第5話「削除不能」
【対象:カノジョ】
【測定:近距離】
【分類:異物の予備群】
距離を詰めた。
カノジョの位置は、公園のベンチから動いていない。移動の予兆はない。
彼女はそこに座り、何かを見ている。視線の先は特定できない。空か、木々の間か、あるいは何もない場所か。
カレシは測定機器を展開し、対象の身体信号の取得を開始した。測定距離は3.2メートル。案内人の観測における標準的な近接値だ。それ以上近づくと、対象に認識されるリスクが生じる。
指先に出ている信号が、許容の外側にある。振幅も持続も、案内人の基準値には入らない。
カレシはまず測定だけを確定させた。名づけはしない。異常というフラグだけを付す。それだけで十分なはずだった。
削除を実行した。
通らなかった。
権限不足ではない。対象の保護設定でもない。コマンドは受け付けられ、結果だけが戻らない。
ログには【削除:失敗】とだけ残る。理由欄は空だ。カレシは手順を再確認した。校正。固定。実行。すべて正しい。それでも、削除はされない。
再測定した。
数値が前回と一致しない。同じ指先、同じ距離、同じ校正。なのに、外側へずれる方向が変わる。誤差の範囲としては説明が足りない。再削除。通らない。
カレシは手順を最初から踏んだ。校正、固定、実行。
「……再実行」
声に出した場合ではない。入力の確認に近い。それでも、結果は変わらなかった。
削除はされない。値が残る。
カレシは測定機器のログを遡った。同じ指先の信号が、いつから許容値を超えていたのか。
正確な時刻は特定できない。記録が欠けている。ルートを外れはじめて以降、タイムスタンプに混じる欠番と同じ種類の空白が、データの連続性を断ち切っている。
なぜ、そこだけ抜けているのか。理由は記録されていない。
カノジョが、自分の指先を見た。視線の先は測定の対象そのものだ。
カレシは静止した。測定を続けるべきか、中断すべきか。その判断が、一瞬遅れた。
「それ、私の?」
カレシは答えなかった。
肯定も否定も、記録に残さない。質問自体を対象外にはしなかった。ただ、返答の欄を空のまま進めた。
カノジョはそれ以上問わなかった。自分の指先を見つめたまま、動かない。
カレシはその沈黙を測定した。3.7秒。応答のない間として記録された。
カノジョの指先は、まだ信号を発している。削除不能のまま、そこにある。
カレシは測定機器を操作し、信号の波形を表示させた。規則的ではない。周期に乱れがある。
案内人の信号は、より均一で、より予測可能なはずだ。この波形は、そのどちらでもない。カレシはその波形を、保存した。削除できないものとして、分類した。
測定と削除のループを、規定回数で止めた。止めたあとも信号は消えていない。名づけないまま、残置するしかない。カレシは次の行動を記した。
【次工程:回収】
【理由:原則違反・削除不能】
【実行日時:指定済】
迷いはログに書かない。書かなかったことが、記録の外側にだけ残る。
カノジョの指先は、まだ測定範囲の中にあった。カレシはそこから視線を外し、手順書の次行を開いた。
【観測:一時停止】
【回収:準備】




