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ごはん革命  作者: Sen
19/36

新しい道具

 翌日。


 碧は、砕けた米を入れた小皿を見つめていた。


 粉挽き屋で試してもらったものだ。


 殻は割れている。


 白い部分も見えている。


 だが、粒は残っていなかった。


 これでは違う。


 炊いて、湯気が立って、噛むと少し甘い。


 あの白いごはんにはならない。


「……粒のまま、か」


 碧が呟くと、棚の上にいたルカがこちらを見た。


「まだ考えてる」


「考えるだろ」


「食べられればいいのに」


「それはそうなんだけど」


 碧は小皿の中身を指でつまむ。


 粉にすれば、腹は満たせるかもしれない。


 煮込めば、それなりに食べられるのかもしれない。


 でも、それでは諦めたことになる気がした。


 ずっと食べてきたもの。


 当たり前みたいにあったもの。


 この世界に来たからといって、手放したくはなかった。


     ◇


 昼営業の前。


 碧はオステリアへ向かった。


 ジーノは厨房で玉ねぎを刻んでいた。


「ジーノさん」


「あぁ?」


「金物屋って、どこにありますか」


 ジーノの手が止まる。


 それから、少しだけ口の端が上がった。


「粉挽き屋じゃだめだったか」


「だめでした」


「だろうな」


「分かってたんですか」


「半分くらいはな」


 ジーノは刻んだ玉ねぎを鍋へ入れる。


 じゅわ、と音が立った。


「市場の南側に、グレーテって金物屋がある」


「知り合いですか?」


「鍋を直してもらったことがある」


「いい人ですか?」


「腕はいい」


「性格は?」


「怖い」


「そこ言い切るんですね」


 碧が苦笑すると、ジーノは棚から小さな鉄片を取り出した。


 何かの古い留め具らしい。


「これ見せろ。うちの鍋を直した時の残りだ。グレーテなら分かる」


「ありがとうございます」


「ただし」


 ジーノは碧を見る。


「あいつは無駄話が嫌いだ。何がしたいのか、ちゃんと説明しろ」


「殻だけ外したい、で通じますかね」


「足りねぇな」


「え」


「どういう形で、何を困ってて、どうしたいのか。道具屋はそこを聞く」


 碧は少し黙った。


 食べたい。


 粒のまま炊いた米を食べたい。


 理由はそれで十分なはずなのに、道具を作ってもらうには、それだけでは足りない。


「……分かりました」


     ◇


 金物屋は、市場の南側にあった。


 食材の匂いよりも、鉄と炭の匂いが強い場所だった。


 釘。


 鍋。


 包丁。


 車輪の金具。


 鎌や鋤の刃。


 壁には、見たことのない形の工具まで掛かっている。


 碧の後ろには、リゼとルカもいた。


「二人とも来るのか」


 と碧が言うと、リゼは当然のように頷いた。


「危ない道具を見るなら、なおさら一緒に行きます」


 ルカは、


「見る」


 とだけ言った。


 店の奥から、金属を打つ音がした。


 かん、かん、と短い音。


 しばらくして、女が顔を出した。


 背はそれほど高くない。


 だが、腕が太い。


 髪は後ろで雑に束ねられ、頬には煤がついていた。


「何の用だ」


 第一声から低かった。


 碧は少し背筋を伸ばす。


「あの、ジーノさんの紹介で来ました」


 鉄片を出す。


 女はそれを受け取り、少しだけ見た。


「……ジーノの鍋の留め具か」


「分かるんですか」


「私が打った」


 女は鉄片を碧へ返す。


「グレーテだ。用件は」


「あ、碧です。こっちはリゼとルカで」


 グレーテはリゼとルカをちらりと見た。


 耳にも尾にも、それほど反応しなかった。


 ただ、ルカの足元から頭まで一瞬で見て、


「手先は使えるか」


 と聞いた。


 ルカは眉をひそめる。


「使える」


「なら邪魔はするな」


「しない」


 リゼが少しだけ目を丸くしている。


