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第百四話 帰国の果てに彼らは出会う

 若い傭兵が走っている。

 彼の脚力は人間を凌駕しており、その勢いは突風さえも追い付けない。

 ここは見渡す限りの草原地帯だ。

 この地の名前はマリアーヌ段丘。草原ウサギと呼ばれる魔物が生息するも、彼らならば障害になり得ない。

 この走者は一人ではなく二人組だ。妹のような少女を連れており、護衛も兼ねた案内役として数歩先を疾走している。


「もうすぐだと思うけど、大丈夫?」


 後方の少女を気遣うも、減速まではしない。彼女が自身に匹敵する強者だと理解しているためだ。


「だいじょぶ!」


 パオラ・エヴィ。容姿は非常に幼いものの、実年齢はもう少し上の十二歳だ。

 つまりは子供なのだが、前方の年長者と遜色ない速度で走れている。

 この移動は徒競走でもなければ、鍛錬でもない。イダンリネア王国への帰路であり、目的地はもう間もなく見えるだろう。

 だからこそ、エウィンはこのタイミングで思い返す。


(わかってはいたけど、あっという間だ。色んな意味で……)


 きっかけは昨日の連絡だ。魔眼を用いた遠距離通信によって、パオラの帰国を求められる。

 もっとも、これ自体は予定通りのスケジュールゆえ、赤髪の魔女ことハクアは当然のように承諾する。


(この子が実はお貴族様で、知らなかったのは僕だけというオチ……)


 日本人のアゲハですら、把握出来ていた事実。

 パオラは類稀な超越者ながらも、彼女の生い立ちはそれだけに留まらない。

 王国の運営に携わる、高貴な身分の一員だ。

 エヴィ家。イダンリネア王国の物流を担う貴族であり、国内の物の流れを把握すると同時に、異国との貿易についても管理、運営している。

 パオラはその家の長女だ。家を継ぐのは兄の方ゆえ、自由気ままに生きることが許されている。


(なんでアゲハさんですら、貴族の名前を把握出来てるの? 一般常識って言ってたけど、十八年生きてて知る機会なんてなかったような)


 両腕を勢いよく振りながらも、心の中では愚痴ってしまう。

 エウィンの指摘通り、一般市民にとって貴族は別世界の人間だ。城下町で見かけることはあっても、声をかけることすら許可を得なければならない。

 ましてや、この少年は貧民街の浮浪者だ。一般的な仕事に就くことすら許されず、つまりは用意された差別階級か。

 それでもエウィンとパオラが一つ屋根の下で過ごせた理由は、その地がイダンリネア王国ではなく魔女の里だからだ。

 強くなるために。

 そのために召集された二人ゆえ、身分の違いなど無視される。


(まぁ、いいや。もうすぐ到着っと。そしたら、エルディアさんにこの子を届けて……)


 今回の帰国は、パオラが一週間の鍛錬を終えたことに起因する。

 たったそれだけの期間でどれほどの成長が見込めるかは、いささか謎だ。

 それでも、この少女をエヴィ家から取り上げるわけにもいかないため、ハクアは非効率なこの帰国を受け入れる。

 その道案内がエウィンの仕事だ。

 パオラがいかに強者であろうと一人では帰れない。東を指差して、あっちだよ、と教えたことでやはり不可能だ。

 この傭兵ならば地図無しに帰国出来るため、実力も相まって最適な人選と言えよう。


(寄り道し過ぎたかな? 思ったよりは時間かかっちゃったかも……。頼まれた買い物済ませて、さっさと帰りたいけど……。さすがに難しいか?)


