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ごはん革命  作者: Sen
22/36

まかない

 翌日。


 碧は、小さな木椀を布で包んでいた。


 中には、昨夜グレーテの試しの道具で取った白い粒が少しだけ入っている。


 割れた粒。


 殻が残った粒。


 それから、比較的きれいに取れた粒。


 全部を少しずつ分けてある。


「食べないの?」


 棚の上でルカが言った。


「これはグレーテさんに見せる分」


「食べられるのに」


「見せないと直してもらえないだろ」


「……ちょっとなら」


「だめ」


 ルカは不満そうに尾を揺らした。


 リゼはその様子を見て、小さく笑う。


「ルカさん、本当に米が好きなんですね」


「好きじゃない」


「好きじゃないんですか?」


「……食べたいだけ」


「それを好きって言うんだよ」


 碧が言うと、ルカはぷいっと顔を背けた。


     ◇


 グレーテの金物屋は、朝から鉄の音がしていた。


 かん、かん、と短く響く音。


 碧たちが入ると、グレーテは作業台から顔を上げた。


「来たか」


「はい。昨日の結果を持ってきました」


 碧が木椀を差し出す。


 グレーテは中身を見た。


 米を食べ物として見るというより、道具の結果として見ている目だった。


「割れが多いな」


「やっぱりですか」


「力を入れすぎだ」


「……おれですかね」


「お前だろうな」


 即答だった。


 碧は少し肩を落とす。


 ルカが横から言う。


「碧、下手」


「言わなくていい」


「事実」


「グレーテさんみたいなこと言うな」


 グレーテは籾の殻が残った粒をつまみ、指先で転がした。


「石の目も少し粗い。棒も重い。使い手が慣れてないなら、もう少し軽い方がいい」


「直せますか?」


「直す」


 グレーテは作業台に木炭で線を引いた。


 浅い木の器。


 底の石板。


 棒の溝。


 鉄の留め具。


「一台だけなら、手癖で作れる」


 グレーテは言う。


「だが、二台目、三台目を作るなら寸法がいる」


「二台目?」


 碧は聞き返した。


「壊れたら困るだろ」


「あ、はい」


「それに、使うやつが変わるたびに結果が変わりすぎる道具はだめだ。誰が使っても、ある程度同じように殻が割れる形にする」


 グレーテは棒の部分へ線を足す。


「棒を軽くする。溝を深くする。石板は外して替えられるようにする。留め具の形も揃える」


「揃えるんですか?」


「当たり前だ。毎回違う形にしたら、直す時に面倒だ」


 グレーテは碧を見る。


「職人の勘だけで作る道具は、数を増やせない」


 碧は少しだけ黙った。


 数を増やす。


 今はまだ、そんなことを考えているわけではない。


 ただ白いごはんを食べたいだけだ。


 けれど、グレーテはもう、道具を一つではなく、同じ形で作れるものとして見ている。


「……すごいですね」


 碧が呟くと、グレーテは眉をひそめた。


「すごくはない。壊れた時に困らないようにするだけだ」


「それがすごいんです」


「変な褒め方をするな」


 グレーテはそう言って、木椀を返した。


「次は、割れた粒も持ってこい。どう割れたか見れば、どこが悪いか分かる」


「分かりました」


「あと、食うなら少し残せ」


 グレーテが言う。


 ルカがぴくっと反応した。


「残すの?」


「道具を直すには失敗したものがいる」


「……少しだけなら」


「お前に言ってない」


 碧とリゼは、思わず笑った。


     ◇


 昼営業が終わったオステリアは、少しだけ静かだった。


 玉ねぎのズッパ。


 豆のスープ。


 香草チーズ。


 忙しい時間が過ぎ、厨房には鍋の底に残ったスープと、端に寄せられたパンくずがあった。


 碧は、グレーテに見せた米の残りを持ってきていた。


 ジーノがそれを見る。


「前より食い物っぽくなったな」


「褒めてます?」


「褒めてる」


「本当かな……」


 ジーノは米を指でつまんだ。


「これだけで出すには少ないな」


「はい」


「殻も残ってる」


「はい」


「割れてる粒もある」


「はい」


「客に出すにはまだ早い」


「……ですよね」


 碧は少しだけ肩を落とした。


 分かっていた。


 まだ売り物にはならない。


 白いごはんとして出せるほど綺麗でもない。


 量もない。


 けれど、ジーノは鍋の底を木匙で軽く叩いた。


「まかないなら使える」


「まかない?」


「あぁ」


 ジーノは残った豆のスープを見た。


「これに入れろ。割れてても、スープなら気になりにくい」


 碧は鍋を見る。


 豆。


 玉ねぎ。


 鳥出汁。


 アイナの香草。


 そこへ米を入れる。