 エルマーの時とは違った。


 グレーテは、相手が人間か獣人かより、邪魔になるかどうかを見ているらしかった。


     ◇


 碧は袋から籾と稲穂を取り出した。


「これの殻だけを外したいんです」


 グレーテは稲穂を一本取った。


 指で揉む。


 ぽろ、と籾が落ちる。


 それを見て、少し眉を寄せた。


「鳥が食う草か」


「この世界では、そう見えるみたいです」


「食うのか?」


「はい」


「粉にするならうちじゃないだろ?」


「粉じゃなくて、粒のままにしたいんです」


「粒のまま?」


「粒のまま」


 グレーテはしばらく籾を見ていた。


 それから、碧の持ってきた稲穂へ目を戻す。


「これは、どうやって集めた」


「手で折りました」


「全部か」


「はい」


「馬鹿か」


「え」


 あまりにも真顔で言われて、碧は固まった。


 グレーテは稲穂を作業台へ置く。


「食うたびに、一本ずつ手で折る気か」


「……昨日は、それしか思いつかなくて」


「なら、まず刃物だな」


「刃物?」


「草を集めるなら、刈るものがいる。お前がどれだけ食うつもりかは知らんが、手で折るよりはましだ」


 グレーテは壁に掛かった鎌を一つ取った。


 刃は大きく、柄も長い。


「これは麦用だ。広い畑ならよく使える。その草を取った場所は?」


「街道脇の低い土地です。水は引いてましたけど、少しぬかるんでて」


「なら、大きい刃は邪魔か」


 グレーテは鎌を戻し、別の棚から小さめの刃を取り出した。


 曲がった刃。


 短い柄。


 手に持つと、思ったより軽い。


「これなら片手で扱える。草を少しまとめて切るくらいなら十分だ」


 碧は小鎌を見つめる。


 米を食べるために必要なもの。


 それは、鍋でも釜でもなかった。


 まず、刈る道具だった。


     ◇


「で、殻だけ外す方だが」


 グレーテは籾を一粒、作業台の上へ置いた。


「粉挽き屋では潰れるのか」


「はい」


「石臼は重い。粉にするための道具だ。粒を残すには強すぎる」


「金属で作るのはどうですか?」


「たぶん強すぎる」


 グレーテは木片と、ざらついた石を手に取る。


「木と石だな。鉄は留めるところだけでいい」


「木と石……」


「底に粗い石を使う。上から押し潰すんじゃなく、転がして擦る。殻に傷をつけて割る。中身はなるべく残す」


 碧は頭の中で形を想像する。


 すり鉢。


 臼。


 いや、もっと違う。


 自分は精米機の中身なんて知らない。


 ただ、米を割りたくないことだけは分かる。


「作れますか」


「試しならな」


 グレーテは作業台に木炭で簡単な図を描いた。


 浅い木の器。


 底に粗い石。


 丸い木の棒。


 籾を入れて、軽く押さえながら転がす。


「完璧には無理だ。割れる粒も出る。殻が残る粒も出る」


「それでも、手でやるよりは」


「早いだろうな」


 碧は少しだけ息を吐いた。


 少しでも進む。


 それだけで十分だった。


     ◇


 リゼが図を覗き込んだ。


「これ、手を挟みそうですね」


 グレーテがリゼを見る。


「挟むな」


「そう言われても……」


「なら、縁を高くする。棒が横へ逃げないように溝をつける」


 グレーテは図に線を足した。


 ルカは籾をじっと見ている。


「割れたやつ、見れば分かる」


 小さく言った。


 グレーテの目がルカへ向く。


「分かるのか」


「分かる」


「なら選る係だな」


「係?」


「割れた粒と、殻の残った粒を分ける係」


「……食べる係がいい」


「働け」


 ルカは不満そうに口を尖らせた。


 碧は思わず笑ってしまう。


「お前、米のことになると分かりやすいな」


「別に」


「別にじゃないだろ」


 リゼも小さく笑った。


     ◇


 グレーテは小鎌を一本、作業台へ置いた。


「小鎌は今渡せる」


「いくらですか」


 値段を聞いて、碧は少し固まった。


 払えなくはない。