 体力的には問題なく可能だ。

 しかし、夜道となると危険がつきまとう。

 街灯すらない夜の森を駆け抜けるとなると、樹木との衝突は不可避だ。

 あるいは、同業者や商人とぶつかる可能性もあり得る。

 そういったアクシデントを避けるためにも、明るい内に帰りたい。


(まぁ、あれこれ考えるのは後回しでいいか。順番に、一つずつ片付けよう)


 思案はここで停止だ。

 おおよそ二時間かけた旅路は、間もなく終わる。

 遥か前方に現れた、巨大な壁。イダンリネア王国を守る石壁であり、その内側こそが目的地だ。


「みえたー」


 青いポニーテールを躍らせながら、パオラが嬉しそうに指差す。久方ぶりの帰宅ゆえ、昂る感情を抑えられない。


「大門近くまでは走って近づこう」

「わかった!」

「着いたら、エルディアさんのお店に行こうね」

「うん!」


 エヴィ家には直行しない。

 なぜなら、この傭兵は浮浪者だ。残念ながら、特権階級が住まう区画へは立ち入ることが許されない。

 ゆえに、連絡を寄越したエルディアの元へ向かう。そのように話はついており、パオラにとっては遠回りながらも、ここまでの移動距離と比べたら誤差のようなものだ。

 そして、二人はたどり着く。

 眼前に立ちはだかる、天を衝くほどの壁。行き止まりのようなそこには大門が口を開いており、武装した軍人が待ち構えている。

 この時点でエウィンの役目はほぼほぼ完了だ。肩の荷が下りたことから、減速と共に一旦立ち止まる。


「到着、と」


 往来の多い城下町を走るわけにはいかない。この二人ならば、疾走だけで王国民をひき殺せてしまう。

 ゆえに、門番に見守られながら歩き出すも、エウィンの左手に何かが触れた。

 パオラの右手だ。小さな手のひらが、手繋ぎを求めてピンと伸びる。


(ん? あぁ、そういう……。まぁ、いいか。ハクアさんやアゲハさんも手を繋いでたし……)


