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第百二十話 小話「おみやげ」

 空がうっすらと濁り始める。

 その色合いは、水色から灰色へ。

 間もなく黒一色に塗り替わるだろうが、今はその一歩手前だ。

 イダンリネア王国とは異なり、この地は街灯が完備されていない。家々から漏れ出る光では心もとないため、住民の多くがこのタイミングで家路を急ぐ。

 一方で、家族の帰りを待つ側も暇ではない。夕食は一日を締めくくる行事ゆえ、その準備には自然と力が入ってしまう。

 この女性もその内の一人だ。真っ黒な髪は長く、毛先だけが輝くように青い。

 茶色のチュニックは地味な衣服ながらも、彼女の豊満過ぎる胸が結果的には強調されており、つまりは蠱惑的だ。

 坂口あげは。ウルフィエナに転移した日本人であり、その実力は以前とは比べ物にならない。

 彼女はハクアの家に居候している。その特異性を見出され、この家に招かれた。

 気づけば、台所は彼女の縄張りだ。調味料の置き場所さえ、彼女好みに変更している。

 そうであろうと、夕飯作りは二人がかりだ。家主のハクアと肩を並べて、大量の食材と戦う。


「そろそろかしらね」


 鍋のスープを眺めながら、赤髪の魔女が口を開く。この時代における最強戦力であろうと、エプロンをまとえばその姿は調理人だ。真紅の長髪についても、邪魔にならないよう背中側で束ねている。

 彼女の発言に対し、アゲハはトマトをスライスしながら共感せずにはいられない。


「そう、思います。晩御飯までには、帰るって」

「今のあいつなら片道一時間かからないでしょうし、まぁ、トラブルさえなければって感じかしら」


 二人はエウィンについて語っている。

 この青年は買い出しのため、今朝ここを飛び出した。

 イダンリネア王国は遥か遠方ゆえ、本来ならば日帰りなどありえない。仮に自動車が発明されようと、やはり不可能だろう。

 それでもエウィンなら、あっという間だ。それほどに身体能力が高く、ルートも当然のように暗記済みだ。道中の魔物も蹴散らせるため、おつかいを頼む相手としてはこの上なく頼もしい。

 そうであろうと、待ち人を不安がらせる程度には、時間がかかってしまう。

 なぜなら、この遠征はマラソンではなく、大量の物資を買い込むためだ。城下町を闊歩しそれぞれの店で商品を買うだけだが、その量が多いため、こうして陽が沈もうとしている。