 だが、安くはない。


 グレーテはその顔を見て、すぐに言った。


「食い物に使う道具を安物にするな。怪我するぞ」


「……はい」


「試しの擦り道具は、端材で作る。三日くれ」


「三日…ですか」


「早い方だ」


「ありがとうございます」


「礼は使えたら言え」


 グレーテはそう言って、籾を指で弾いた。


「ただし、道具だけでどうにかなると思うなよ」


「え?」


「刃物があっても、刈るのは手だ。擦る道具があっても、動かすのは手だ」


 碧は黙った。


 昨日の夜を思い出す。


 三人で遅くまで作業して、それでもできた米はほんの少しだった。


「……ですよね」


「道具は手を助けるだけだ。手の代わりにはならん」


 その言葉は、碧の胸に重く落ちた。


 白いごはんを食べたい。


 ただそれだけなのに。


 そのためには、もう自分の手だけでは足りない。


 そういう場所まで来てしまっているのだと、少しだけ分かった。


     ◇


 小鎌を布に包み、碧たちは金物屋を出た。


 市場の空気は相変わらず賑やかだった。


 魚を売る声。


 豆を量る音。


 荷車の軋む音。


 人と物が行き交うフェルメリアの音。


 碧は手元の包みを見る。


 刈るための道具。


 最初の道具。


 米を炊くためのものではない。


 でも、米を食べるためには必要なもの。


「碧さん」


 リゼが声を掛ける。


「大丈夫ですか?」


「うん」


「少し、難しい顔をしていました」


「道具だけじゃ足りないって言われて、ちょっと現実見た」


「私も手伝います」


「分かってる」


「ルカさんも」


 ルカは歩きながら言う。


「食べさせてくれるなら手伝う」


「動機が分かりやすいな」


「大事」


「まあ、大事だな」


 碧は少し笑った。


     ◇


 オステリアへ戻ると、ジーノはカウンターで帳面を見ていた。


「どうだった」


「小鎌を買いました。あと、擦る道具を試しで作ってもらえることになりました」


「そうか」


「でも、道具だけじゃどうにもならないって言われました」


 ジーノは帳面から目を上げる。


「だろうな」


「やっぱり分かってたんですか」


「一人でできることなんて、たかが知れてる」


 その言葉は軽く聞こえた。


 けれど、たぶんジーノはよく知っている。


 一人で仕込み、一人で鍋を見て、一人で客を相手にしてきた人間だから。


「俺、米を食べたいだけだったんですけどね」


 碧は小さく言った。


「それでいいんじゃねぇか」


「いいんですか?」


「大体、始まりなんてそんなもんだろ」


 ジーノは帳面を閉じる。


「腹減ったから作る。うまかったからまた作る。足りねぇなら工夫する」


 碧は少し黙った。


「……そんなもんですか」


「そんなもんだ」


 ジーノはいつもの調子で言った。


     ◇


 夜。


 家に戻った碧は、小鎌を机の上に置いた。


 リゼはその刃を少し怖そうに見ている。


 ルカは近づきすぎて、碧に止められた。


「危ないから触るな」


「見るだけ」


「見るだけって距離じゃない」


「じゃあちょっとだけ」


「だめ」


 ルカは不満そうにしたが、素直に手を引っ込めた。


 碧は小鎌を見つめる。


 白いごはんを食べたい。


 ただ、それだけだった。


 でも、そのためには穂を集める道具がいる。


 殻を外す仕組みがいる。


 昨日みたいに、誰かと夜遅くまで手を動かす時間もいる。


 米は、思ったよりずっと遠い。


 それでも、碧は諦めたくなかった。


 この世界に来たからといって。


 ずっと食べてきたものまで、なかったことにはしたくなかった。


 机の上で、小鎌の刃が竈の火を受けて小さく光る。


 それは料理道具ではない。


 けれど、碧にとっては確かに。


 白いごはんへ続く、最初の道具だった。

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