 ここではエウィンが保護者だ。

 いささか照れながらも、二人は兄妹のように大門をくぐる。



 ◆



「あ! おにいちゃん!」


 少女の声が嬉しそうに弾む。

 混みあう城下町をグングン歩き、エウィン達はついにたどり着いた。

 眼前の店は武骨ながらも、扱う商品を考えたら至極当然だ。

 看板にはこう書かれている。

 総合武器屋リンゼー。

 窓越しに店内を覗き込むと、多数の凶器が陳列されている。

 エウィンは傭兵ゆえ、言うなれば顔馴染みの客だ。この店の扉を開いた回数は一度や二度では済まない。

 もっとも、今回はパオラが我先に入店した。この少女もまた、足しげく通う一人だからだ。

 そして、開口一番叫ぶ。

 兄と慕う人物は、背後のエウィンだけではない。

 眼前の青年こそが本物だ。


「おかえり。迎えに来たよ」


 その雰囲気は気品に満ちている。

 整った銀髪と上品な服装は、上流階級の証だ。

 それでいて、その立ち振る舞いは鼻につかない。武器屋という異質な空間に溶け込めており、店番の女性も自然体だ。


「お、来たねー。二人共、待ってたよー」


 彼女の名前はエルディア・リンゼー。この店の一人娘ながらも、その瞳は魔眼を宿している。

 店内では彼女が最も長身だ。店番らしく武器屋のエプロンを身に着けてはいるが、元傭兵らしく肉体は引き締まっている。

 茶髪のボブカットを傾けながら笑みをこぼす理由は、予定通りの帰国を安堵してか。

 あるいは、眼前の貴族と会話が弾んでいたのかもしれない。

 パオラに抱き着かれながら、兄と呼ばれた青年が視線を動かす。


「君がエウィン君?」


 見知らぬ二人が出会った際の定石通りな問いかけだ。

 それでもなお、名前を呼ばれた側はたじろいでしまう。


「あ、はい、そうです」

「私はウイル、ウイル・エヴィ。ご覧の通り、パオラの兄です。妹を送り届けてくれたようで、本当にありがとう」


 貴族でありながら、この男は頭を下げる。ここが武器屋という閉鎖空間だからこそ許される行為なのだが、仮に大通りであろうと態度は変わらなかっただろう。

 これがいかに異常なことかわからないため、エウィンは呆けるように口を開く。


「あ、ご丁寧にどうも。えっと、僕はもう帰っても?」


 エウィンにとっても、この状況は想定外だ。

 なぜなら、エルディアに送り届けるつもりでいた。

 実際には彼女だけでなく兄を名乗る人物が待機しており、眼前では感動の再会を果たしている。


「おにいちゃん! わたし、つよくなった!」

「よ、よかったね……。うぐぐ、お昼ご飯リバースしそう……」


 構図としては、妹が兄に抱き着いている。

 しかし、ウイルは苦悶の表情を浮かべており、ミシミシと響く異音は気のせいではない。

 微笑ましい二人を眺めながらも、エルディアがカウンター越しに提案する。


「エウィン君も疲れてるっしょ? パオラちゃん共々、ゆっくりしてってよ」

「はい、そういうことなら……。ところで、助けなくていいんですか?」


 エウィンでさえ、不安になってしまう。

 兄の顔はすっかり青くなっており、意識を手放すのも時間の問題か。

 そのはずだが、エルディアは慌てもしなければ驚きもしない。


「死にはしないっしょー。私より頑丈だしねー」

「そう……だとしても、そろそろ店内がゲロまみれになりそうな……」

「それは普通に嫌だなー。パオラちゃん、お兄ちゃんからパインジュースもらったから、奥に行こっか」

「いくー」


 兄成分を補充し終えて満足したのか、あるいは食い意地が勝ったのか。

 パオラはウイルから離れると、エルディアに連れられカウンターの奥へ消え去る。店と住居が連結しており、そこから台所へ向かうことが可能だ。

 その結果、男二人が店内に取り残される。

 居心地の悪い沈黙が訪れるも、ウイルの顔色は未だ青いため、その役目はエウィンが果たすしかない。


「妹さん、元気と言いますか、すごい才能ですよね」


 事実、その通りだ。

 生まれながらの超越者。類稀なその素養は、国宝と言っても差し支えない。

 だからこそ、赤髪の魔女が目を付けた。しっかりと鍛えた上で、千年前の巨人戦争を今度こそ終わらせようとしている。


「そうだね。君もかなりの腕前って聞いてるけど、パオラとは戦ってみた?」

「はい、毎日のように。一応、僕が勝ち続けてます。十二歳相手に熱くなるのもアレなんでしょうけど……」


 嘘は言っていない。

 僅差ではあるが、模擬戦の結果はエウィンの全勝だ。身体能力の差も去ることながら、危機の事前察知がなにより大きい。

 ましてやこの少年は、奥の手を使っていない。

 リードアクター。アゲハとの契約によって会得した天技であり、腕力や脚力といったあらゆる能力が向上する。

 もっとも、パオラ相手にはこれを使うまでもない。

 そういう意味では、この傭兵も異常な資質を持ち合わせている。

 そして、眼前の貴族もその内の一人だ。


