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ごはん革命  作者: Sen
17/36

白い粒まで

 夜遅く。


 月市の賑わいは、家のある空き家群まで微かに届いていた。


 遠くから聞こえる楽師の音。


 人の笑い声。


 焼いた肉の匂い。


 フェルメリアの中央市場は、今頃かなり賑わっているのだろう。


 だが碧たちは、そこへは行かなかった。


 行きたい気持ちはあった。


 けれど、三人の前には、月市よりも気になるものがあった。


 家の中。


 竈の火を小さく灯し、三人は床に広げた布の前に座っていた。


 その上には、夕方に取ってきた琥珀色の穂が並んでいる。


「……これを食べられるようにするんですよね」


 リゼが言う。


「たぶん」


 碧はそう答えた。


「今日はたぶんが多いですね」


「分かんないこと多すぎるんだよ」


 碧は苦笑する。


 米を炊くことは、なんとなく覚えていた。


 洗って、水を入れて、火にかける。


 それは身体が覚えている。


 けれど。


 稲穂から米にする方法なんて、ほとんど知らない。


 米は、袋に入って売っているものだった。


 白くて、さらさらしていて、当たり前に炊飯器へ入れるものだった。


 その前に、どれだけの手間があるのか。


 碧は今さら、その前に座っていた。


     ◇


「まず、穂から粒を外す」


 碧は稲穂を一本取る。


 指でしごく。


 ぽろぽろと、籾が布の上へ落ちた。


「こういう感じ」


「これならできそうです」


 リゼはすぐに真似をした。


 丁寧に、一本ずつ。


 細い指で穂を押さえ、粒を落としていく。


 一方、ルカは数本まとめて掴んだ。


 ばさばさ。


 雑に振る。


「おい、飛ぶ飛ぶ」


「落ちた」


「床にもな」


「拾えばいいじゃん」


「そういう問題か?」


 碧が言うと、ルカは少しだけ頬を膨らませた。


 だが次からは、布の中央へ向けてやるようになった。


 興味がない顔をしている。


 でも、手は止まらない。


 むしろ一番速い。


「……ルカ、うまいな」


「別に」


「いや、速い」


「食べるんでしょ」


 短くそう言った。


 碧は少しだけ笑った。


     ◇


 しばらくすると、布の上には籾が小さな山になった。


 だが、そこからが問題だった。


「これ、まだ殻がついてるんですよね」


 リゼが一粒つまむ。


「そう。これを外さないといけない」


「どうやって?」


「……こする?」


「たぶんって顔してます」


「たぶんだからな」


 碧は籾を少し手に取り、両手で擦ってみる。


 ざらざらとした感触。


 殻が少し割れる。


 だが、白い粒はほとんど出てこない。


「うーん……」


「だめ?」


 ルカが覗き込む。


「全然だめではないけど、効率悪い」


「こう?」


 ルカは籾を一粒取ると、爪で器用に殻を割った。


 中から小さな粒が出る。


「お」


「できた」


「一粒だけな」


「全部やればいい」


「何日かかるんだよ」


 碧は額を押さえた。


 リゼが周囲を見回す。


「石で軽く押すのはどうですか?」


「やってみるか」


 碧は平たい石を持ってきた。


 布の上に籾を少し置き、その上から軽く押す。


 ごり、と音がした。


 殻が割れる。


 だが。


「あ」


 白い粒まで割れていた。


「強すぎましたね」


「難しいな……」


 力を抜く。


 今度は殻が外れない。


 少し強くする。


 また割れる。


「なんだこれ」


 碧は思わず呟いた。


「米って、こんな面倒だったのか……」


 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。


     ◇


 しばらく試した結果、三人はやり方を少し変えた。


 まず、籾を布袋に少し入れる。


 それを木の棒で軽く叩く。


 強く叩くと割れる。


 弱すぎると殻が外れない。


 何度も試すうちに、少しずつ加減が分かってきた。


 ぱらぱら。


 殻が割れた籾を、浅い木皿へ移す。


 そこへ息を吹きかける。


 軽い籾殻がふわっと飛んだ。


「わっ」


 リゼが顔を背ける。


 耳に籾殻がついた。


「ごめん」


「いえ……」


 リゼは耳をぱたぱた動かす。


 籾殻が落ちた。


 ルカが少し笑う。


「耳、便利」


「便利じゃありません……」


「でも取れた」


「そうですけど」


 そんなやり取りをしながら、作業は続いた。


 籾を叩く。


 殻を飛ばす。


 残った粒を拾う。


 割れたものを分ける。


 殻が残ったものをもう一度叩く。


 地味だった。


 驚くほど、地味だった。


 けれど、少しずつ。


 昨日よりずっと白い粒に近づいていた。


     ◇


 夜はさらに深くなっていた。


 月市の音は、少し遠くなっている。


 火の明かりが、三人の手元を照らしていた。


 リゼは黙々と粒を選り分けている。


 割れた粒。


 殻が残った粒。


 綺麗に取れた粒。


