七話 『日記』
その日の真夜中、リンヤは三人に見送られながら、あのヴラヌス墓地に出発していた。二度と戻らないと思っていたわけではないが、こんなにも早く出戻ることになろうとは、思っても見なかった。
しかし、苦行に感じようはずもない。むしろ、行きよりも足取りが軽く感じるほどだ。
リンヤは、別に歩いているわけではなく、魔力による浮遊でほとんど移動を済ませている。歩くよりは随分と速い。
だが、一人旅はとても暇だ。
雄大な平原は夜闇にまぎれてあまり見えないし、いつまで経っても同じような風景ばかりが続く。
そんな旅路で彼に何が出来るのかといえば、夜空に輝く月を眺めるか、思案にふけるぐらいのことしかない。
朝会ったレノバン。実は会ったことのあるような気がしてならないのだ。前時代的なナンパ方法ではなく、割と真面目に。
これは別におかしなことではないのかもしれない。なぜならば、リンヤとレノバンは実際にあったことがある可能性があるからだ。
六年前といえば、リンヤがマヤと生活を始めたころだ。そして、その時期にレノバンも夫と息子を亡くして、あの墓地に二人の骸を埋葬しに来ているはずだ。その時、彼女の顔を見ていてもおかしくはない。
だが、そういった既視ではなく、むしろ親近のような感覚すら覚えている。
しかし、どれもこれも曖昧で、確証は得られない。
幸か不幸か、リンヤには考えるべきことが山積していた。曖昧な事柄は、他の事柄に押し潰されてしまう。
次に、あの『影』について。
リンヤを突如襲ったあの黒装束は、はたして何が目的だったのか。それ以前に、何者なのか。
自爆すら是とし、死すら恐れず、分が悪いとなるとすぐさま逃げ出した。
恐ろしいと感じているのか。――否、嫌悪感を覚えているのだ。
彼ら、ないし彼女らがどんな正義の味方であろうとも、決して相容れることはないだろう。
出来るならば、二度と会いたくないとすら考えている。
しかし、それも叶わないだろう。曖昧ながら、こちらは確信のようなものがあった。決して逃れられないよな、不気味な確信が。
ここでこの題目はお仕舞いとして、次は明るいことでも考えよう。リンヤは思考を切り替える。
考えるべきことは、今後のこと。
今後というと、これからいく墓地のことではない。
それよりも先、人型を手に入れた後の生活のことである。
はっきり言って、夢が広がりまくっている。まさか人型を手に入れられることが出来ようとは思ってもいなかったからだ。
まずは拠点でも借りて、王都にあるという魔法学院にマヤを通わせる。自分は最初は冒険者稼業でも営み、安定してきたら店でも開こう。そして、お隣さんと談笑しながら世間話にでもしゃれ込んで、マヤが時代に名を残すような存在になるのを、民衆の中から見守る。
最高だ。随分と爺臭い将来設計だが、誰からも文句を言われないだろう。言われたとしても気にしない。
暇つぶしに自分を転生(?)させた紙と名乗る存在には申し訳ないが、それがこの世界の道筋だ。視ているだけで暇になること請け合いだ。
そんなことを考え数時間、リンヤは森の入り口に到達していた。
慣れ親しんだ森。
しかし、何かおかしい。
具体的に何がおかしいのかと言われれば口をつむぐしかない。とにかく、異変を感じる。
(……死?)
具体性が出てきた。
目を凝らせば見えてくる。
強烈な意思を持った、死霊がたゆたう姿が。
しかし、人だけではない。森の魔物たちの死霊が、こんな入り口にまで溢れてきている。
(おかしいな。森で死んだ魔物は、ほとんど死霊になることなんてないのに)
弱肉強食の世界で生きる魔物たちには、ほとんど怨念などは宿らない。あるのは生存本能だけだ。
故に、この世に未練などはないはずだ。
つまり、
(この世に未練を残すような死に方をしたっていうことか?)
だとしてもおかしなことがある。
何をどうしたらそのような死に方になるというのか。
否――殺されたのか。
リンヤは森の中を疾駆する。
森はたったの一日で様変わりしていた。
所々を赤に染め、黒く変色した血に彩られている。死体は野晒し、死肉を貪る魔物にとっては極楽のような場所ではあるのだが、今はその姿さえ見えない。
(冒険者がやったのか?)
