叩く。


 ミーナが籾を集める。


 リゼが数を記録する。


 ノーラが木皿と袋の数を数える。


 ルカが音を聞く。


 碧が道具を動かす。


 グレーテが割れた粒を見て、石板の目を確かめる。


 マルタは全体を見て、時々声を飛ばす。


「ダリオ、力任せにしない」


「子供たちは布の内側に入らない」


「リゼ、記録するなら座ってやりな。立ったままだと落とすよ」


 誰も、完全には慣れていない。


 けれど、収穫の日とは違う。


 今日は、ただ集まっているだけではなかった。


 流れがある。


 順番がある。


 役割がある。


 マルタがふと呟いた。


「飯屋というより、食べ物を作る場所になってきたね」


 碧は手を止める。


「食べ物を作る場所……」


「そうだよ。鍋に入れる前から、もう始まってる」


 マルタは前と同じように言った。


 碧は木皿の中の白い粒を見る。


 米は、料理だけではない。


 刈る。


 干す。


 落とす。


 擦る。


 選る。


 記録する。


 その全部があって、ようやく鍋に入る。


 分かっていたつもりだった。


 でも、今日になってやっと少しだけ実感した。


     ◇


 夕方前。


 木椀には、前より多い白い粒が溜まっていた。


 もちろん、まだ完璧ではない。


 割れたものもある。


 殻が残ったものもある。


 でも、米入りの煮込みを作るには十分だった。


 ジーノはその量を見ると、短く頷いた。


「今日は大鍋でやる」


「足りますか?」


「足りねぇ」


「ですよね」


「だから薄く伸ばす」


「言い方」


「飯はそういうもんだ」


 ジーノは大鍋に豆のスープを入れた。


 鳥出汁を足す。


 玉ねぎを入れる。


 米を入れる。


 碧は横で火加減を見る。


 ルカが鍋の匂いを嗅いだ。


「まだ?」


「まだだ」


「そっか」


 少し待つ。


 豆と米がとろりと馴染んでいく。


 ジーノはセレナのチーズを少し削って入れた。


 香草を最後に散らす。


 大鍋の中に、米入りの煮込みができた。


 白い粒は少ない。


 でも、前より確かに多い。


     ◇


 働いた人たちに、小さな器が配られた。


 一人分は多くない。


 それでも、全員に少しずつ行き渡った。


 ダリオが一口食べる。


「……ああ」


「どうですか?」


 碧が聞く。


「仕事のあとにいいな、これ」


 ダリオは器を覗き込んだ。


「もっと量あったら、普通に金払うぞ」


 碧は少し固まった。


「金を?」


「だって、腹に残るし。パンより温まる」


 近くにいた獣人の男も頷く。


「寒い日にいいな」


 ミーナもゆっくり食べてから言う。


「香草とチーズがあると、食べやすいです」


 ノーラは器を両手で持ち、真剣に中身を見ていた。


「少ない」


「全員に配るとこうなるんだよ」


「もっと作ればいい」


「それが大変なんだって」


「じゃあ、もっと数える」


「数えたら増えるわけじゃないぞ」


「でも、なくなる前にわかる」


 碧は少し驚いて、ノーラを見た。


 ノーラは当たり前のように器を抱えている。


 リゼが隣で、静かに微笑んだ。


「そうですね。数えると、なくなる前に分かります」


「ほら」


 ノーラは少し得意げだった。


     ◇


 ブルーノとカーロも、遅れて器を受け取った。


 ブルーノは一口食べて、しばらく黙った。


「どうですか?」


 碧が聞く。


「温かいですね」


「はい」


「それに、腹に残ります」


「よかったです」


 ブルーノは器を見つめた。


「これが街道で食べられたら、助かるでしょうね」


「街道で?」


「けん車を引いていると、温かいものをゆっくり食べられる場所は少ないです。特に、荷を見ながら休める場所は」


 碧は少しだけ黙った。


 街道。


 けん車。


 荷を見ながら休める場所。


 その言葉が、頭の中に小さく残る。


 カーロも頷いた。


「冷えたパンばかりだと、足が重くなります」


「足が?」


「引くので」


「あ……そうか」


 碧は、けん車を引く犬人たちの脚を見る。


 ブルーノも、カーロも、ずっと歩いて荷を運んでいる。


 自分たちが米を運んでもらっている相手。


 その人たちが、街道でどんなものを食べているのか。


 碧は、今まであまり考えていなかった。


     ◇


 鍋は空になった。


 器を持った人たちは、まだどこか名残惜しそうだった。


 セレナは満足げに頷いている。


「ほら、売れるって言ったでしょ?」


 ジーノは空の鍋を見ていた。


「まだ売らねぇ」


「えー」


「えーじゃねぇ。量が足りねぇ。粒の状態も割れたり殻が残ってたりで安定してねぇ。道具も足りねぇ」


「でも、欲しい人いるよ?」


「だからだ」


 ジーノは碧を見た。


「欲しがるやつがいるなら、半端なもんは出せねぇ」


 碧は黙って頷いた。


 それは、厳しい言葉だった。


 でも、ジーノらしい言葉だった。


 ただ出せばいいわけではない。


 売るなら、また食べたいと思った人に、ちゃんと出せるだけの形がいる。


 ジーノは少し間を置いた。


「ただし」


 碧が顔を上げる。


「値段は考える」


 セレナがぱっと笑った。


「ほら!」


「うるせぇ」


 ジーノはすぐに言った。


 だが、完全に否定はしなかった。


     ◇


 夜。


 片づけが終わる頃、リゼは木板に今日の分の印をつけていた。


「処理した束、十一。残りは、まだ干したまま。白い粒にした分は、全部使いました」


「全部か」


「はい。でも、籾のまま残した分があります」


「籾のまま?」


 碧が聞き返す。


 リゼは頷いた。


「全部をすぐ白い粒にしなくてもいいのでは、と思って」


 碧は一瞬、言葉を失った。


 それから、ゆっくり頷く。


「そうか。籾のままなら、保存できるかもしれない」


「はい。乾いたものから、必要な分だけ白い粒にすればいいと思います」


 碧は木板を見る。


 吊るした束。


 処理した束。


 籾のまま残した分。


 白い粒にした分。


 米が、少しだけ未来へ残せるものになっている。


「リゼ、すごいな」


「そんなことは……」


「いや、本当に」


 リゼは少しだけ耳を伏せた。


 でも、嬉しそうだった。


 ルカが横から言う。


「じゃあ、明日も食べられる?」


「そのために残すんだよ」


「食べるために残す」


「そう」


「いいね」


 ルカは満足そうに頷いた。


     ◇


 碧は、空になった鍋と、木板の印を見比べた。


 食べればなくなる。


 でも、残し方を覚えれば、明日につながる。


 白いごはんを食べたかっただけだった。


 それだけだったはずなのに。


 今は、誰かが刈った束を、誰かが干し、誰かが数え、誰かが運び、誰かが道具を作り、誰かが鍋を回している。


 米は、もう一皿の中だけには収まらなくなっていた。


 それでも、今日の一皿は確かにあった。


 働いたあとの小さな器。


 少ないのに、腹に残る温かさ。


 それを欲しがる人たちの声。


 碧は小さく息を吐いた。


 まだ売り物ではない。


 でも、もう売り物になる前の場所までは来ている。


 オステリアの灯りの下で、空になった大鍋が静かに光っていた。

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