第3話「わからない」
【対象:案内人/カノジョ】
【測定:単体】
【優先度:上昇後】
ルートから外れる回数が、増えていた。
正規の案内が終わったあと、カノジョは指定座標に戻らなくなった。
残留時間が延びる。
偏りは毎回同じ方角ではないが、ある種の地点——音の減衰が遅い場所、過去の案件で数字の痕跡が残された場所——の近傍に、滞在が寄り始めている。
カレシは、案件ログではなくカノジョの移動ログだけを時系列に並べた。
案内プロトコルの実行中と実行後。
後者の滞在時間が、前者を上回り始めている。理由は記録されていない。カノジョ自身も、その選択について何も残していない。彼女はただ、そこにいる。それだけだ。
カレシは観測回線越しに確認を入れた。
現場ではない。直接の接触を避けるための、規定の手続きだ。
「理由は?」
カノジョの応答は、すぐには来なかった。
前回ほどの空白ではない。それでも、案内時の速度ではない。0.1秒ほど遅れて、声が返る。
「わからない」
カレシは同じ問いを条件を変えて繰り返した。時刻、直前案件、座標。答えは変わらない。
「再現してください」
「できない」
ログ上、カノジョの声に動揺の成分は乗っていない。拒否の形でもない。実行不能という報告に近い。
しかし、案内人が「わからない」と応答する事例は、カレシの記録にはない。
案内人は設計された応答を持つ。
調べる、差し替える、別案を出す。
案内人の言葉は、いつもそのどれかだった。
「わからない」は、そのどれでもなかった。
案内人の応答規格に「わからない」は存在しない。
カレシは該当区間の行動を選択し、削除手順を開いた。
理由不明の偏りは、原則上、残さない。案内人の清浄を保つための通常の処理だ。
行動の選択。削除理由の入力。実行の確定。数秒で終わる手続きのはずだった。
実行の直前で、操作が止まった。
障害ではない。入力は受け付けている。
カレシ自身の側で、確定が下りなかった。
なぜかはわからない。
わからない、という言葉が、自分の内部に引っかかった。
削除は、されなかった。
カレシは削除理由の入力欄を開いた。
【理由:____】
カーソルが点滅している。入力は可能だ。
何も、書かなかった。欄を空のまま、閉じた。書けなかったのではなく、書かなかった。その区別はログには残らない。
ただ、理由欄が空欄であることだけが確定情報として残った。カレシはその空欄を見つめた。埋めるべき穴が、そこにある。埋めなかった。
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後追いで、別系統の記録が一つ上がった。
過去領域へノイズが流された痕跡。
送信元の識別は、カノジョの行動圏と重なる。
原則違反の確定には足りない。予備情報として印だけ付く。
カレシは削除しなかった区間を、そのまま保存した。
理解不能のまま。改竄しない。価値の欄は空欄のままにした。記録は次のように閉じられた。
【分類:異物の予備群】
【削除:未実行】
【理由:——】
【監視:強化】
カノジョの次のログでは、また案内が始まっていた。
速度は戻っている。偏りだけが、消えていない。
カレシは再現できないものを、再現できないもののまま、測定対象に残した。
【回収検討:なし】
【観測継続】