 几帳面に、小さな山を三つ作っていた。


「リゼ、細かい作業向いてるな」


「そうでしょうか」


「俺なら途中で混ぜる」


「混ぜないでくださいね」


「はい」


 碧が素直に返すと、リゼは少し笑った。


 ルカは、いつの間にか綺麗な粒だけを選んでいた。


 目がいいのか、手が早いのか。


 殻の残った粒をすぐ見つける。


「これ、まだ」


「あ、ほんとだ」


「これも」


「よく分かるな」


「見れば分かる」


「すごいな」


「別に」


 ルカはそっぽを向く。


 だが、手元の粒を大事そうに木皿へ移していた。


     ◇


 気づけば、布の上にあった稲穂の山はかなり減っていた。


 だが、できた米はほんの少しだった。


 小さな木椀の底に、すこし溜まる程度。


「……これだけか」


 碧は思わず呟いた。


 あれだけ穂を持って帰って。


 あれだけ時間をかけて。


 できたのは、ほんの一握りにも満たない。


 リゼも木椀を覗き込む。


「大変なんですね」


「うん」


 碧は静かに頷いた。


「大変なんだな」


 米は、当たり前にあるものではなかった。


 白い袋に入って、店で買えるものではなかった。


 誰かが育てて。


 刈って。


 干して。


 叩いて。


 殻を外して。


 白い粒にして。


 ようやく、食卓に届く。


 その当たり前を、碧は何も知らずに食べていた。


「……すげぇな」


「なにが?」


 ルカが聞く。


「米」


「草じゃん」


「草だけど」


 碧は木椀の中を見る。


「草じゃないんだよ」


 ルカは少しだけ首を傾げた。


 けれど、何も言わなかった。


     ◇


「炊く?」


 ルカが聞いた。


 その声は、いつもより少しだけ早かった。


 碧は木椀を見る。


 量は少ない。


 炊くには心もとない。


 でも。


「……少しだけなら」


「やる」


 即答だった。


「分かりやすいな、お前」


「別に」


 ルカは顔を逸らす。


 リゼはくすっと笑った。


「でも、私も食べてみたいです」


「じゃあ、ほんの少しだけな」


 碧は小さな鍋を出した。


 米を洗う。


 水はすぐに白く濁った。


 前よりも、少しだけ綺麗な粒。


 でもまだ殻が混ざっている。


 完全ではない。


 それでも、昨日よりずっと米らしかった。


 水を替えて、小さな鍋に移す。


 火にかける。


 しばらくすると、またあの匂いがした。


 甘くて、柔らかい匂い。


 リゼの耳が立つ。


 ルカの尾が少し揺れる。


 碧はそれを見て、少しだけ笑った。


     ◇


 炊き上がった米は、本当に少なかった。


 三人で分ければ、一口ずつ。


 それでも、湯気はちゃんと立っていた。


 碧は木匙で分ける。


 リゼへ。


 ルカへ。


 そして自分へ。


「いただきます」


 思わずそう言ってしまった。


 リゼが不思議そうに瞬きをする。


「それ、何ですか?」


「あ……食べる前に言う言葉」


「碧さんのいた場所の?」


「うん」


 リゼは少しだけ考えてから、小さく頭を下げた。


「いただきます」


 ルカも、少し遅れてぼそっと言う。


「……いただきます」


 碧は少し驚いた。


 それから、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 三人は、ほんの少しの米を口に入れた。


 前より、少し柔らかい。


 少しだけ、甘い。


 殻が残っていて、食感は悪い。


 でも。


「……昨日よりうまい」


 ルカが小さく言った。


 碧は笑う。


「だろ」


「もっといる」


「だと思った」


 リゼもゆっくり噛んでから言う。


「手間がかかった分、味が分かる気がします」


「分かる」


 碧は頷いた。


 米は、ただ見つければ終わりじゃない。


 食べ物にするには、手がいる。


 時間がいる。


 誰かと向き合う夜がいる。


 白い粒は、まだほんの少ししかない。


 でも、その少しを三人で食べた。


 それだけで、碧には十分だった。


     ◇


 外では、月市の音が少しずつ静かになっていた。


 満月の光が、屋根の隙間から差し込んでいる。


 床の上には、まだ籾殻が少し散らばっていた。


 明日、掃除しなければならない。


 そしてまた、穂を集めなければならない。


 もっと上手く殻を外す方法も考えなければならない。


 やることは山ほどある。


 でも、碧は嫌ではなかった。


 リゼは眠そうに耳を垂らしている。


 ルカは空になった木椀を、まだ少し名残惜しそうに見ていた。


「明日もやる?」


 ルカが聞く。


「やる」


 碧が答える。


「じゃあ来る」


「もういるだろ」


「明日もいる」


 ルカは当然みたいに言った。


 リゼが小さく笑う。


 家の中に、米の湯気の匂いがまだ少しだけ残っていた。


 それはもう、碧だけの懐かしさではなくなり始めていた。

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