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第九十八話 小話「強くなるために」

 その森は無人ではない。

 奥地にはひっそりと集落が作られており、人々が生活を営んでいる。

 平和な日常は、防衛力があってこそだ。戦う力を持たない場合、外部からの暴力に屈するしかない。


「よし! 五分休憩!」


 号令だ。

 重々しい声の発生源はモーフィス。毛根が残りわずかな老人ながらも、その巨体は筋肉の鎧をまとっている。

 集落の片隅は更地だ。森を切り開いた結果だが、単なる空き地ではない。

 ここは若者達が汗を流す鍛錬の場だ。

 その目的はそれぞれだろうが、共通していることがある。

 強くなりたい。

 その志に胸打たれ、モーフィスは指導役を請け負っている。

 老後の暇潰しかもしれないが、この里に貢献していることは確かだ。

 今日も当然のように、その姿は半裸。上半身は肉体美を晒しており、麦色の短パンしか身に着けていない。

 この男が休憩の許可を出したことから、若者達が崩れ落ちる。

 素手で組みあっていた者達も。

 走り込んでいた子供も。

 魔眼を宿した女性も、スクワットを切り上げ倒れ込む。

 例外は、この少年だけだ。

 腕立て伏せを、まるで早送りのような速度で続けている。

 緑髪かつ緑色の長袖を着た努力家へ、モーフィスは呆れるように問いかける。


「休んでもいいんだぞ」

「あ、はい。でも、まだまだいけるので」


 強がりではない。

 エウィンの表情は歪んでおらず、上下の運動は依然として軽快だ。


「そうか。いや、そろそろ俺と手合わせじゃ。その前に少しでも休んでおけ」

「わかりました。モーフィスさんって……」

「ん?」


 この瞬間、更地に静寂が訪れる。

 休憩中ということもあるが、偶然訪れた沈黙だ。

 エウィンは一瞬だけ怯むも、確認せずにはいられない。


「今日も裸ですけど、寒くないんですか?」

「おう、当然じゃ」

「そうですか。ちょっとだけ、風が涼しい気もしますが……」

「はん、この程度で何を言っとる。たまにはおまえさんも脱げ」

「え⁉ い、いやー! 誰か助けてー!」


 醜い光景だった。

 そうであるように、周囲の若者達は目を背ける。

 その一方で、何人かは鼻息荒く凝視していたが、女性ゆえに男の裸が珍しいだけか。

 なぜか胸を隠すエウィンに対し、モーフィスはいつものテンションで笑い飛ばす。


「ガハハ! 気合が入ったろう⁉」

「いえ、テンション下がりましたけど……」

「ナイーブな奴じゃのう。ところで、今日はアゲハがいないようじゃが……」


 モーフィスの言う通り、周囲にアゲハの姿は見当たらない。

 普段はエウィン共々鍛錬に励むため、珍しい状況だ。

 乳首を隠したまま、エウィンが事情を話す。


「ハクアさんが魔道具の実験をしたいみたいで、アゲハさんはそのお手伝いです」

「ほう、里長は色々拾ってくるからのう」

「そうなんですか? てっきり王国から買ってるものかと……」


 魔道具とは、地球における電化製品に近い。

 周囲を照らす、マジックランプ。

 倒した魔物を記録する、ギルドカード。

 時計の類も魔道具であり、その在り様は多岐にわたる。


「普通はそう思うじゃろう。不思議なことに、どこからともなく拾ってくるんじゃ。使い道も、使い方もわからんもんを……。ここの結界もその応用らしいが、詳しいことはわからん」

「さすがハクアさん、謎多きおばあちゃんってことですかね」

「そうじゃのう、ガハハ!」


 盛り上がる二人だが、もしもハクアがここにいたら、半殺しでは済まなかった。

 そうであろうと今は無傷ゆえ、談笑は当然のように継続される。


「実際のところ、ハクアさんってどのくらい強いんですか?」

「桁が違うとしか言えんのう。俺とおまえさんの二人がかりでも、かすり傷一つ負わせられん。何年か前に珍しくここを離れたんじゃが、その時は王国に乗り込んで、四英雄をぶっ飛ばしたらしいぞ」


 イダンリネア王国の頂点は王族だが、その下に四家が君臨している。

 それが四英雄だ。

 その血筋は巨人戦争を終わらせた英雄から始まっておりり、超越者を代々生み出している。

 言ってしまえば、イダンリネア王国の最大戦力だ。

 王国を維持するため。

 王族を支えるため。

 彼らは才能の上に壮絶な努力を積み重ねている。


「あ、僕もちらっと聞きました。光流武道会に殴りこんで暴れたとか何とか……」

「そうらしいのう。血の気の多いばあさんじゃ。それとも外見に引っ張られて、精神年齢は若いままなんか?」

「でも、三十代で年齢がストップしたって言ってましたよ。三十代って、若い?」

「まだまだ若いじゃろう。おまえさんにはおばさんかもしれんが」

「そうですね、僕十代ですし」


 この発言が原因かは定かではないが、奇妙な沈黙が訪れる。

 悪口ではないはずだ。

 しかし、わずかな後ろめたさを感じてしまう。

 話題を変えるため、モーフィスが胸筋を弾ませながら胸を張る。


「ところで、最近の手応えはどうなんじゃ?」

「と、言いますと?」


 曖昧な質問だ。

 エウィンとしても、首を傾げてしまう。


「俺やアゲハとの手合わせじゃ。リードアクター無しでも、随分と食い下がれておるが……」

「あー、そうですね。おかげさまで良い感じだと思います。自画自賛なんておこがましいですけど、自信ならあります」


 休憩は終わりだ。

 そもそも体力を消耗していない。

 エウィンはズボンの砂を払いながら、流れるように立ち上がる。

 この傭兵は細身だ。

 にも関わらず、その内側には無限の可能性を宿している。

 モーフィスもそのことを見抜けており、対戦相手からの圧迫感には笑顔で抵抗するしかない。


「ガハハ、言うようになったのう。縛った上で勝ってくれたのなら、それはそれでいっそ清々しいわい。とは言え、手は抜かんぞ」

「わかってます」


 これは単なる模擬戦だ。日課として毎日繰り返されているのだが、この二人が戦う際は、空気が一変する。

 周囲から音が消え去った理由は、若者達が離れたからだ。近くで鍛錬に励もうものなら、命がいくつあっても足りない。

 この日、エウィンは新たな一歩を踏み出す。

 光流暦千十九年、二月。そこには、モーフィスを見下ろす勝者の姿があった。

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