 白いごはんとは違う。


 でも、たしかに食べられそうだった。


「……リゾットみたいになるかも」


「リゾ、と?」


「あ、俺のいたところの料理です。米をスープで煮るやつ」


「なら、それでいいだろ」


 ジーノはあっさり言った。


     ◇


 碧は鍋に残った豆のスープへ、少し鳥出汁を足した。


 火にかける。


 そこへ、洗った米を入れる。


 米だけで炊くには少ない。


 けれど、スープの中に入れると、急に頼もしく見えた。


 木匙でゆっくり混ぜる。


 焦がさない。


 底に沈めすぎない。


 割れた米が少しずつスープを吸っていく。


 豆と玉ねぎの匂いに、米の甘い匂いが混ざった。


「いい匂いです」


 リゼが言う。


 ルカは無言で鍋を見ていた。


「近い」


 碧が言う。


「見てるだけ」


「だから見る距離じゃない」


 ジーノは棚から少しだけチーズを取った。


「入れてみろ」


「セレナさんのチーズですか?」


「あぁ。まかないだ。少しならいい」


 碧はチーズを細かく割って、鍋に落とした。


 白いかけらが溶けて、スープに少し丸みが出る。


 最後に香草を少し。


 とろりとした、豆と米の煮込みができた。


 碧は木匙で掬う。


 これは、自分の知っている白いごはんではない。


 でも、間違いなく米の料理だった。


     ◇


 営業後。


 四人は厨房の隅で、まかないを食べた。


 碧。


 リゼ。


 ルカ。


 そしてジーノ。


 ジーノは器を受け取ると、まず匂いを嗅いだ。


「悪くねぇな」


「食べる前から分かるんですか?」


「匂いでだいたい分かる」


 そう言って、一口食べる。


 少し黙る。


「……これだけで食うより、こっちの方がごまかせるな」


「言い方」


「褒めてる」


「絶対褒め方下手ですよね」


 ジーノはもう一口食べた。


「割れた粒も、スープなら悪くねぇ。腹にも溜まる」


 その評価は、とてもジーノらしかった。


 リゼは両手で器を持ち、ゆっくり食べている。


「優しい味ですね」


「スープが元だからかな」


「お腹が温まります」


 ルカは黙って食べていた。


 器を抱え込むようにして、木匙を動かしている。


「どう?」


 碧が聞く。


「もっと」


「まだ聞いてる途中だろ」


「もっと食べたい」


「分かりやすいな」


 ルカは器を見つめたまま言った。


「これ、粒いっぱい入れた方がおいしい」


「それは俺もそう思う」


「じゃあいっぱい入れて」


「米が足りないんだよ」


「取る」


「簡単に言うな」


 けれど、碧は少し笑ってしまった。


 ルカの言い方は乱暴だ。


 でも、間違ってはいない。


 もっと食べたいなら、もっと取るしかない。


     ◇


 その時だった。


「なにそれー?」


 店の方から声がした。


 セレナだった。


 カウンターに残って、エールを飲んでいたらしい。


 いつの間にか厨房の入口まで来ている。


 ジーノが顔をしかめた。


「客は厨房入るな」


「入ってないよー。ここは入口」


「同じだ」


「それ、なに?」


 セレナの視線は、四人の器に釘付けだった。


 碧は少し困って答える。


「まかないです」


「まかない?」


「売り物じゃないです」


「なんで?」


 即答だった。


「なんでって……まだちゃんと作れないし、量も少ないし、殻も残るし」


「ふぅん」


 セレナは碧の器を覗き込む。


「一口」


「え」


「一口ちょーだい?」


「いや、これ俺の……」


「一口だけ!ね?いいでしょ?」


 圧が強い。


 碧が助けを求めてジーノを見ると、ジーノは面倒そうに肩をすくめた。


「……一口だけだぞ」


「やった」


 セレナは木匙で少し掬い、口へ入れた。


 豆と米。


 チーズ。


 香草。


 少しだけ残る殻の食感。


 セレナは黙って噛んだ。


 そして、目を少し細める。


「……これ、売りなよー、客が食べられないなんてもったいないよ」


「早い」


 碧は思わず言った。


「まだ一口しか食べてないですよ」


「一口で分かるよ」


 セレナは器を指差す。


「これ、腹に溜まる。酒のあとにもいい。寒い日に絶対出る」


「でも量が」


「じゃあ量を取ればいいじゃん」


「それが大変なんです」


「じゃあ人を集めなよ」


「簡単に言いますね……」


「簡単じゃないから、噂にするんでしょ」


 セレナはにやりと笑った。


 ジーノが低く言う。


「勝手に広めるなよ」


「えー、なんで?」


「人を呼ぶなら、条件を決めてからだ」


「条件?」


 セレナが首を傾げる。


 ジーノは空になりかけた鍋を見た。


「ただで草を刈らせるわけにはいかねぇ。飯は出す。少し銅貨も出す。刃物を持たせる相手は選ぶ」