「へぇ、本当にすごいね。もしかして、私と同じくらい、あるいは……。ハクアさんは今度こそ、本物と出会えたのかもね」

「え、それってどういう……」

「あぁ、既に聞いてるかもだけど、私もハクアさんとは知り合いでね。白紙大典を譲ったのは私なんだ」


 エウィンとしても初耳の情報だ。

 ハクアと白紙大典は一心同体のように連れ添っているため、このカミングアウトは青天の霹靂と言えよう。

 思考が停止しかかったが、先ずは問い直すことから始める。


「白紙大典うんぬんは初耳です」

「ふむ、君も当事者のようだし、せっかくだから前任者として全てを話そう」


 このタイミングで、ウイルが右足に重心を傾ける。左目の泣きぼくろを見せつけるように天井を仰ぐも、予備動作に過ぎない。

 エウィンが耳を傾けたことで、店内には静寂が訪れる。今から始まる演説は、バトンタッチを兼ねているのかもしれない。


「私が白紙大典と出会ったのは、今から八年前。自宅の書庫で、真っ白な本に話しかけられてね。どういうわけか契約することになったんだ」

「八年前……」

「この出会いがきっかけで、私は一刻の間、傭兵としてエルさんとあちこちを駆け回ったんだ。その過程で、まぁ、色々あって、ハクアさんと知り合ったり、パオラを保護したり、オーディエンに目を付けられたり……。何度も死にかけたけど、ご覧の通り、エルさんのおかげで生き延びることが出来たって感じかな」


 ざっくりとした説明だ。

 当然ながら、エウィンはそのほとんどを理解出来ない。

 そうであろうと、その一点については食いついてしまう。


「パオラを、保護?」

「あの子は、エヴィ家が引き取った養子なんだ。あれは……、四年も前になるのか。ギスギスに痩せたパオラを、ギルド会館で見かけてね。父親が姿を消したから、一緒に探してあげたんだ。結果は最悪だったけど、パオラは晴れてエヴィ家の養子に。そして、今に至る、と。ハクアさんはあの子の才能を誰よりも評価してて、不甲斐ない私の後継者としてパオラが任命されたって感じかな」


 パオラの生い立ちについては、エウィンも理解を終える。

 同時に、新たな疑問が生じてしまった。


「ウイルさんの後釜が、あの子?」

「こう見えて私は、自分で言うとこそばゆいけど、ハクアさんに認められた一人目なんだ。ぼっこぼこにかわいがられて、何度逃げ出したことか……。だけど、残念なことに頭打ちってやつでね。私はこれ以上強くなれないらしい。こんなんじゃ、ハクアさんの足を引っ張ってしまう。だから、傭兵もきっぱり引退して、今は稼業を継ぐために父の仕事を手伝ってるんだ。話を戻すと、パオラの方が才能があるみたいで、ハクアさんとしても鍛えたくて仕方ないって感じなのかな? そのあたりは私より君の方が詳しいかもだけど……」

「あの子は確かに天才だと思います。十二歳であんなに戦えるなんて……。ハクアさんも娘のようにかわいがってますよ」


 エヴィ家の兄と妹は非凡だ。

 そこまではエウィンも理解を終える。

 もちろん、完全な把握とは言い難い。それでも、真っ白な用紙に箇条書きで情報が記載されたことから、前進したことは間違いないはずだ。

 いくらか空気がほぐれたことから、彼らの視線が改めて交わう。

 エウィンとウイル。この二人を比べた場合、エウィンの方がわずかに長身だ。

 一方で、ウイルの方が一歳だけ年上なのだが、この場においては誤差でしかない。


「ハハ、あの人がお母さんか。今でも白紙大典を舐めまわしてるの?」

「そうですね。発作の類だと思ってスルーしてますけど」

「それが正解だと思うよ。ところで、君も生まれながらの超越者なのかい?」


 ウイルは貴族でありながら、同時に傭兵だ。本人は引退済みだとうそぶくも、その実力は決して衰えてはいない。

 だからこそ、緑髪の若者が気になってしまう。

 パオラを打ち負かせる時点で、本物の強者だ。自身に勝るとも劣らない人間がいるのだから、探りを入れたくもなる。


「いえ、僕は……。あ、ウイルさんも傭兵だったら、こんな通り名聞いたことありませんか? 万年ウサギ」

「ん、あるよ。草原ウサギを狩り続けてる人だよね? あ、もしかして……」

「はい、僕のことです。去年の今頃まで、僕はウサギしか狩れない底辺でした」


 にわかには信じ難い。

 しかし、紛れもない事実だ。

 草原ウサギは最も弱い魔物として認識されている。傭兵でなくとも数人がかりでなら狩れる上、拳銃を用いれば単身撃破も可能だ。

 そのような魔物を狩り続けた結果、エウィンにはレッテルが張られる。

 万年ウサギ。

 もはや悪口でしかないのだが、その段階で足踏みをしていたことは間違いなく、エウィンはこの事実を受け入れながら草原ウサギだけを狩り続けた。


「でも、今は違う?」

「はい。その、なんやかんやあって、今ではパオラちゃんとやりあえる程度には……。どうしてなのかは、自分でもわかってないんですけど……」


 ゆえに、笑うしかない。

 あるいは呆れているのか?

