まかない
翌日。
碧は、小さな木椀を布で包んでいた。
中には、昨夜グレーテの試しの道具で取った白い粒が少しだけ入っている。
割れた粒。
殻が残った粒。
それから、比較的きれいに取れた粒。
全部を少しずつ分けてある。
「食べないの?」
棚の上でルカが言った。
「これはグレーテさんに見せる分」
「食べられるのに」
「見せないと直してもらえないだろ」
「……ちょっとなら」
「だめ」
ルカは不満そうに尾を揺らした。
リゼはその様子を見て、小さく笑う。
「ルカさん、本当に米が好きなんですね」
「好きじゃない」
「好きじゃないんですか?」
「……食べたいだけ」
「それを好きって言うんだよ」
碧が言うと、ルカはぷいっと顔を背けた。
◇
グレーテの金物屋は、朝から鉄の音がしていた。
かん、かん、と短く響く音。
碧たちが入ると、グレーテは作業台から顔を上げた。
「来たか」
「はい。昨日の結果を持ってきました」
碧が木椀を差し出す。
グレーテは中身を見た。
米を食べ物として見るというより、道具の結果として見ている目だった。
「割れが多いな」
「やっぱりですか」
「力を入れすぎだ」
「……おれですかね」
「お前だろうな」
即答だった。
碧は少し肩を落とす。
ルカが横から言う。
「碧、下手」
「言わなくていい」
「事実」
「グレーテさんみたいなこと言うな」
グレーテは籾の殻が残った粒をつまみ、指先で転がした。
「石の目も少し粗い。棒も重い。使い手が慣れてないなら、もう少し軽い方がいい」
「直せますか?」
「直す」
グレーテは作業台に木炭で線を引いた。
浅い木の器。
底の石板。
棒の溝。
鉄の留め具。
「一台だけなら、手癖で作れる」
グレーテは言う。
「だが、二台目、三台目を作るなら寸法がいる」
「二台目?」
碧は聞き返した。
「壊れたら困るだろ」
「あ、はい」
「それに、使うやつが変わるたびに結果が変わりすぎる道具はだめだ。誰が使っても、ある程度同じように殻が割れる形にする」
グレーテは棒の部分へ線を足す。
「棒を軽くする。溝を深くする。石板は外して替えられるようにする。留め具の形も揃える」
「揃えるんですか?」
「当たり前だ。毎回違う形にしたら、直す時に面倒だ」
グレーテは碧を見る。
「職人の勘だけで作る道具は、数を増やせない」
碧は少しだけ黙った。
数を増やす。
今はまだ、そんなことを考えているわけではない。
ただ白いごはんを食べたいだけだ。
けれど、グレーテはもう、道具を一つではなく、同じ形で作れるものとして見ている。
「……すごいですね」
碧が呟くと、グレーテは眉をひそめた。
「すごくはない。壊れた時に困らないようにするだけだ」
「それがすごいんです」
「変な褒め方をするな」
グレーテはそう言って、木椀を返した。
「次は、割れた粒も持ってこい。どう割れたか見れば、どこが悪いか分かる」
「分かりました」
「あと、食うなら少し残せ」
グレーテが言う。
ルカがぴくっと反応した。
「残すの?」
「道具を直すには失敗したものがいる」
「……少しだけなら」
「お前に言ってない」
碧とリゼは、思わず笑った。
◇
昼営業が終わったオステリアは、少しだけ静かだった。
玉ねぎのズッパ。
豆のスープ。
香草チーズ。
忙しい時間が過ぎ、厨房には鍋の底に残ったスープと、端に寄せられたパンくずがあった。
碧は、グレーテに見せた米の残りを持ってきていた。
ジーノがそれを見る。
「前より食い物っぽくなったな」
「褒めてます?」
「褒めてる」
「本当かな……」
ジーノは米を指でつまんだ。
「これだけで出すには少ないな」
「はい」
「殻も残ってる」
「はい」
「割れてる粒もある」
「はい」
「客に出すにはまだ早い」
「……ですよね」
碧は少しだけ肩を落とした。
分かっていた。
まだ売り物にはならない。
白いごはんとして出せるほど綺麗でもない。
量もない。
けれど、ジーノは鍋の底を木匙で軽く叩いた。
「まかないなら使える」
「まかない?」
「あぁ」
ジーノは残った豆のスープを見た。
「これに入れろ。割れてても、スープなら気になりにくい」
碧は鍋を見る。
豆。
玉ねぎ。
鳥出汁。
アイナの香草。
そこへ米を入れる。
白いごはんとは違う。
でも、たしかに食べられそうだった。
