第4話「落下」
【対象:案内人/カノジョ】
【監視:強化中】
【分類:異物の予備群】
現場は、分岐の手前だった。
道は二手に分かれている。
左は繁華街へ向かう緩やかな下り坂。
右は川沿いの遊歩道。どちらも滞在価値は設計値の範囲内だ。
カノジョは対象の少し後ろに立っている。距離は0.8メートル。案内人の標準値より近い。
対象が足を止め、端末ではなくカノジョの方を見た。ルートの提示を待つ形だ。
これまでなら、最適経路が即時に返る。徒歩距離、混雑予測、滞在価値の順で、言葉は短く、遅れはない。
「次、どこ行けばいい?」
カノジョはすぐに答えない。
カレシのログでは、案内プロトコルの起動待ちが続いている。
入力はある。対象の問いも認識されている。にもかかわらず、実行フラグが立たない。
0.4秒。0.6秒。1.2秒。
「……知らない」
カノジョの返答は、それだけだった。
提案の代替も、検索の委譲も、次善の提示もない。声は平坦だ。しかし、平坦であること自体が、彼女のこれまでの応答とは異なる。
ログに一行、自動で刻まれた。
【案内プロトコル:未実行】
カレシは直近の同型案件を並べた。
同じ問い、同じ座標帯。過去のカノジョは、すべて実行していた。未実行は今回が初めてではない。だが、連続して出始めている。
カノジョの立ち位置は、案内枠の内側から外へ移っていた。対象の斜め前ではなく、同じ並び。
誘導する高さではなく、並ぶ高さ。数値化するとわずかな差でも、役割の定義からは外れる。
対象はしばらく待った。追加の問いはしなかった。端末を開き、自分で経路を出し、歩き始めた。
選択したのは左の道だ。
徒歩距離が短く、滞在価値の高いエリアを含んでいる。最適解だった。
カノジョはその背を追わない。残留も離脱も、どちらとも記録しにくい静止が続いた。
【案内プロトコル:未実行】
【再提示:なし】
その静止のあと、カノジョは歩き出した。
同じ方向だ。対象と同じ道。だが距離は一定。追いかけているわけでも、先導しているわけでもない。
カレシはその並走を数値化しようとした。距離、速度、角度。いずれも測定可能だ。
だが、それらの数値が何を意味するのかは、記述できなかった。
案内人としての役割は果たしていない。しかし、人間と同じ速度で、同じ地面を踏んでいる。
それだけだった。
カレシは隔離の検討を開いた。
条件の下書きだけを置く。実行日時は入れない。対象の環境——混雑、騒音、不規則な会話——を社会の断面として記述することはしなかった。
必要なのは、カノジョが案内しなかったという事実だけだ。
測定のタイムスタンプに、欠番が一つ混じっていた。
欠落区間に映像も音声もない。障害フラグも立っていない。欠番のまま、ログは次の行へ進んでいる。
カレシはその欠番を、何度か見返した。埋めるべき情報が見つからない。だから、埋めなかった。それだけだ。
カノジョの次の座標は、まだ案内エリアの外にあった。彼女は歩き続けている。誰も案内していない。誰にも案内されていない。
【隔離:検討開始】
【実行:なし】
【観測継続】