 自分自身の成長を説明出来ないのだから、不甲斐ないことこの上ない。

 もっとも、この少年に非がないことは明らかだ。

 エウィンは当然ながら、当の本人であるアゲハですらわかっていない。

 彼女の涙がもたらす奇跡。

 シン界にて、彼女は望んだ。

 その恩恵がこれだ。当事者だけでなく、エウィンにさえ作用し、彼らは急激な成長を果たす。

 もっとも、その仕組みを理解していない以上、この少年は自身の成長を説明出来ない。


(努力が実を結んだ、としか思えないけど、だとしてもあの時のパワーアップが意味不明過ぎる。死にかけたから? 火事場の馬鹿力ってことなのかな?)


 エウィンの脳裏によぎる過去。

 アゲハと出会って、まだ間もない頃の出来事だ。草原ウサギを狩るために、アゲハを連れてマリアーヌ段丘へ出向いた矢先にそれは起こった。

 フルフェイス、フルプレートアーマーで武装したゴブリンとの邂逅。

 エウィンはアゲハが逃げるための時間を稼ぐため、ゴブリンのクロスボウで喉と腹部を射抜かれてしまう。

 もはや、絶命は避けられない。

 そのはずだが、現実は異なる。アゲハが天技に目覚めたことで、エウィンが一命を取り留めたからだ。

 奇跡はこれだけに留まらない。

 ゴブリンは追撃のためにクロスボウのトリガーを引くも、エウィンはその矢を掴んで止める。

 決着だ。この遭遇戦は、圧倒的な力の差によって幕を閉じる。

 勝者はエウィン。身体能力が急激に高まったことで生き延びることが出来た。

 神からの贈り物が奇跡を起こしたのだが、エウィンは何も知らされていないため、自身の成長は謎のままだ。

 そうであろうと問題ない。

 少なくとも、この貴族はそう考える。


「大事なことは二つだけだよ」


 安心させるように、ウイルがほほ笑む。

 年長者と言えども、その差は一歳だけ。それでも、その立ち振る舞いは大人のそれだ。

 エウィンは年下らしく、問いかける。


「二つ、ですか?」

「今の君が、どれくらい戦えるのか? それと、君はどうしたいのか? ようは、現状把握と方向性さ。私は挫折した。傭兵として生きていくことを諦めた。だけど、家を継ぐという道までは諦めなかった。逃げただけ、と言われたらそれまでなんだけど……」

「なる、ほど……」

「君はどうしたい? と言うか、目標はあるのかな?」


 これに関しては愚問だ。

 生きる理由など、とっくに決めている。


「オーディエンをぶっ飛ばします」


 正しくは、アゲハの帰還だ。

 しかし、今回ばかりは言葉を濁す。眼前の青年はアゲハを知らない他人ゆえ、共通の話題から単語を選んだ。

 もっとも、嘘は言っていない。

 オーディエンを倒すことで、異世界の研究者を紹介してもらえる。

 アゲハを地球へ帰すためには、この道筋以外ありえない。


「そう、君にも因縁が、あるんだね」

「はい、父を殺されました」

「なるほど……。オーディエンは私達が思っている以上の手練れだ。焦らず、なんて手前勝手なことは言わないけど、それでもこれだけは言わせて欲しい。もっともっと強くなってから挑んでくれ。あいつは逃げも隠れもするけど、その時が来たらいなくなったりしないから」

