いつものスープ
碧が玉ねぎで作ったズッパを出し始めてから、数日が経っていた。
最初は物珍しさで頼まれていたそれは、いつの間にか、オステリア・ジーノの夜の定番になり始めていた。
「今日もズッパあるか?」
「あぁ、あるよ」
「じゃあそれとエール」
そんなやり取りが、毎日のように聞こえる。
特に夜はよく出た。
仕事終わりの客が、酒と一緒に頼んでいく。
温かくて、腹に溜まる。
それが良かったらしい。
「……ほんとお客さん増えましたね」
皿を運びながら、リゼが小さく呟く。
碧も周囲を見回した。
確かに、前より客が多い。
しかも少しだけ、客層が変わっていた。
獣人だけではない。
人間の商人らしい男や、旅装の女も混ざっている。
「噂でもされてるのかな」
「飯食いに来てるだけだろ」
ジーノは鍋を混ぜながら適当に返した。
だが、鍋の減りは明らかに早くなっていた。
◇
その日の営業後。
碧は、まかないのスープを飲んでいた。
いつもの豆の煮込み。
豆。
端野菜。
鳥出汁。
オステリアでずっと出している定番のスープだ。
碧は匙を止める。
「……惜しいんだよな」
「なにが」
ジーノが椅子へ腰を下ろす。
「いや、うまいんですけど」
「褒めてんのかそれ」
「いやぁ褒めてますってぇ」
碧は苦笑した。
実際、この店の料理はちゃんと美味い。
塩気も安定しているし、出汁も出ている。
ただ。
「なんか、もうちょっとまとまる気がするんですよね」
ジーノは少しだけ眉を上げた。
「ほぉ」
興味はあるらしい。
碧は鍋を見る。
「これ、玉ねぎ最初に炒めません?」
「また玉ねぎか」
「甘み出るんで」
「ふぅん」
ジーノは少し考え、
「あぁ、いいよ」
と返した。
本当に軽い。
◇
翌朝。
碧は仕込み用の鍋へ油を落とした。
刻んだ玉ねぎを入れる。
じゅわ、と音が鳴る。
その匂いに、リゼが耳を動かした。
「またズッパですか?」
「今日はスープ改良」
「改良」
その言葉が少し面白かったらしく、リゼが小さく笑う。
碧は木匙で玉ねぎを混ぜる。
色が変わるまで、じっくり。
そこへ刻んだ野菜を追加する。
にんじんみたいな根菜。
葉物。
豆。
最後に鳥出汁。
「……あ」
リゼが目を丸くした。
「匂い違います」
「だろ」
今までは、全部まとめて煮ていた。
でも先に炒めるだけで、香りが全然違う。
その時。
「なんか今日、お腹がすく匂いする」
いつの間にいたのか、ルカが厨房裏の樽へ座っていた。
「最近お前ほんと普通にいるな」
「追い出されないから」
ルカは当然みたいに言う。
ジーノは鍋を覗き込みながら、
「まあ一人分くらいならな」
とだけ返した。
◇
昼営業。
改良したスープを、碧は少し緊張しながら卓へ出していた。
ズッパほど目立つ料理ではない。
いつものスープだ。
だからこそ、違いは分かりづらい。
だが。
「……ん?」
常連の獣人の男が、匙を止めた。
もう一口飲む。
「今日なんか違くね?」
「そうか?」
隣の客も飲む。
「あー……なんだこれ。前よりうまい」
碧は思わずジーノを見る。
ジーノは鍋を混ぜながら、
「知らん」
とだけ言った。
だが口元は少し笑っていた。
◇
その日の夜。
オステリアはかなり忙しかった。
「ズッパ二つ!」
「スープ追加ー!」
「パン切れそう!」
店の中を声が飛び交う。
碧は鍋を動かしながら、空いた皿を片付ける。
狭い厨房。
でも、前よりずっと動きやすい。
香草は手元。
皿棚は近い。
水桶も邪魔にならない。
少しずつ変えた配置が、ちゃんと効いていた。
「碧」
ジーノが鍋を混ぜながら言う。
「はい?」
「豆、昨日より多めに煮とけ」
「もう減り違います?」
「あぁ」
ジーノはちらりと空の鍋を見る。
「最近、みんなスープ残さねぇ」
碧は少しだけ笑った。
派手な料理じゃない。
でも、そういう変化の方が嬉しかった。
◇
営業が終わる頃には、夜風がかなり冷たくなっていた。
リゼは空になった鍋を覗き込む。
「……全部なくなってます」
「ほんとだな」
前までは、少し残ることも多かった。
でも今日は綺麗になくなっていた。
ジーノは空鍋を見ながらぼそっと言う。
「スープの減り早ぇなぁ」
困っているような声だった。
でも、どこか嬉しそうでもある。
その時。
「今日のスープ、昨日より好き」
店の隅から声がした。
ルカだった。
いつの間に食べていたのか、空の器を抱えている。
「どこが?」
「ちょっと甘い」
「玉ねぎ増やしたからな」
「ふぅん」
ルカはそれだけ言って椅子から降りた。
そして扉の方へ歩いていく。
「帰るのか?」
「眠い」
いつもの調子だった。
扉が閉まる。
夜風が少しだけ店へ入り込んだ。
碧は鍋を洗いながら、小さく息を吐く。
気づけば、自分は毎日ここに立っていた。
湯気の匂い。
皿の音。
ジーノの適当な返事。
リゼの耳。
ルカの足音。
その全部が、少しずつ“いつもの景色”になり始めていた。




