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ごはん革命  作者: Sen
18/36

粒のままで

 翌朝。


 家の床には、まだ籾殻が少し残っていた。


 昨夜、三人で遅くまで作業したせいで、部屋の隅には小さな殻が散らばっている。


 リゼは眠そうに耳を垂らしながら、布を畳んでいた。


 ルカは棚の上で膝を抱え、空の木椀をじっと見ている。


「……もうないぞ」


 碧が言うと、ルカは目だけを動かした。


「知ってる」


「めちゃくちゃ見てるじゃん」


「見てるだけ」


 そう言いながら、ルカの尾は少しだけ揺れていた。


 碧は苦笑しながら、昨夜残った籾を手に取る。


 まだ殻がついている。


 食べられる形にするには、あまりにも遠い。


 昨日は三人がかりで夜遅くまで作業して、できた米はほんの一口ずつだった。


 あれでは、店で使うどころか、家で食べる分にもならない。


「……このままじゃ無理だな」


 碧は小さく呟いた。


「何がですか?」


 リゼが顔を上げる。


「米。手でやってたら一生終わらない」


「一生は大げさです」


「いや、割と本気で」


 碧は籾を見つめる。


 米はある。


 でも、米にする方法がない。


 その壁が、昨日よりもずっと大きく見えていた。


     ◇


 昼前。


 碧は籾を少し袋に入れて、オステリアへ向かった。


 店では、ジーノが仕込みをしていた。


 鍋からはいつもの豆のスープの匂いがする。


 香草の香りも少しだけ混ざっていた。


「ジーノさん」


「あぁ?」


「相談があるんですけど」


 碧が袋を見せると、ジーノは一度それを見て、すぐに察したような顔をした。


「これを毎晩手で剥くつもりか?」


「……無理でした」


「だろうな」


 ジーノは鍋を混ぜながら言う。


「穀物なら粉挽き屋だろ」


「粉挽き屋……」


「麦も豆も、粉にするならそこへ持ってく」


 碧は少し考えた。


 確かに、穀物を加工する場所なら何か分かるかもしれない。


 ただ、少しだけ嫌な予感もあった。


「粉にはしたくないんですよね」


「粉にしたらダメなのか」


「粒のまま食べたいんです」


 ジーノは一瞬だけ黙った。


 それから、少しだけ眉を上げる。


「やっぱり変な食い方だよな」


「俺のいたところだと普通でした」


「まあ、粉挽き屋に聞くだけ聞いてこい」


 ジーノはそう言って、店の奥から店の名前が書かれた小さな木札を取ってきた。


「市場の西の端っこにエルマーって粉挽きがいる。これ見せりゃ話くらい聞くだろ」


「知り合いですか?」


「昔、粉を買ってた」


「今は?」


「高ぇからやめた」


「正直ですね」


「まあな」


 ジーノは肩をすくめた。


 そして、ふとリゼとルカを見る。


「……お前らも行くのか」


「はい」


 リゼが頷く。


 ルカは棚の上で、


「行く」


 とだけ言った。


 ジーノは少しだけ考える。


「エルマーは西の出だ」


 短く言った。


 リゼの耳が、ほんの少し伏せる。


 碧は、その反応に気づいた。


「……西の人だと、何かあるんですか」


 碧が聞くと、ジーノは少しだけ鍋を混ぜる手を止めた。


「西は、人間の多い国が多い」


「それで?」


「獣人を見る目が、ここと同じとは限らねぇ」


 リゼは何も言わなかった。


 ただ、耳だけが少し下がったままだった。


 フェルメリアでは人間も獣人も同じ市場を歩いているが、それがどこでも当たり前というわけではないらしい。


「……大丈夫ですかね」


 碧が聞く。


「その札を持ってりゃ、追い返しはしねぇ」


「追い返しは、ですか」


「悪いやつじゃねぇよ」


 ジーノは鍋を混ぜる手を止めずに言った。


「ただ、育った場所の癖は残る」