「わかりました」


 浮浪者と貴族。本来ならば交わらない二人が、共通の話題で盛り上がる。

 ましてやここは武器屋の店内だ。隔離された空間ゆえ、身分の違いなど問題ない。

 一時帰国が二人を巡り合わせた。

 エウィンは案内人として。

 ウイルは兄として。

 パオラがきっかけとなり、彼らは互いの顔と名前をついに覚える。

 灰色の髪を傾けながら、ウイルがカウンターの奥を眺めたタイミングだった。

 エプロン越しに大きな胸を揺らしながら、エルディアが顔を覗かせる。


「お二人さん、盛り上がってるー?」


 店番を放棄した一人娘が、満足そうに舞い戻る。唇がテカテカと輝いている理由は、パインジュースを堪能した結果だ。

 新たな友人が増えたことから、ウイルもまた笑顔をこぼす。


「うん、おかげさまで。パオラは?」

「奥でチョコ食べてるよー。うみゃーうみゃー言いながら」

「そろそろ帰らないといけないから、連れて来てくれない?」

「おっけー。用事でもあるのー?」


 ウイルはエヴィ家の一員ゆえ、平民よりも多忙だ。

 ましてや今は、父親の仕事を学んでいる最中。体力的にはへこたれないが、時間に追われていることは変わりない。


「パオラを家に送り届けたら、すぐさま軍区画に向かわないといけなくて」

「へー、ウイル君が一人で? 珍しいねー」

「シイダン耕地の視察で打ち合わせさ。今回から父に代わって私が赴くことになってて」


 シイダン耕地は重要な耕作地帯だ。そこで栽培された農作物は、近隣の村だけでなくイダンリネア王国すらも支えている。

 その地の視察は、エヴィ家の本業と言っても差し支えない。


「そっかー、大変だねー」

「はは、他人事のように言っちゃって。将来的にはエルさんだって同行するかもよ?」

「あ、確かに。青ガニ。んじゃ、パオラちゃん呼んでくるねー」

「よろしく」


 青ガニとは、バース平原に生息する魔物の俗称だ。正式名称はバースクラブながらも、その色合いから青ガニと呼ばれ、親しまれている。

 店員が姿を消したことから、店内には部外者の二人だけ。

 エウィンとしては、会話の違和感について問う絶好のチャンスだ。


「シイダン耕地へ?」

「ああ、色々見て回って、最終的には収穫量も把握しないとならない。けっこう重労働なんだよね」

「なるほど。ところで、エルディアさんも同行というのは?」


 これこそが最大の疑問点だ。

 彼女は武器屋の娘ゆえ、エヴィ家とは何の繋がりもない。

 そのはずだが、この貴族は平然と言ってのける。


「あー、その、エルさんとは付き合ってると言うか、多分、結婚すると思う……」


 この瞬間、エウィンは頭をガツンと叩かれたように動けなくなってしまう。

 エルディアはあくまでも傭兵仲間であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 大きな胸には惹かれるも、それを恋愛感情と認識するほど子供でもない。

 ゆえに、眼前の青年に嫉妬するとは思わなかった。

 もちろん、そのような感情を表に出すわけにもいかないため、平静を装いながら祝福する。


「そうなんですね、おめでとうございます」

「ありがとう。まぁ、まだ先のことだし、わからないけどね」


 ウイルの笑顔を受け止めながらも、エウィンは考えてしまう。

 この気持ち悪さは何だ?

 先を越されたという劣等感か。

 他人の幸福に対する嫉妬か。

 王国の頂点に位置する貴族と、最底辺の自分。両者を比べることすらおこがましいはずだが、エウィンの胸中はざわざわと濁る。

 もっとも、この少年は独りではない。

 彼女の顔を。

 彼女の名前を。

 思い浮かべたとしても失礼ではないだろう。

 それでもそうしなかった理由は、自身とアゲハとの間に、見えざる線を引いているためか。

 その線を取り払えるとしたら、それは殻を破った彼女以外ありえない。

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