 碧は少し驚いてジーノを見た。


「ジーノさん、そこまで考えてたんですか?」


「考えてねぇと揉めるだろ」


 ジーノは面倒そうに言った。


「飯目当てで来たやつに、飯がなかったら喧嘩になる。銅貨が出ると思って来たやつに、出ねぇと言えば揉める。刃物で怪我人が出たら、こっちの責任になる」


「……現実的ですね」


「店は現実で回ってんだよ」


 セレナは楽しそうに笑った。


「じゃあ、こう言えばいい?」


 そして、指を一本立てる。


「碧を手伝えば、ジーノのスープと、例の白い粒のまかないを少し食べられる。銅貨もちょっと出る。刃物を使える人は刈る。子供は拾うだけ」


 ジーノはしばらく黙った。


「……余計なことは足すなよ」


「分かってるって」


「信用できねぇ」


「でも、そのくらいなら言っていい?」


 ジーノは碧を見る。


 碧は少し迷った。


 人を集める。


 自分が食べたかっただけの米のために。


 けれど、もう三人だけでは足りないことも分かっている。


「……ちゃんと食べてもらえるなら」


 碧は言った。


「手伝ってくれた人には、ちゃんと」


 ジーノは短く頷いた。


「なら、そういう話にしろ」


 セレナはぱっと笑った。


「任せて。美味しいものの噂を広げるの、得意だから」


「だから余計なことは言うなって言ってんだろ」


「言わない言わない」


 セレナは手をひらひら振った。


「ちょっとしか」


「おい」


 碧は器を見下ろした。


「俺は、ただ食べたかっただけなんですけど」


「それでいいじゃん」


 セレナはあっさり言った。


「あんたが食べたかったものを、うちも食べたいって言ってるだけ」


 碧は言葉に詰まった。


 自分だけの懐かしさ。


 自分だけの白いごはん。


 そう思っていたものが、少しずつ他の人の手を通り、今はセレナに「食べたい」と言われている。


 それは不思議だった。


 少し怖くて。


 少し嬉しかった。


     ◇


 ジーノは腕を組んだ。


「売るなら数がいる」


「はい」


「味も安定してねぇ」


「はい」


「値段も決められねぇ」


「はい」


「だから、まだ売らねぇ」


 碧は少しほっとした。


 けれど、ジーノは続ける。


「ただ、客が欲しがるなら話は別だ」


「え」


「まずは、まかないだ。次に、手伝ったやつに食わせる。それで反応を見る」


 ジーノはセレナを見る。


「お前、余計なこと言いすぎるなよ」


「分かってるって」


「信用できねぇ」


「でもさ」


 セレナは笑った。


「フェルメリアで美味しいものの噂が広がるの、早いよ?」


 その言葉は、冗談のようで、冗談ではなかった。


 碧は、ルカを見る。


 ルカは器を抱えたまま、真剣な顔で言った。


「人、呼ぶ?」


「まだ呼ばない」


「市場の子なら来る」


「だからまだ」


「食べられるって言えば来る」


 碧は額を押さえた。


「お前も広める側か……」


 リゼがくすっと笑う。


「でも、人手が必要なのは本当ですよね」


「そうなんだよな」


 碧は鍋の中を見る。


 もうほとんど残っていない。


 まかないとして作った米入りの煮込みは、あっという間になくなりそうだった。


     ◇


 その夜。


 家へ戻る道で、碧はまだ鍋の匂いを思い出していた。


 豆の味。


 チーズの塩気。


 香草の匂い。


 そして、その中に混ざった米。


 それは、碧が知っている白いごはんではなかった。


 元の世界の味そのものではない。


 けれど、米だった。


 碧が諦めたくなかった白い粒が、この世界の鍋の中で、別の形になっていた。


 それが少し不思議で、少しだけ嬉しかった。


「碧」


 隣を歩くルカが言う。


「ん?」


「明日も作る?」


「米があればな」


「じゃあ取る」


「やっぱりそうなるよな」


 碧は苦笑した。


 リゼはその横で、静かに言う。


「手伝ってくれる人、集まるでしょうか」


「どうだろう」


 碧は空を見上げた。


 秋の夜の空は高い。


 月は少し欠けていた。


「でも、集めないと足りないな」


 白いごはんを食べたかっただけだった。


 それだけだったはずなのに。


 気づけば、道具ができた。


 稲束が増えた。


 けん車が関わった。


 まかないになった。


 そして今度は、人手が必要になっている。


 碧は小さく息を吐いた。


「大変だな、米って」


「でも食べる」


 ルカが即答する。


「はいはい」


 碧は笑った。


 その後ろで、オステリア・ジーノの灯りが、夜のフェルメリアに小さく揺れていた。

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