「……リゾットみたいになるかも」
「リゾ、と?」
「あ、俺のいたところの料理です。米をスープで煮るやつ」
「なら、それでいいだろ」
ジーノはあっさり言った。
◇
碧は鍋に残った豆のスープへ、少し鳥出汁を足した。
火にかける。
そこへ、洗った米を入れる。
米だけで炊くには少ない。
けれど、スープの中に入れると、急に頼もしく見えた。
木匙でゆっくり混ぜる。
焦がさない。
底に沈めすぎない。
割れた米が少しずつスープを吸っていく。
豆と玉ねぎの匂いに、米の甘い匂いが混ざった。
「いい匂いです」
リゼが言う。
ルカは無言で鍋を見ていた。
「近い」
碧が言う。
「見てるだけ」
「だから見る距離じゃない」
ジーノは棚から少しだけチーズを取った。
「入れてみろ」
「セレナさんのチーズですか?」
「あぁ。まかないだ。少しならいい」
碧はチーズを細かく割って、鍋に落とした。
白いかけらが溶けて、スープに少し丸みが出る。
最後に香草を少し。
とろりとした、豆と米の煮込みができた。
碧は木匙で掬う。
これは、自分の知っている白いごはんではない。
でも、間違いなく米の料理だった。
◇
営業後。
四人は厨房の隅で、まかないを食べた。
碧。
リゼ。
ルカ。
そしてジーノ。
ジーノは器を受け取ると、まず匂いを嗅いだ。
「悪くねぇな」
「食べる前から分かるんですか?」
「匂いでだいたい分かる」
そう言って、一口食べる。
少し黙る。
「……これだけで食うより、こっちの方がごまかせるな」
「言い方」
「褒めてる」
「絶対褒め方下手ですよね」
ジーノはもう一口食べた。
「割れた粒も、スープなら悪くねぇ。腹にも溜まる」
その評価は、とてもジーノらしかった。
リゼは両手で器を持ち、ゆっくり食べている。
「優しい味ですね」
「スープが元だからかな」
「お腹が温まります」
ルカは黙って食べていた。
器を抱え込むようにして、木匙を動かしている。
「どう?」
碧が聞く。
「もっと」
「まだ聞いてる途中だろ」
「もっと食べたい」
「分かりやすいな」
ルカは器を見つめたまま言った。
「これ、粒いっぱい入れた方がおいしい」
「それは俺もそう思う」
「じゃあいっぱい入れて」
「米が足りないんだよ」
「取る」
「簡単に言うな」
けれど、碧は少し笑ってしまった。
ルカの言い方は乱暴だ。
でも、間違ってはいない。
もっと食べたいなら、もっと取るしかない。
◇
その時だった。
「なにそれー?」
店の方から声がした。
セレナだった。
カウンターに残って、エールを飲んでいたらしい。
いつの間にか厨房の入口まで来ている。
ジーノが顔をしかめた。
「客は厨房入るな」
「入ってないよー。ここは入口」
「同じだ」
「それ、なに?」
セレナの視線は、四人の器に釘付けだった。
碧は少し困って答える。
「まかないです」
「まかない?」
「売り物じゃないです」
「なんで?」
即答だった。
「なんでって……まだちゃんと作れないし、量も少ないし、殻も残るし」
「ふぅん」
セレナは碧の器を覗き込む。
「一口」
「え」
「一口ちょーだい?」
「いや、これ俺の……」
「一口だけ!ね?いいでしょ?」
圧が強い。
碧が助けを求めてジーノを見ると、ジーノは面倒そうに肩をすくめた。
「……一口だけだぞ」
「やった」
セレナは木匙で少し掬い、口へ入れた。
豆と米。
チーズ。
香草。
少しだけ残る殻の食感。
セレナは黙って噛んだ。
そして、目を少し細める。
「……これ、売りなよー、客が食べられないなんてもったいないよ」
「早い」
碧は思わず言った。
「まだ一口しか食べてないですよ」
「一口で分かるよ」
セレナは器を指差す。
「これ、腹に溜まる。酒のあとにもいい。寒い日に絶対出る」
「でも量が」
「じゃあ量を取ればいいじゃん」
「それが大変なんです」
「じゃあ人を集めなよ」
「簡単に言いますね……」
「簡単じゃないから、噂にするんでしょ」
セレナはにやりと笑った。
ジーノが低く言う。
「勝手に広めるなよ」
「えー、なんで?」
「人を呼ぶなら、条件を決めてからだ」
「条件?」
セレナが首を傾げる。
ジーノは空になりかけた鍋を見た。
「ただで草を刈らせるわけにはいかねぇ。飯は出す。少し銅貨も出す。刃物を持たせる相手は選ぶ」
