試しの道具
翌朝。
碧たちは、グレーテの金物屋へ向かった。
家の壁際には、三日分の稲束が立てかけてある。
小鎌で刈ったもの。
リゼが束ねたもの。
ルカが選んだもの。
ブルーノのけん車で運ばれてきたもの。
前よりは多い。
けれど、それはまだ食べ物ではなかった。
ただの草の束だった。
◇
金物屋へ入ると、鉄と炭の匂いがした。
奥の作業台に、グレーテが立っている。
「来たか」
「はい」
碧が返事をすると、グレーテは台の上を顎で示した。
そこには、見慣れない道具が置かれていた。
浅い木の器。
底には、ざらついた石がはめ込まれている。
縁は少し高く、左右に細い溝があった。
その上に、丸い木の棒が一本置かれている。
一部だけ、鉄の留め具で補強されていた。
「これが……」
「試しだ」
グレーテは短く言った。
「ちゃんとした道具じゃない。まずは、使えるかどうかを見る」
碧は道具を覗き込む。
思ったより単純だった。
でも、その単純さが逆に本物らしく見えた。
「思ったより、簡単な形なんですね」
「簡単な方が直しやすい」
グレーテは木の棒を持ち上げた。
「押し潰すな。転がせ」
「転がす」
「そうだ。力を入れすぎると中まで割れる。軽すぎると殻が残る」
そう言いながら、グレーテは碧が持ってきた籾を少し入れた。
木の棒を溝に沿わせる。
ごり、ごり。
小さな音がした。
「音を聞け」
「音?」
「殻が割れる音と、粒が潰れる音は違う」
碧には、まだ全然分からなかった。
ただ、グレーテの手元では、籾の殻だけが少しずつ割れていく。
粉挽き屋の石臼とは違う。
全部を潰すのではなく、外側だけを擦っている。
グレーテは木の棒を止め、器の中身を浅い皿へ移した。
息を軽く吹く。
籾殻がふわっと浮いた。
中に、白に近い粒が混ざっている。
「……おお」
碧は思わず声を漏らした。
「白い」
「まだ殻も残ってる」
グレーテは冷静だった。
「割れたのもある。だが、手で剥くよりは早いだろ」
「早いです」
碧は頷いた。
胸が少し高鳴っていた。
◇
「やってみろ」
グレーテに言われ、碧は木の棒を握った。
籾を少し入れる。
棒を溝に合わせる。
転がす。
ごり。
「強い」
グレーテが即座に言った。
「あ、はい」
碧は慌てて力を抜く。
今度は軽すぎた。
籾がそのまま逃げる。
「軽い」
「難しいな……」
「当たり前だ」
グレーテは腕を組んだ。
「道具は勝手に仕事しない。使うやつが下手なら、下手な結果になる」
「厳しい……」
「事実だ」
碧はもう一度やる。
ごり、ごり。
今度は少しだけ音が変わった気がした。
皿へ出す。
リゼが覗き込む。
「割れている粒がありますね」
「こっちは、まだ殻が残ってます」
ルカも横から見る。
「これ、だめ」
「これも」
「早いな、お前」
「見れば分かる」
ルカは当然みたいに言った。
グレーテがルカを見る。
「目がいい」
「別に」
「なら、選る係は決まりだな」
「食べる係がいい」
「働け」
ルカは不満そうにした。
碧とリゼは少し笑った。
◇
試しの道具を布で包んで、碧たちは金物屋を出た。
もちろん、ただではない。
碧の手持ちは少し軽くなった。
だが、不思議と後悔はなかった。
リゼが包みを見ながら言う。
「これで、前よりたくさん作れますか?」
「たぶん」
「たぶんですね」
「今はまだ、たぶんしか言えない」
碧が苦笑すると、ルカが横から言った。
「早くやる」
「帰ってからな」
「今やる?」
「道端でやるな」
「けち」
「けちじゃない」
三人はそんな話をしながら、家へ戻った。
◇
その夜。
家の床に布を広げる。
壁際には、三日分の稲束。
碧たちは、まず穂から籾を落とした。
前よりも手際は良くなっている。
碧が束を押さえ、リゼが粒を落とし、ルカが軽い穂を弾く。
布の上に、籾が少しずつ溜まっていった。
それを、グレーテの試作品へ入れる。
碧は木の棒を握った。
「いくぞ」
「はい」
「割らないで」
「プレッシャーかけるな」
碧はゆっくり転がした。
ごり。
ごり。
乾いた音がする。
