十:天使
とはいえ、私の家には人を養う余裕はあまりない。そして養う気もさらさらない。
…が、しかし…。
「あの。…働くとは、どのようなことをしたらいいのでしょうか…。」
どうやらこいつは画家時代以外を全て働かずに過ごしてきたらしい。
「あの…、ここではご飯はどうやったら手に入るのでしょうか…。」
ついでに世の中の知識が赤子並みらしい。
…いや、正確にいうと世間と認識がずれまくっている。
「今まで、ご飯は食べたいものが出てきてましたのでその…どうやって調達するのか…僕は今オムライスが食べたいです…。あと、ここは少し肌が冷たくて…なぜこんなに冷たいのでしょうか…。」
こいつはどこの温室育ちの坊ちゃんだったんだ?
「…つまり、今まで絵を描く以外はずっとニートで、食事は好きなものがいつでもできてて、常に適温の環境で特に不自由なく過ごしてきた…と…?」
「は、はい、あ、あのでも、ニートって何でしょうか…?」
頭がクラクラした。
どんな楽園で暮らしてきたんだこいつは。間違いなく元いた家へ戻ったほうがいい。
「…食材はまず育てないとできないの。畑で野菜を育てて、海で魚をとって、牧場で食べる用に動物を飼うの。育てた野菜は収穫して、育った動物を殺して肉にするの。私たちは大多数が、そこまで処理されたものを買うの。」
ルチルティアはぽかんとしている。
「食材を取ったり育てている人は食材を買ってもらってお金を得るの。そのほかの人はまた別の方法でお金を得るの。世の中の人間が使うもの、食べるもの、欲しいものは皆ほかの誰かが作り出しているの。」
ルチルティアの顔が少し険しくなってくる。
「私は誰かが欲しい絵を作り出す。それを売って私はお金を得るでしょ。私が使う画材や食べ物や、洋服は、そのお金を使って画材を売る人間から買うの。」
ルチルティアは混乱した様子できょときょとする。
「この世はお金がないと生きられないの。食べるものも住むところも着るものもおしゃれも娯楽も全てお金がないと手に入らないの。だからまず世の中で暮らすためにはお金を手に入れないといけないの。」
…ということはつまり、
「お金がないと死ぬ。」
「大正解。」
ルチルティアは間抜けな声をあげた。
「ひ、人は好きだから畑を耕したり海から魚をとったりしていたわけではないんですか!天使の國ではお金はありましたが、それはとびきり美味しい食事や豪華な宮殿に住むための課金に使っていて…。」
基本使用料無料、もっと充実してやりこむなら課金してねみたいな?
「……人生はそこに存在するだけでお金を消耗する高級ゲームよ。」
「ヒョォ……。」
ルチルティアの顔色が白から青くかわる。
ラピスラズリと違って彼はコロコロ顔が変わる。見ていて飽きることはないかもしれない、少し鬱陶しいが。
「じ、じゃあ。僕があなたのそばに居るということはつまり、」
「……私の負担が増えるわねぇ。」
ルチルティアの顔がさらにみるみる青くなっていく。
血の気が引きすぎてもうそろそろ倒れるのではなかろうか。
「……ひえ!どどどうしましょう、僕働きます!僕でも出来そうな仕事はありますか…!?…は。でも僕は出来損ないと言われてきたのであまり…特技は…。」
「そうだね。うちそんなに裕福なわけじゃないから働いてね。飲食店のホール店員とかお店の売り子とかがやりやすいんじゃないのかな。」
知らんけど。
ラピスラズリもあまり画家以外に社会人経験がない。
しかし、ルチルティアのこの容姿であれば人と触れる職業の方が向いているのではないか…?特別な技術も要らない。
「お、お店…売り子とは…。」
「…あなた絵を買ってもらっていたでしょう。似たようなものよ。人が作った物が置いてあるお店で、お客に売る係。飲食店のホールはお客の食べたいものを聞いて、料理を作る人に伝えて、できた料理を運ぶの。あとは席を綺麗にしたり…。」
いや、こいつは壊滅的に常識がない。寧ろ人と触れ合えばものすごく怒られる気がする。
働くにしても、このおぼっちゃまの頭をどうにかしなければ…。
気が遠くなるな。
「…あなた元はいいところに住んでたんじゃないの?戻りなさいよ…。ここじゃ働くどころか暮らすこともままならない。」
思わずため息をついてしまった。
「…も、もとの…。」
あそこに戻るのか…。毎日何かしらを馬鹿にされ、誰かしらから虐げられ。
…あの美しい國。
そしてここでも、僕は…。
「……ぐす。」
ルチルティアの瞳にみるみる涙が溢れてくる。
こらえようとしているのに、そうするほどみるみる涙が落ちる。
「…え!泣いてるの?」
ラピスラズリはギョッとして慌ててルチルティアの顔を覗き込んだ。
「な、泣いてません!僕頑張りますから…!」
自分の服でゴシゴシと顔を擦る。
綺麗な顔が擦れて赤くなっている。
つい、ラピスラズリはハンカチを差し出してしまった。
「ああ…もう…、ほらこれで顔拭い…て…。」
地面を見て目を疑った。
「なに…これ。」
泣いているルチルティアの周りが、たくさんのキラキラに囲まれている。
まさか…、ラピスラズリはルチルティアの顔をもう一度よく見た。
「え、え、な、なんですか…?僕の顔変ですか…?」
銀色の瞳から涙が流れ落ちて、頬を伝って、顎から落ちて……。
そしてその落ちた先の、草に埋もれた地面の中に。
「し…真珠…。」
真珠。足元のキラキラ全てが真珠。
本物かは断定できないが、ラピスラズリが見る限りどう見ても真珠。
驚いて足を動かすと、転がった真珠たちがぶつかり合い、キャラキャラと音を立てた。
「な、…なんで?どういう…ことや…。」
驚きのあまり言葉が出ない。
ルチルティアはきょとんとして、なにをそんなに驚いているのだろう?と不思議そうにしている。
「…あ、そうか。僕の涙、キラキラした石に固まるんですよ、人は違うんですよね。…そういえば、エリスはいつも泣いていたから…周りがとてもキラキラしていました。彼の涙は綺麗なダイアモンドで…。」
そう…エリスはその涙もとても美しかった。
ルチルティアは物思いに耽っている。
ラピスラズリは慌ててルチルティアの背後に回る。
「い、いた!イタタ!!なにをするんですか!?」
ムンズッとその背についている小さな翼を鷲掴みにする。…取れない。
生え際をよぉく凝視すると、……繋がっている。
「ほ、…本物…。」
開いた口が塞がらなかった。
ラピスラズリはその人生の中で、今一番表情筋を使っていた。
「え、え、先程から申し上げていましたが…し、信じてもらえていなかったんですか…?!」
ガーン。…ショック。
ルチルティアはラピスラズリにしっかりと向き直って、改めて言った。
「あの、僕は…本物の天使、ですよ。…?」
驚きのあまり、ラピスラズリはしばらくその場で硬直してしまう。
「…ほ、…。」
彼女がようやく口を動かしたのは、それから数分経った頃だった。
「……おまえ、毎日泣け。」




