刈る手
グレーテから小鎌を買った翌日。
昼営業が終わると、碧はすぐに小鎌を布で包んだ。
厨房では、ジーノが鍋の底を木匙でこそいでいる。
「行くのか」
「はい」
「指落とすなよ」
「怖いこと言わないでください」
「刃物は怖いもんだ」
ジーノはそれだけ言うと、また鍋へ視線を戻した。
リゼは束ねるための紐を持っている。
ルカは袋を抱えていた。
「ルカも来るのか?」
「食べたいから行かなきゃ」
「分かりやすいな」
「大事」
ルカは当然みたいに言った。
◇
街道脇の低地には、今日も琥珀色の穂が揺れていた。
秋の水はほとんど引いている。
ただ、ところどころに浅い水たまりが残り、足元の土はまだ少し柔らかかった。
碧は小鎌を取り出す。
短い柄。
曲がった刃。
昨日までは、ただ机の上で光っていただけの道具だった。
今は、それを実際に使う。
「……怖いな」
「気をつけてくださいね」
リゼが心配そうに言う。
「分かってる」
碧は穂の根元を軽く束ね、刃を入れた。
ざく。
思ったより簡単に切れた。
「お……」
手で折るより、ずっと早い。
碧は少し嬉しくなる。
もう一度。
ざく。
また切れる。
「すごいですね」
リゼが目を丸くした。
「道具ってすごいな」
碧は素直にそう思った。
だが、すぐに分かった。
楽になったわけではない。
速くなっただけだ。
腰をかがめ続けると痛い。
足元は滑る。
刈った穂はばらける。
刃物を持っているから、ルカが近づくたびにひやっとする。
「近い近い」
「見てるだけ」
「見る距離じゃない」
ルカは少し不満そうに下がった。
◇
最初の日は、ほとんど練習で終わった。
碧が刈る。
リゼが揃えて束ねる。
ルカが実入りのよさそうな穂を選ぶ。
自然と、そういう形になっていった。
「これは軽い」
ルカが一本を弾く。
「これはいっぱい入ってる」
「ほんとに分かるのか?」
「分かる」
「すごいな」
「別に」
ルカはそっぽを向きながら、実の詰まった穂だけを袋へ入れていく。
リゼは束ねた稲を見ながら、少し首を傾げた。
「この向きで揃えた方が、あとで粒を外しやすそうです」
「確かに」
「あと、紐はここで結んだ方が崩れません」
「リゼ、こういうの得意だな」
「そうでしょうか」
リゼは少しだけ照れたように耳を動かした。
その日の帰り道。
三人が抱えて帰れた稲束は、思ったほど多くなかった。
手で折った時よりは多い。
でも、白いごはんにしたらどれくらいになるのか。
そう考えると、碧は少しだけ黙ってしまった。
◇
二日目。
碧は少しだけ小鎌に慣れていた。
昨日より刃の入れ方が分かる。
どこを掴むと切りやすいかも分かる。
リゼの束ね方も、昨日よりずっと綺麗だった。
ルカはもう完全に、食べられそうな穂を選ぶ係になっていた。
「これ、だめ」
「鳥に食われてる?」
「うん」
「よく見てるな」
「いっぱい食べたい」
「ほんとに分かりやすいな……」
碧は笑いながらも、手は止めなかった。
小鎌があるだけで、確かに前へ進んでいる。
だが、問題はすぐ別のところから出てきた。
運べない。
刈れば刈るほど、稲束は増える。
増えれば増えるほど、持ち帰るのが大変になる。
腕に抱えると、穂先がこぼれる。
歩けば籾が落ちる。
リゼもルカも抱えられる量には限界がある。
「……刈ったあとも問題なのか」
碧が呟いた、その時だった。
街道から車輪の音が聞こえた。
見ると、犬人の男が一人でけん車を引いている。
荷台には、カンポリア産らしい玉ねぎの木箱と麦袋が積まれていた。
男は低地にいる三人を見ると、足を止めた。
茶色い毛並み。
太い肩。