力を入れすぎない。
でも、軽すぎない。
音を聞く。
グレーテが言っていたことを思い出す。
殻が割れる音。
粒が潰れる音。
まだ分からない。
でも、少しだけ、違う気がした。
「……こんな感じか?」
皿へ移す。
ルカが息を吹きかける。
籾殻が舞った。
リゼが顔を背ける。
「また耳に……」
「耳便利」
「便利じゃないです……」
耳に付いた籾殻を、リゼがぱたぱたと落とす。
ルカは皿を覗き込み、素早く粒を分けていく。
「割れてる」
「これはまだ」
「これはいい」
「ほんと早いな」
「食べるから」
その言葉は、もうほとんど理由になっていた。
◇
作業は、楽ではなかった。
木の棒を転がし続けると、腕が疲れる。
籾殻は飛ぶ。
石の隙間に粒が詰まる。
強すぎれば割れる。
弱すぎれば殻が残る。
途中でルカがやってみた。
意外にも、力加減がうまかった。
「こう?」
ごり、ごり。
皿へ出すと、割れた粒は碧の時より少ない。
「……うまいな」
「別に」
「いや、うまい」
「食べるから」
「それ強いな」
リゼは選り分けた粒を、小さな木椀へ移していく。
割れた粒。
殻が残った粒。
白に近い粒。
三つの山ができる。
前より、ずっと早い。
前より、ずっと多い。
それでもまだ、たくさんとは言えない。
だが、確実に増えていた。
◇
夜が深くなる頃。
木椀の底には、前より多い白い粒が溜まっていた。
碧はそれをじっと見る。
「……炊ける」
思わず呟いた。
ルカの耳がぴくっと動く。
「炊く?」
「少しだけな」
「やる」
「即答」
リゼも少し嬉しそうに頷いた。
「私も食べたいです」
碧は小さな鍋を出した。
米を洗う。
水は白く濁る。
殻はまだ少し混ざっている。
割れた粒もある。
完全ではない。
けれど、前よりずっと白い。
前よりずっと米に近い。
鍋に水を入れ、竈にかける。
火を見ながら、碧はじっと待った。
しばらくすると、甘い匂いがした。
湯気が立つ。
リゼの耳が立つ。
ルカの尾が揺れる。
その光景を見て、碧は少しだけ笑った。
◇
炊き上がった米は、まだ理想とは遠かった。
少し割れている。
殻の残った粒もある。
炊き上がりも、碧の知っている白いごはんほど綺麗ではない。
でも、前より柔らかかった。
前より甘かった。
そして、前より多かった。
「いただきます」
碧が言う。
「いただきます」
リゼも続く。
「……いただきます」
ルカも小さく言った。
三人は、湯気の立つ米を口に入れる。
しばらく、誰も話さなかった。
「……うまい」
最初に言ったのは、碧だった。
それは、客観的な評価ではなかった。
まだ完璧じゃない。
殻もある。
食感も少し悪い。
でも、それでも。
自分が諦めたくなかったものに、少し近づいていた。
「前よりおいしいです」
リゼが言う。
「うん」
ルカは黙って食べていた。
「どう?」
碧が聞くと、ルカは器を抱えたまま言った。
「もっと食べたい」
「だと思った」
碧は笑った。
◇
食べ終えたあと、三人はしばらく道具を眺めていた。
浅い木の器。
ざらついた石。
丸い木の棒。
鉄の留め具。
ただそれだけの道具。
けれど、それがあったから、昨日より多く白い粒に近づけた。
「グレーテさんにも、食べてもらいますか?」
リゼが言った。
「うーん……まだ怒られそうだな」
「下手だって?」
ルカが言う。
「絶対言う」
碧が答えると、リゼが小さく笑った。
でも、いつか食べてもらいたいとは思った。
グレーテは米を知らない。
ただ、道具を作っただけだ。
けれど、その道具がなければ、今日の米はなかった。
小鎌で刈り。
リゼが束ね。
ルカが選び。
ブルーノが運び。
グレーテの道具で殻を外した。
碧が食べたかっただけの白いごはんは、少しずつ、碧だけでは届かないものになっていた。
けれど、それは嫌ではなかった。
竈の火が小さく揺れる。
家の中には、米の湯気の匂いがまだ残っている。
碧は、試しの道具に手を置いた。
まだ遠い。
でも、前よりは近い。
それだけで、今夜は十分だった。