 アゲハはまるで母親のように、エウィンを気遣ってしまう。


「お腹すかせて、帰ってきそう」

「そうね。食いしん坊を満足させられるくらい、いっぱい作りましょう。いつものことだけど」


 エウィンは大食いだ。体づくりの一環であり、食事量はアゲハとハクアの合算を大きく上回る。

 作る側としては大変だが、アゲハはそれを苦に感じていない。


「おやつも、作った方が、いいかな?」

「そこまで甘やかさなくても……。あぁ、あんたが食べたいだけでしょ?」

「う……」

「太るわよ」

「う……」


 辛辣な指摘だが、あながち的外れでもない。

 アゲハは肉付きの良い女性だ。肥満ではないのだが、スリムとも言い難い。

 大き過ぎる胸のせいで目立たないが、腹部の脂肪は掴める程度には余ってしまっている。

 ハクアは同性としてそういった事情を見抜いており、釘を刺さずにはいられなかった。

 その後も夕食作りは進むのだが、完成間際のタイミングで玄関が開かれる。


「戻りましたー」


 男の声だ。疲れているのか、いくらかトーンが低い。

 盛り付け作業を切り上げ、アゲハが嬉しそうに歩き出す。


「あ、おかえり、なさい」

「ただいまです。言われたもん、全部買えましたよ。この鞄、本当にいくらでも入りますね。ビックリです」


 革製の背負い鞄は見た目に反して普通ではない。

 マジックバッグ。魔道具の一種であり、その容量は無限ではないものの、ありえない程度には膨大だ。

 ハクアから渡された大金は、大量の調味料や布地を買ったことでほとんど使い切ってしまった。

 鞄を下ろし、エウィンは小さく息を吐く。汗ばんだ様子はなく、つまりは余力を残してなお日帰りを実現した。

 アゲハとしても、彼を労わずにはいられない。


「もうすぐ、晩御飯出来るよ。ゆっくりしてて」

「わーい。お腹ペコペコです。お昼はうどんしか食べてなくて。あ、でも、粗挽き羊肉の汁なしうどんが復刻してて、注文せずにはいられませんでした」


 二種類の肉が盛られた、汁なしうどんだ。六百イールと外食としてはお手頃価格ゆえ、エウィンとしても気兼ねなく食す。


「ふふ、そのおうどん、好きだよね」

「うどんと肉の暴力的な組み合わせが、僕を引き付けてやまない、的な。あ、ハクアさん、これ」


 少し遅れて、ハクアが姿を現す。濡れた手をエプロンでゴシゴシと拭う仕草は、彼女なりに急いだ結果だ。


「おかえり。ちゃんと買えた?」

「バッチリです、多分」


 この問答と共に、家長はマジックバッグを受け取る。仮に買いそびれた品があったとしてもエウィンを叱るつもりなどないのだが、それはそれとして中身のチェックを怠るわけにはいかない。

 とは言え、確認作業は食後だろう。今は夕食作りの真っ最中ゆえ、ハクアとしても台所へ戻りたい。


「まぁ、先ずは夕食にしましょう。ところで、アゲハのズボンもこの中?」


 この発言がアゲハを硬直させる。

 エウィンは買い出しのついでに、女性用ショートパンツの類を購入するつもりでいた。小遣いの額が多かったため、それも可能だろうと考えてのことだ。

 履かせる相手は当然のようにアゲハ。

 つまりは煩悩でしかないのだが、エウィンはハクアの問いに対して肩を落とす。


「い、いえ……」

「どういうこと?」

「その、お店に……、女性用のお店に入る勇気がありませんでした」


 ある意味で正常な感覚か。十九歳の男が女性用のズボンを物色する姿は、いささか不気味だろう。

 この返答を受けて、ハクアが笑いながら台所へ去る。

 その結果、居間には二人だけが取り残されるも、エウィンはこのタイミングでズボンのポケットに手を突っ込む。


「だから、アゲハさんにはこれ。おみやげです」


 少年の指が、小さな紙袋を吊るすように掴んでいる。ポケットの中に入れていたため、それはほんのりと暖かい。

 アゲハはおそるおそる受け取るも、開こうとしないばかりか、凝視したまま動かない。


「私、に?」

「はい。お菓子にしようか迷ったんですが、アゲハさんにはこういうのが似合うかなって。髪の毛長いし、綺麗だし」


 褒められたことで頬を赤らめながら、アゲハは紙袋の口を開く。

 現れたそれはリボンタイプの髪留めだ。輪っか部分がシュシュのような形状をしており、濃厚な青色が宝石のように美しい。

 小物ながらも安物ではなく、もっともアゲハとしては、エウィンが悩んで決めたことが何よりも喜ばしい。


「あ、ありがとう。大事に、使うね」


 心と心が通じ合った瞬間だ。

 この事実は揺るがないのだが、エウィンは笑顔を返しつつ、台所へ向かう。


「ハクアさーん! ハクアさんにもおみやげ~」

「え、何よ?」

「はい、髪留め」

「私に? あ……」


 年長者が全てを察した瞬間だ。

 髪留めを贈られた者同士の視線が交わる。

 エウィンの厚意を独占出来なかったアゲハ。

 アゲハの心中を察したハクア。

 奇妙な沈黙が台所を支配する中、エウィンはから揚げをつまみ食いする。


「うまい」


 こうして、今日という一日が締めくくられる。

 サンドワームの討伐など、買い出しのついでだ。結果的には多数の命を救えたのだが、そんなことは露知らず、アツアツのから揚げを頬張る。

 明日からは厳しい鍛錬の始まりだ。

 指導役はハクア。最強の魔女が、この少年をついに鍛える。

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