革紐を肩に掛け、荷車を引いている。
「……あなたが、例の草刈り人間ですか」
「え?」
碧は小鎌を持ったまま顔を上げた。
「例の?」
「はい。街道の者の間で少し話になっております。フェルメリアの近くで、水鳥の草を集めている人間がいると」
「そんな噂になってるんですか……」
「珍しいですから」
犬人の男は丁寧に頭を下げた。
「私はブルーノと申します。カンポリア西部からフェルメリアへ荷を運んでおります」
「碧って言います」
「存じております。例の草刈り人間ですから」
「……それ、やめません?」
リゼが小さく笑った。
ルカはブルーノをじっと見ている。
ブルーノはルカへ一瞬視線を向けたが、すぐに碧へ戻した。
「それ、街まで運ばれるのですか」
「はい。持って帰るつもりです」
「その量を、手で?」
「……そのつもりでした」
ブルーノは稲束を見た。
それから、荷台を振り返る。
「荷台が少し空いております。それくらいなら載せられますよ。街道から大きく外れないなら、フェルメリアまでお運びします」
「いいんですか?」
「荷物が少ないよりは、ちょっとでも積んだ方がましですから」
碧はほっとした。
「助かります。運賃はどれくらいですか?」
「草に運賃をいただくのも妙ですね、まあでも、荷は荷ですね」
ブルーノは真面目な顔で言った。
「ただし」
「はい」
「市場を通さない荷は、あまり目立つと面倒になります」
碧は首を傾げる。
「ただの草でも?」
「ただの草なら、問題ありません」
「なら……」
「ただ、荷台に乗せて何度も運べば、草でも荷に見えます」
碧は少し引っかかったが、それ以上は聞かなかった。
◇
三日目。
碧たちは、前よりも手際よくなっていた。
碧が刈る。
リゼが束ねる。
ルカが選ぶ。
長い旅路を終えたけん車引きは、数日ほどフェルメリアで脚を休めるらしい。
ブルーノもその休みの間だと言って、空の荷車を引いて来てくれた。
収穫の流れが、少しだけ形になってきていた。
「昨日より多いですね」
リゼが稲束を見て言う。
「多いけど、たぶん食べたらすぐなくなる」
ルカが言う。
「それは言わない約束だろ」
「事実」
「そうだけど」
碧は苦笑した。
刈ることには少し慣れた。
運ぶ方法も、少しだけ見えた。
でも、それでも足りない。
道具が一つ増えたからといって、全部が解決するわけではなかった。
小鎌は手を助ける。
けん車は足を助ける。
でも、刈るのも、束ねるのも、選ぶのも、結局は誰かの手だった。
◇
その日の夜。
家の壁際には、三日分の稲束が立てかけられていた。
前よりずっと多い。
けれど、山というほどではない。
碧はそれを見つめていた。
「三日でこれか……」
「少ないですか?」
リゼが聞く。
「少なくはない。でも、これを白い粒にしたら、たぶんそんなに多くない。毎日食べたら、すぐなくなると思う。」
「もっと取る?」
ルカが聞く。
「もっと食べたいならな」
「食べる」
「即答だな」
その時、戸口が叩かれた。
碧が開けると、グレーテの店で見かけた少年が立っていた。
「グレーテさんから伝言です」
「はい」
「試しの道具ができた。明日、取りに来い、だそうです」
碧の胸が小さく跳ねた。
「分かりました。ありがとうございます」
戸を閉める。
碧は、壁際の稲束を見た。
小鎌で刈った穂。
リゼが束ねた束。
ルカが選んだ実入りのいい穂。
ブルーノのけん車に揺られて運ばれてきた草。
それはまだ、この世界ではただの雑草だった。
けれど碧には、もうただの草には見えなかった。
三日かけて、少しだけ近づいた。
次は。
これを白い粒まで届かせる番だった。




