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第九十九話 小話「出会いの予感」

 この家は、女性の一人暮らしには広すぎる。

 豪華とは言い難い平屋ながらも、その面積は里一番の大きさだ。

 とりわけ、居間は何人だろうと受け入れられる。家主が結婚し、子を成したところで不自由しないはずだ。

 食事は当然ながら、くつろげるだけの十分なスペースも持ち合わせている。板床に敷かれた分厚いカーペットに寝転がれば、安眠は間違いない。

 この一画には、机を囲むように本棚が置かれている。ここだけを切り取れば、本屋か図書館に見えるだろう。

 ここは、里長を務めるハクアの自宅。清潔感漂う理由は、こまめな清掃の賜物だ。


「筋トレ、本当に飽きないわね」


 昼食を食べ終え、片付けも済んだ。

 午後もやるべきことがあるのだが、食後休憩という名目で穏やかな空気が居間を支配している。

 声の主はハクアだ。テーブルでお茶をすするも、落ち着きのない若者に対して話しかけた。

 エウィンは腕立て伏せの最中だ。手持ち無沙汰ということもあり、せっせと上腕二頭筋を鍛えている。


「モーフィスさんに勝てたとは言え、目標は遠いので」


 少年の言う通り、ゴール地点は依然として遥か彼方だ。

 アゲハの帰還。

 そのためには、異世界に精通している人物に会わなければならない。

 それがホワイエだ。魔物でありながら人間の女性と見間違うような姿をしており、羞恥心を持ち合わせていないのか衣服の類は身に着けていない。

 ホワイエはオーディエンの知人だ。

 ゆえに、オーディエンから紹介してもらう必要があるのだが、出された条件があまりに険しい。

 巨人戦争の黒幕でもある、セステニアの討伐。

 その後に、オーディエンを倒すことが出来れば、ホワイエと会える算段になっている。

 口約束ながらも、今は信じるしかない。

 エウィンはアゲハに恩を感じており、不可能だろうと突き進むつもりだ。

 トレーニングはその一環であり、暇を見つけては汗を流している。

 家長としてはゆるりとお茶を楽しみたいのだが、若者の努力を否定するつもりもない。


「そう。過剰な筋肉に意味があるとは思えないけど、それでもしないよりはマシでしょうね」

「目指せモーフィスさん」

「それは……、止めておきなさい」


 その時だった。

 ハクアがコップをテーブルに置いたタイミングで、彼女の体がビクンと跳ねる。


「キャッ⁉ あー、ビックリした……」


 らしくない悲鳴だ。

 エウィンも思わず、腕立て伏せを中断してしまう。


「どうしたんですか? 女の子っぽい声出しちゃって……」

「うるさいわね。ロザリーよ。ロザリーの魔眼、遠方低語」

「あぁ、定期連絡……」


 実は、この問答は一度目ではない。

 ゆえに、エウィンは興味なさげに腕立て伏せを再開する一方で、ハクアは独り言のように話し出す。


「待たせたわね。何かあった?」


 ロザリーはハクアの部下だ。

 イダンリネア王国の診療所に務めており、言うなればスパイだ。

 彼女も魔女ゆえに魔眼を宿しているのだが、抜擢された理由は魔眼に起因する。

 遠方低語。この魔眼を用いれば、遠く離れた相手とも会話が可能だ。話し相手をコロコロと変えることは出来ず、現状はハクアに固定されている。

 利便性に優れた能力ながらも、欠点がないわけでもない。

 それが、相手を驚かせてしまう点だ。

 話しかけられた側は、何の合図も無しに通話が開始されてしまう。予告もなく、頭の中に声が響くのだから、ハクアでさえ驚かずにはいられない。

 慣れはしないが、怯むのも一瞬だ。報告は滞りなく行われる。


「そう、エルが連れてくるのね? ふ~ん、それはまぁ……。ええ、じゃあ、また」


 通話終了だ。

 エウィンは黙々と腕立て伏せをしており、一瞬の静寂が訪れるも、珍しく三人目が音を奏でた。


「ロザリー、さん?」


 黒い長髪を揺らしながら、アゲハが居間に現れる。