 その言い方は、妙に現実的だった。


     ◇


 市場の西端は、いつもの食材の露店とは少し空気が違っていた。


 布袋。


 木箱。


 穀物の粉。


 石臼。


 荷車。


 食材そのものよりも、それを加工したり運んだりする店が多い。


 碧はリゼとルカを連れて、ジーノに教えられた粉挽き屋へ向かった。


 店先には、大きな袋がいくつも積まれている。


 袋には、それぞれ違う印がついていた。


「これ、荷札ですかね」


 リゼが言う。


 碧は一つずつ見る。


 カンポリア公国の麦袋。


 ポルトヴェラ共和国の塩袋。


 ヴァルテーナ王国の香草箱。


 シュテインベルグ帝国の金具がついた農具。


 シュトロームラント王国の粉袋。


 さらに、メールハーフェン帝国の布袋らしきものまであった。


「……この街、本当にいろんな国のものが集まってるんだな」


「フェルメリアは真ん中ですから」


 リゼが言う。


「真ん中?」


「はい。東のカンポリアから農作物、南東のポルトヴェラから魚や塩、北東のヴァルテーナから香草や木材、西の方から金物や粉。いろんなものがフェルメリアに集まるんです」


「物流ハブってことか……」


「ぶ?」


「あ、いや。物が集まる場所ってこと」


 その時、店の奥から低い声がした。


「そうだ。ここは物が通る街だ」


 碧たちが振り向く。


 出てきたのは、腕の太い中年の男だった。


 短く刈った髪に、粉で白くなった前掛け。


 人間だった。


 男の視線が、碧からリゼへ移る。


 それから、ルカへ。


 ほんの短い沈黙。


 リゼの耳が、少しだけ伏せた。


 ルカは下がらなかった。


 むしろ、じっと男を見返している。


「……連れか」


 男が短く言った。


「はい」


 碧は答える。


 男は何かを言いかけたように見えた。


 だが、碧の手元の木札を見て、それ以上は言わなかった。


「ジーノの札を持ってるな」


「あ、はい。碧って言います」


「エルマーだ。シュトロームラントの生まれだが、今はここで粉を挽いてる」


 エルマーはそう言ってから、碧の持っている袋へ視線を戻した。


 リゼは少しだけ碧の後ろに立つ。


 ルカは、粉袋を見るふりをしながら、まだエルマーから目を離していなかった。


     ◇


「で、何を挽くんだ」


 エルマーが言う。


「これなんですけど」


 碧は籾を少し出した。


 エルマーは指でつまんで、目を細める。


「鳥餌か?」


「まあ、この世界ではそうみたいです」


「挽くのか?」


「いや、粉にしたいわけじゃなくて」


 碧は少し言葉を探す。


「殻だけ取りたいんです。中の粒は、できればそのまま残したくて」


 エルマーは動きを止めた。


「粒のまま?」


「はい」


「なんでだ?」


 まっすぐな疑問だった。


 馬鹿にしているわけではない。


 本当に、分からないという顔だった。


「炊いて食べたいんです」


「たく?」


「水を入れて火にかけて、粒のまま柔らかくして食べるんです」


 エルマーはしばらく黙った。


 それから、首を傾げる。


「穀物は挽くもんだろ」


「まあ、普通はそうなんでしょうけど」


「普通はパンにする。東の方なら、粉を練って麦麺にする連中もいる」


「麦麺……」


「うまいが高いぞ。粉にするのも手間だし、練ったあとの保存が難しい。麦の取れる土地か、金のある貴族の食い物だ」


 エルマーは籾を指で転がす。


「だが、どれにしたって粉にする。粒のまま食うってのは、聞いたことがない」


 碧は袋の中を見る。


 この世界では、穀物は粉になる。


 粉になって、パンになり、粥になり、麦麺になる。


 でも、米は違う。


 少なくとも碧の中では。


 米は、粒のまま炊くものだった。


     ◇


「少し試してみるか?」


 エルマーが言った。