いや、それも考えにくい。
冒険者ならば、その死骸から素材を剥ぎ取る。そうしなければ殺す意味もない。しかし、死骸はただ殺されただけ。殺されたままの姿である。
魔物の遠吠えが聞こえる。それには無益な同胞の死を嘆く怒りのようなものが強く込められていた。
しかし、無秩序に殺されているわけではない。
まるで何処へと標すかのように、赤の道は続いていた。
何処に続いているかなど、もはや考えるまでもなかった。
(墓地か)
疑いようもない。この赤の道を作り上げた闖入者は、あの墓地に向かっている。
理由は分からない。ただ、何者かがあの墓地に向かったという事実があるだけ。
既に、追憶と化した場所――なのに、
(故郷に何かあるってのは、気分が悪いな)
これからその故郷を穿り返そうとしている奴が言う台詞ではないが、そのこととこれは別問題だと棚に上げる。
リンヤは木々の合間を縫いながら、自分に出せる最高速度で墓地へと向かった。
十分ほどで、森が開く。二十年以上過ごしたのだ。迷うはずもない。それにこんな道標も残っていれば、なおのこと。
そして目にする。
――乱雑に暴かれた、自らの故郷を。
……
「……やっぱり、気になる」
「で、ですよねぇ?」
リンヤが出発してすぐ、マヤとラキの二人は、カンテラを片手にあの本棚の前に立っていた。
既にレノバンは床についている。というより、寝ていなければ実行しようとも思わなかっただろう。
――日記を盗み見る。
リンヤだけが興味を持っていたわけではない。むしろ、あのレノバンの心情が赤裸々に綴られている日記が読みたくない人間などいるわけがない。
気配を殺し(このときばかりはラキすらも)、寝室からこっそりとお茶をした部屋に忍び込んだのだ。
いつもは無表情なマヤもこの時ばかりは興奮しているようで、少しだけ息が荒い。ラキはというと、いつも通りといえばそれまでだが、しかし怯えの中に好奇心が混ざっている。
物音を立てないように、そっと本棚から雰囲気が違う一冊の本を抜き取った。
題名は、日記とただ一言。下のほうに、レノバン・アルフォードと記されている。
「こ、これですよね?」
「うん。……読も」
表紙を捲り、綴られた文に読み耽っていく。
これはただの日記。誰かに読ませるための文ではない。ただ自分だけで完結する文章だ。
しかし、なぜか惹きこまれる。
『幻想暦七五四年 青下月 三十日
今日は今年最後の日。
息子はすくすくと育っている。
彼譲りの黒髪は、雪が降りしきる王都の白さに負けていない。
そう言えば、彼はあの場所でこっそり日記を始めたらしい。
見せてくれないのは、きっと恥ずかしいからだろう。
あたしも、恥ずかしいから、見せてない。
今日は長くなった。これで今年は筆納め。
来年も、我が家に幸あらんことを。』
ここで、この日記は終わっている。ちょうどいいところで、これからというところで。
何故だか不満が募る。日記なのだから中途半端に終わっていても仕方がないというか、それが当たり前なのだが、物語ばかり読み漁っていたマヤにとってこの終わり方は納得しがたいものだった。
「……あれ?」
マヤは疑問に思った。
覚えている。レノバンは今日も日記を書いていた。
書き終えると、ちゃんと本棚に戻していた。
違う日記帳だったか? と思い、本棚を探すが、しかしそれらしきものはひとつも見当たらない。
それ以前に、マヤはこの日記帳に彼女がペンを走らせていたのをしっかりと記憶している。
もう一度日記に目を落とし、しっかりと凝らしてよく見る。
「……魔法?」
おそらく幻覚系の魔法だ。それも、魔道に通ずるものでも、しっかりと意識を集中させなければ分からないほど精巧な。
紙の感触、匂い、見た目。どれをとっても、本物と遜色がない。
紙を薄く薄く覆う魔力。
それをマヤは、ゆっくりと解読・解除していく。後日、レノバンがこの日記を見ても気づかないよう読んだ後魔法を復元するためにだ。
「出来た」
魔法構成の解読とともに解除も行う。
日記を覆っていた魔法が取り払われ、その本来の姿を現した。
見た目が一気に変わる。紙は色褪せ、装丁はまるで十年ほどふるぼけてしまった。所々に引っ掻き傷が走り、冥府の魔導書のようにも見えた。
本能が開くなと言っている。
しかし、手は好奇心に負け、ゆっくりそのページを捲った。捲ってしまった。
「こ、これ」
「こら」
ぽかん、と二人の頭の上に拳骨が落ちる。
頭を抑え蹲ると、涙ぐみながら後ろを振り向く。
「人の日記を勝手に読んじゃ駄目だ。本当に、赤面してしまうほど恥ずかしいんだからな」
そう言うレノバンだったが、顔は恥に染まっているというより、にっこりと微笑んでいた。無論、額面通りの意味ではない。
「子供は寝る時間だ」
「う、うぃ」
返事にしていいのか分からない言葉を呟くと、二人は軍隊顔負けの回れ右を披露し、貸してもらっている部屋に向かった――。
しかし、ほぼ同時。二人の身体から力が抜け落ち、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「――残念だ」
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