 汚れが目立たないための、茶色のリネンチュニック。腰には短剣を下げており、黒の長ズボンはハムのようにパンパンだ。


「ええ。あんた達はこれからトカゲ狩りよね?」

「うん……」

「そうですけど……」


 空気の変化を感じ取ったのか、エウィンはトレーニングを切り上げ、その場に座り込む。

 その判断は正解だ。ハクアが腕を組みながら口を開く。


「来月、と言ってもすぐだけど、エルがパオラを連れてここに来るわ」


 エルとはエルディアだ。武器屋の一人娘ながらも後天的に魔眼を宿した結果、一時的に王国を去る。

 今は城下町に戻れており、両親と武器屋を経営しながらも、忙しい日々に翻弄されている。

 エウィンとアゲハはこの女性と知り合いだ。

 しかし、もう一つの名前については詳細を知らない。


「パオラって……、誰でしたっけ?」

「あんたねー、何度も話したでしょ? 本当に忘れたの?」

「はい……」

「あんたって、興味ないことは本当に聞き流すわね」


 ハクアが崩れるように呆れる中、アゲハが助け舟を出す。


「超越者、とってもすごい、才能を持った……」

「そうね。あんた達がオーディエンに見出されたように、私はその子を選んだの。セステニアを倒すための、切り札として……」


 二人の説明に、エウィンはあぐらの姿勢で頷く。


「あぁ、そうだった気がします。あ、だとしたら、その人にセステニアを倒してもらえるのなら、僕はオーディエンに集中しても良い?」

「そんな甘い考え捨てなさい。あの子が育つ前に、オーディエンが仕掛けてくる可能性だってあるのよ」

「はいぃ……。って、育つ前って?」


 叱られた子供のようにエウィンが萎縮する一方で、ハクアは問題点を提示する。


「パオラはまだ十二歳の子供なの」


 この事実に対して、二人の反応は正反対だ。

 アゲハは仰け反るように目を見開く。黙ったまま動かない理由は、声すら発せないためか。

 対するエウィンだが、表情一つ変えずに言ってのける。


「へー。まぁ、子供でも超越者なら、普通に戦えそうですね」


 冷めた言い方だ。

 そして、本音でもある。

 なぜなら、エウィンは六歳の時点で浮浪者だ。

 七歳で傭兵試験に合格、その後は草原ウサギを狩って命を繋ぎ続ける。

 十二歳は確かに子供だ。

 しかし、この少年はその年齢で魔物を殺し、殺されかける日々を過ごしていた。

 エウィンが平然と言ってのけるも、ハクアも同様に意に介さない。


「文字の読み書きが出来るようになったから、来月から鍛錬を再開させるの。あんた達がここに来る前から時々来てたのだけど、さすがに文字くらいは読めないと不便だろうってことで、勉強期間を設けたってわけ」

「そうなんですね。その子ってどのくらい強いんですか? あ、もしかして僕より?」

「どうかしら? モーフィスよりは強かったわよ、あの子」

「げ……、本当に天才じゃないですか」


 衝撃の事実だ。

 その少女は十二歳ながらも、モーフィスという老戦士を既に上回っている。

 生まれながらの超越者が伊達ではないと、証明された瞬間だ。

 エウィンが引きつりながら驚く一方で、アゲハは異なる理由で眉をひそめる。


「十二歳なのに、文字の、読み書きを?」

「あぁ、アゲハはこの世界の人間じゃないから、余計に引っかかるのかしら? その内、説明するわ……。ほら、準備出来たのなら、お肉取って来なさい」


 この話題はここまでだ。

 まるで不都合でもあるのか、ハクアが若者二人をせっつく。

 エウィン達はこれから仕事の時間だ。集落の食糧事情に貢献するため、ミファレト荒野へトカゲ狩りに出向かなければならない。


「んじゃ、アゲハさん行きましょう」

「う、うん……」

「行って来まーす」

「行って来、ます……」

「行ってらっしゃい」


 エウィンとアゲハが出かけたことから、居間には静寂が訪れる。ドアの向こうからは話し声がかすかに聞こえるも、それもほんの一瞬だった。

 一人取り残されたハクアだが、改めてコップに右手を伸ばす。


(パオラとエウィン……、どっちを優先すべき? それも含めて……)