「いいんですか?」


「ああ。だが、挽けば粉になるぞ」


「できるだけ軽くお願いします」


「軽くな」


 エルマーは小さな石臼を用意した。


 籾をほんの少し入れる。


 そして、臼をゆっくり回した。


 ごり。


 乾いた音がした。


 殻が割れる。


 同時に、中の粒も砕けた。


 もう一度、軽く回す。


 さらに細かくなる。


 エルマーは皿へ出した。


「ほら、挽けたぞ」


 確かに殻は割れていた。


 白い部分も見えている。


 けれど、碧が欲しかったものではなかった。


 粒は割れて、粉っぽくなっている。


 炊いても、あの白いごはんにはならない。


「……違う」


 思わず声が出た。


 エルマーが眉を上げる。


「違う?」


「これだと、違うんです」


「殻は割れてるぞ」


「はい。でも、粒が残ってない」


 碧は皿の上の砕けた米を見る。


 この世界の人にとっては、たぶんこれで正しい。


 穀物は粉に近づけばいい。


 でも、碧にとっては違う。


「粉にしたいんじゃないんです」


 碧は静かに言った。


「粒のまま残したいんです」


 横で見ていたルカが、砕けた米を指でつまむ。


「これでも食べられる?」


「食べられるとは思う」


「じゃあいいじゃん」


「……でも、違うんだ」


 ルカは碧を見る。


「これじゃダメなの?」


「うん」


 ルカはそれ以上言わなかった。


 ただ、砕けた粒を少しだけ眺めていた。


 リゼも皿を覗き込む。


「これだと、碧さんの言っていたごはんにはならないんですね」


「ああ」


 碧は頷く。


「炊いた時の感じが、たぶん全然違う」


 エルマーは、リゼの言葉に一瞬だけ視線を向けた。


 だが、何も言わなかった。


 ただ、碧たちと皿の中身を見比べる。


「……変わった連中だな」


 そう呟いた。


 その声には、少しだけ棘があった。


 けれど、仕事を投げ出すほどではなかった。


     ◇


 エルマーは腕を組んだ。


「潰さずに殻だけ外す、か」


「できますか?」


「粉挽き屋の仕事じゃねぇな」


「ですよね……」


「だが、理屈は分かる」


 エルマーは籾を一粒つまむ。


「外側だけ割って、中は残す。挽くんじゃなくて、擦るか、叩くか。力加減がいる」


「昨日、家でやったんですけど、全然効率悪くて」


「手作業ならそうだろうな」


 エルマーは店先の農具をちらりと見る。


「農具屋か金物屋に聞け。シュテインベルグの金具を扱ってる店なら、何か作れるかもしれん」


「金物屋……」


「フェルメリアは便利だぞ。金を払えば、たいていの国の道具がある」


「金があれば、ですか」


「そこが一番大事だ」


 エルマーはにやりと笑った。


 かなり現実的な言葉だった。


 そのあと、エルマーはふとリゼとルカを見る。


「……ここじゃ、客を選んでたら粉屋なんてやってられねぇ」


 誰に向けた言葉なのか、一瞬分からなかった。


 エルマー自身も、それ以上説明するつもりはなさそうだった。


「持ってくるものが麦でも豆でも鳥餌でも、挽くか挽かねぇか。それだけだ」


 リゼは小さく頷いた。


 ルカは何も答えなかった。


 碧は少しだけ息を吐く。


 優しいわけではない。


 でも、追い返されるわけでもない。


 フェルメリアという街は、たぶんそうやって動いている。


     ◇


 オステリアへ戻ると、ジーノは仕込みを終えて、椅子に座っていた。


「どうだった」


「だめでした」


「早いな」


 碧は砕けた米を皿に出した。


 ジーノはそれを見る。


「粉になってるな」


「粉にしたいわけじゃないんです」


「粒のまま、か」


「はい」


 ジーノはしばらく黙った。


 それから、砕けた粒を指でつまむ。


「粉挽き屋じゃねぇな」


