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【観測者の時空】エッセイから物語へ その違和感は、未来のバグです。―『彼女の時空:0612』へ繋がる伝線―  作者: Taku
物語編『卒業後の彷徨う熱』

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彷徨う熱【第1部:呼び声の在り処】第4話 「聞こえるはずのない声」

次の「ノイズ」は、誰かの記録室の跡地にあった。


そこには、無数の「声」が漂っていた。声というより、「音」の残響に近い。誰かの呟き。誰かの笑い声。誰かのため息。誰かの泣き声。それらが層のように重なり、時空の隙間で渦を巻いている。


「……ここ、すごい」


カノジョは思わず呟いた。彼女の声は、その「音」の渦に吸い込まれていった。


「この場所にいた者は、『聞こえないはずの音』を聞いていた」


カレシが淡々と説明する。


「空気の振動。建物の軋み。遠くの誰かの心臓の鼓動。そして──時空の隙間から漏れ出る『熱』。彼女はそれらをすべて『声』として聞いていた」


「彼女?」


「記録には残っていない。ただ──そういう能力を持つ者が、確かにここにいた」


カノジョは、その「声」の渦に手を伸ばしかけて、止めた。


「これを取り込んだら、どうなる?」


「あなたの『聴覚』が書き換えられる」


カレシは即答した。


「今まで聞こえなかったものが聞こえるようになる。同時に──聞こえるべきものが聞こえなくなるかもしれない」


「例えば、自分の声とか?」


「……そうなる可能性はある」


カノジョは、しばらくその「声」の渦を見つめていた。


質量を手に入れた。色が見えるようになった。次は「音」。それを自分のものにすれば、さらに「人間」に近づく。でも、その代償として、何かを失う。


──それでも。


「やる」


カノジョは言った。


「だって、これも『光莉の熱』の断片なんでしょ?」


「断定はできない」


カレシはいつも通り冷たく言った。


「だが、彼女に関係する可能性は、確かにある」


カノジョは、その「声」の渦に手を突っ込んだ。


触れた瞬間、世界が音で満たされた。


誰かの呟き。『今日は寒いな』。誰かの笑い声。『それ、面白いね』。誰かのため息。『また明日か』。誰かの泣き声。『ごめんね』。


それらが一斉にカノジョの中に流れ込んでくる。と同時に──「誰かの耳」が、彼女の脳裏に貼り付いた。


幼い頃、自分の心臓の音がうるさくて眠れなかった。規則的じゃない。時々、跳ねる。それが怖かった。でも、誰にも言えなかった。『気のせいだ』と言われるのがわかっていたから。それでも、やめられなかった。世界が「本当の音」を教えてくれるのを、ずっと待っていた。


その「待っていた」年月の重みが、またカノジョの中にどろりと流れ込んでくる。


気づくと、カノジョはその場にしゃがみ込んでいた。


「……大丈夫か」


カレシの声がする。でも、その声が「カレシの声」なのか、「誰かの声」なのか、カノジョにはわからなかった。


「だれ……?」


「カレシだ」


「……カレシ?」


カノジョは自分の声を聞いた。自分の声のはずなのに、誰かの声のように遠い。


「私の声、変?」


「聞こえている。だが、あなたの耳には、別の声も聞こえているのだろう」


カレシの声は、なぜかはっきりと聞こえた。他の声はすべて濁って、重なって、区別がつかないのに。彼の声だけは、冷たく澄んで、他のノイズに埋もれない。


「なんで、あなたの声だけ、はっきり聞こえるの?」


「さあな」


カレシは言った。


「私の声は『冷たい』からかもしれない。ノイズに染まらない。それだけのことだ」


「……そう、なのかな」


カノジョは、自分の耳を塞いだ。塞いでも、声は聞こえる。自分の心臓の音。誰かの心臓の音。それらが重なって、一つの鼓動になる。


ドクン、ドクン。


規則的じゃない。時々、跳ねる。


それが、自分の鼓動なのか、誰かの鼓動なのか──わからなかった。


「次、行こう」


カノジョは立ち上がった。足が、少し震えている。


「もう少しで、次の『熱』が見えてきそうな気がする」


「……無理をするな」


カレシが言った。


「あなたは今、質量と色と音のノイズを三つも抱えている。これ以上取り込めば──」


「『壊れる』って言いたいの?」


カノジョは笑った。その笑顔は、さっきよりももっと「誰かのもの」に見えた。


「でもね、カレシ。私たち、もうとっくに『壊れ始めてる』んだよ」


カレシは答えなかった。


時空の隙間で、カレシは一人、手帳を開いていた。


そこには、びっしりと並んだ監査ログの合間に、無数の猫マークが刻まれている。彼は、その一つ一つを指でなぞった。


これは、彼自身の「生存戦略」だった。


消えかけるたびに、自分の存在を小さなマークに圧縮して、手帳に貼り付けている。そうすることで、かろうじて「消えない」状態を維持している。


今回もまた──カノジョがノイズを取り込むたびに、彼の領域は削られていた。手帳に刻む猫マークは、また一つ増える。


カノジョは知らない。


彼がどれだけの代償を払っているのかを。


彼がどれだけ「壊れながら」、それでも彼女を支えているのかを。


「……これで、四つ目か」


彼は呟いた。誰にでもなく。ただ、自分の記録として。


「カレシー、早く!」


遠くから、カノジョの声がする。それは確かに「カノジョの声」だった。でも、その奥に、誰かの「待っていた」という声が重なっている。


カレシは手帳を閉じた。


「……今行く」


その声は、いつも通り冷たかった。でも、その冷たさの中に、ほんの少しだけ──「壊れかけている」という震えが混ざっている。


カノジョはそれに気づかない。まだ。

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