 打倒セステニア。この信念は揺るがない。

 この魔女はそのために千年もの時間を生き続けた。候補もアゲハを含めて三人に絞れた以上、ここからは育成方針が重要だ。

 思考は変わり、夕食の献立を考え始めた頃合いだった。

 玄関の戸が、ドンドンと叩かれる。


「来たぞーい。おるかー?」


 野太い声だ。

 ハクアは相手が誰なのかわかっており、不機嫌そうに返答する。


「入って」

「あれ、あいつらはいないのか」


 巨人族のような巨体が、玄関で雑に靴を脱ぐ。

 老人ゆえに髪の毛は少ないばかりか、すっかり白くなっている。

 モーフィス。六十六歳の老人ながらも、その実力は眼前の魔女に次ぐ二番手だ。

 ここに来た理由は、呼ばれたから。そうであると裏付けるように、普段はエウィンが座る椅子へ、ドスンと腰かける。

 その結果、二人は向かい合うも、ハクアは興味なさげに立ち上がる。


「あの子達なら丁度出かけたわ。飲み物用意するから、ちょっと待ってて」

「おう」


 夫婦のようなやり取りながらも、彼らは上司と部下でしかない。

 白衣を揺らし、それ以上に赤髪をたなびかせながら、ハクアが台所から戻る。その手にはコップが握られており、モーフィスの眼前へコツンと置かれた。


「ふむ、染みる味わいじゃのう。良いもん飲んでおる」

「バカ言って。あんたにも配ってる、普通のお茶よ。淹れ方間違ってるんじゃない?」

「うむ、否定出来ん。で、俺を呼んだ理由は?」


 前置きはここまでだ。

 モーフィスは時間を指定された上で呼ばれた。

 そのタイミングはエウィンとアゲハが外出するため、二人っきりは想定通りだ。


「パオラが、来月からまた来るわ。面倒見てくれない?」

「ほう、久方ぶりじゃのう。半年、いや、それ以上か?」

「そうね。お勉強がやっと終わったって。思ったよりは、かかったわ」

「それはまぁ、仕方ないじゃろう。あのおチビちゃんは……」

「色々、壊れちゃってるからね。パオラの件はここまでで、エウィンについて聞かせて頂戴」


 魔女が目を細める一方、モーフィスは出されたお茶をゆっくりと味わう。

 珍妙な間は、もったいぶっているだけだ。筋肉隆々の右腕がコップを置くと、しわしわな顔が話し出す。


「俺も六十年以上生きてきたが、あやつは良い意味で異常じゃ。気づけば、リードアクターありで俺を負かし、ついには素のままで俺を上回った。俺達が出会って、まだ半年も経っておらん。なんじゃ、あの成長速度は? こんなもん、過去の誰にも当てはまらん」

「そうね。能力無しに、あんたを越えちゃうなんてね。いつかはやれると思ってたけど、それにしたって早すぎる。てっきり数年くらいはかかるかと……。それを……」

「その間、二か月ほどかのう」


 二人の言う通り、常識の範疇から逸脱し過ぎている。

 話題には挙がらないが、アゲハもその点では同類だ。

 二人の成長曲線は人間の規格から外れており、ハクアとしても頭を抱えてしまう。

 もちろん、嬉しい悲鳴だ。

 そうであろうと、訝しげに思うことは避けられない。


「あんたは、どう分析してるの?」

「ふむ、エウィンの言うことを信じるのなら、やはり筋トレなんじゃろう。今までさぼっていた分、短期的には効果があったのかもしれん。それと、大食いも一役買ったはずじゃ。里長は怪しんでおるんじゃろうが、体づくりは無視出来ん」

「まぁ、そうなのかもね。私に当てはめると首を傾げたくもなるのだけど、不老なおばあさんはきっと例外ね」


 ハクアの天技は不老だ。

 その結果、三十代のどこかで彼女の加齢はストップした。

 そのアドバンテージを活かしていくらでも鍛錬に打ち込めるのだから、八十年前後しか生きられない人間に勝ち目などない。

 ハクアがテーブルに肘をつく一方で、モーフィスは仰け反るように背もたれを鳴らす。


「それと、もう一つ。これは完全に俺の憶測だが、あやつは俺やアゲハ以外とも、実は戦っておる」

「それって、トカゲ狩りのこと? そうだけど、それが何?」

「本来ならば、無意味じゃ。肉をもたらすという大事な仕事ではあっても、あやつ自身はトカゲを狩ることに恩恵を得られん」

「そうね。出会った頃ならまだしも、いえ、その時点で、あそこのトカゲはエウィンにとって雑魚だもの。いくら狩ったところで強くはなれない」


 この世界の摂理として、人間は魔物を殺すことで強くなれる。

 アゲハはこの現象をロールプレイングゲームの経験値やレベルに置き換えるも、概ねその通りだ。

 しかし、現実はそこまで甘くない。

 なぜなら、格下の魔物を倒したところで、成長には繋がらないからだ。

 言うなれば、経験値が得られない。

 経験値を得られる相手は、自身と同等かそれ以上の魔物を狩った時に限定されてしまう。

 これもまた、ウルフィエナの仕組みだ。傭兵や軍人ならば誰もが知っている定説であり、エウィンは百も承知でトカゲ狩りに励んでいる。


「普通はそうなんじゃ。普通はな……」

「まさか……、雑魚を狩っても成長している?」

「そうかもしれんし、的外れかもしれん。今はなんとも言えんが、その可能性がある以上、色々試すのも悪くはないかもしれん」

「そう、ね。事実として、エウィンは私達の想定を上回った。アゲハもまぁ、がんばってるようだし……」


 嬉しい誤算だ。

 その仕組みまではわからずとも、エウィン達はありえない速度で成長している。

 考え込むように、飲み干したコップを傾けるハクア。その対面にはモーフィスが座っており、沈黙は長続きしない。


「ガハハ! 面白いことになりそうじゃな!」

「うるさ……。追い出すわよ」

「ところで、おかわりもらえんか?」

「はいはい、ちょっと待ってなさい」


 真面目な討論はここまでだ。もとより答えなど出ないことから、真面目な空気を維持出来ない。

 エウィンとアゲハ。二人はまさしく特異点だ。

 普通でないとハクアも見抜けているのだが、仔細まではわからない。

 当然だ。当人達さえ掴みかねている。

 それでも今は、前へ進むしかない。

 確定していることは一つ。歩むペースは間違いなく速まった。

 だからこそ、間に合うはずだ。

 観客はいつまでも待ってはくれない。特等席を確保しながら、その瞬間を待ちわびている。

 舞台の上には、エウィンとアゲハ。台本を投げ捨てるように、二人は演じ続ける。

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