碧は少し驚いてジーノを見た。
「ジーノさん、そこまで考えてたんですか?」
「考えてねぇと揉めるだろ」
ジーノは面倒そうに言った。
「飯目当てで来たやつに、飯がなかったら喧嘩になる。銅貨が出ると思って来たやつに、出ねぇと言えば揉める。刃物で怪我人が出たら、こっちの責任になる」
「……現実的ですね」
「店は現実で回ってんだよ」
セレナは楽しそうに笑った。
「じゃあ、こう言えばいい?」
そして、指を一本立てる。
「碧を手伝えば、ジーノのスープと、例の白い粒のまかないを少し食べられる。銅貨もちょっと出る。刃物を使える人は刈る。子供は拾うだけ」
ジーノはしばらく黙った。
「……余計なことは足すなよ」
「分かってるって」
「信用できねぇ」
「でも、そのくらいなら言っていい?」
ジーノは碧を見る。
碧は少し迷った。
人を集める。
自分が食べたかっただけの米のために。
けれど、もう三人だけでは足りないことも分かっている。
「……ちゃんと食べてもらえるなら」
碧は言った。
「手伝ってくれた人には、ちゃんと」
ジーノは短く頷いた。
「なら、そういう話にしろ」
セレナはぱっと笑った。
「任せて。美味しいものの噂を広げるの、得意だから」
「だから余計なことは言うなって言ってんだろ」
「言わない言わない」
セレナは手をひらひら振った。
「ちょっとしか」
「おい」
碧は器を見下ろした。
「俺は、ただ食べたかっただけなんですけど」
「それでいいじゃん」
セレナはあっさり言った。
「あんたが食べたかったものを、うちも食べたいって言ってるだけ」
碧は言葉に詰まった。
自分だけの懐かしさ。
自分だけの白いごはん。
そう思っていたものが、少しずつ他の人の手を通り、今はセレナに「食べたい」と言われている。
それは不思議だった。
少し怖くて。
少し嬉しかった。
◇
ジーノは腕を組んだ。
「売るなら数がいる」
「はい」
「味も安定してねぇ」
「はい」
「値段も決められねぇ」
「はい」
「だから、まだ売らねぇ」
碧は少しほっとした。
けれど、ジーノは続ける。
「ただ、客が欲しがるなら話は別だ」
「え」
「まずは、まかないだ。次に、手伝ったやつに食わせる。それで反応を見る」
ジーノはセレナを見る。
「お前、余計なこと言いすぎるなよ」
「分かってるって」
「信用できねぇ」
「でもさ」
セレナは笑った。
「フェルメリアで美味しいものの噂が広がるの、早いよ?」
その言葉は、冗談のようで、冗談ではなかった。
碧は、ルカを見る。
ルカは器を抱えたまま、真剣な顔で言った。
「人、呼ぶ?」
「まだ呼ばない」
「市場の子なら来る」
「だからまだ」
「食べられるって言えば来る」
碧は額を押さえた。
「お前も広める側か……」
リゼがくすっと笑う。
「でも、人手が必要なのは本当ですよね」
「そうなんだよな」
碧は鍋の中を見る。
もうほとんど残っていない。
まかないとして作った米入りの煮込みは、あっという間になくなりそうだった。
◇
その夜。
家へ戻る道で、碧はまだ鍋の匂いを思い出していた。
豆の味。
チーズの塩気。
香草の匂い。
そして、その中に混ざった米。
それは、碧が知っている白いごはんではなかった。
元の世界の味そのものではない。
けれど、米だった。
碧が諦めたくなかった白い粒が、この世界の鍋の中で、別の形になっていた。
それが少し不思議で、少しだけ嬉しかった。
「碧」
隣を歩くルカが言う。
「ん?」
「明日も作る?」
「米があればな」
「じゃあ取る」
「やっぱりそうなるよな」
碧は苦笑した。
リゼはその横で、静かに言う。
「手伝ってくれる人、集まるでしょうか」
「どうだろう」
碧は空を見上げた。
秋の夜の空は高い。
月は少し欠けていた。
「でも、集めないと足りないな」
白いごはんを食べたかっただけだった。
それだけだったはずなのに。
気づけば、道具ができた。
稲束が増えた。
けん車が関わった。
まかないになった。
そして今度は、人手が必要になっている。
碧は小さく息を吐いた。
「大変だな、米って」
「でも食べる」
ルカが即答する。
「はいはい」
碧は笑った。
その後ろで、オステリア・ジーノの灯りが、夜のフェルメリアに小さく揺れていた。