「エルマーさんにも言われました」


「潰すんじゃなくて、殻だけ外す道具がいる」


「はい」


「なら、農具屋か金物屋だ」


 エルマーと同じことを言った。


 碧は少し笑ってしまう。


「同じこと言われました」


「あいつも分かってるじゃねぇか」


 ジーノは立ち上がり、棚から水を取る。


「米を店で使いたいなら、まずそこだな」


「炊き方じゃなくて?」


「その前だろ」


 ジーノは当然のように言う。


「食える形にできなきゃ、料理にならねぇ」


 その通りだった。


 碧は皿の上の砕けた米を見る。


 粉にすれば、この世界の食べ物になる。


 パン。


 粥。


 麦麺。


 この世界の穀物の道へ、入ることはできる。


 でも、それでは違う。


 碧が知っている米は、粒のまま炊くものだ。


 噛むと甘くて、湯気が立って、誰かと分けて食べるものだ。


「……粒を残す方法を探します」


 碧が言うと、ジーノは短く頷いた。


「あぁ、いいよ」


 いつもの返事だった。


 だが、その声は少しだけ楽しそうだった。


「あと、エルマーさんって」


「あぁ?」


「悪い人ではないんですね」


 ジーノは少しだけ目を細める。


「だろ」


「でも、ちょっと怖かったです」


「西の出だからな」


 ジーノはそれだけ言った。


 責めるわけでも、庇うわけでもない言い方だった。


「この街に長くいりゃ、少しは丸くなる」


「丸くなって、あれですか」


「昔はもっと角があった」


「なるほど……」


 碧は苦笑した。


 リゼは何も言わなかった。


 ただ、自分の耳に触れるようにして、少しだけ俯いていた。


     ◇


 その夜。


 家に戻った碧は、昨夜手作業で取った白い粒と、粉挽き屋で砕けた粒を並べていた。


 リゼが横から覗き込む。


「見た目、全然違いますね」


「うん」


「こっちは……ごはんにならないんですか?」


「粥みたいにはできるかもしれない。でも、俺が作りたいのとは違う」


「かゆ……えっと、粒のままがいいんですね」


「うん」


 ルカは砕けた米を少しつまんだ。


「これどうするの?捨てちゃうの?」


「捨てない。少ないし」


「じゃあ食べる」


「食べることには前向きだな」


「米だから」


 碧は少し笑った。


 ルカはそれに気づくと、すぐにそっぽを向いた。


 碧は白い粒を見つめる。


 米は見つかった。


 けれど、まだ遠い。


 この世界では、穀物は粉にするもの。


 碧にとって、米は粒のまま炊くもの。


 その違いを、今日初めてはっきりと知った。


 別に、誰かを驚かせたいわけではなかった。


 店の新しい料理にしたいと、最初から考えていたわけでもない。


 ただ、食べたかった。


 あの白いごはんを。


 湯気が立って、噛むと少し甘くて、何でもない日の食卓に当たり前みたいにあったものを。


 この世界に来たからといって、それまで諦めたくはなかった。


 粉にすれば、きっと食べられる。


 煮込めば、腹は満たせる。


 でも、それでは違う。


 碧が食べたいのは、粒のまま炊いた米だった。


 だから、探さなければならない。


 粒を残す方法を。


 たとえ少しずつでも。


 たとえ、変な食い方だと言われても。


 窓の外では、満月の名残が白く街を照らしていた。


 木皿の上の白い粒も、同じように小さく光って見えた。

米づくりや田んぼに関する描写については、調べながら書いていますが、作者自身まだ詳しいとは言えません。

もし明らかにおかしな点や、実際の農作業と違う部分がありましたら、やさしく教えていただけると嬉しいです。

物語としての都合も含めつつ、できるだけ説得力のある描写にしていきたいと思っています。

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