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【観測者の時空】創作エッセイ―その違和感は、未来のバグです― 「あなたの思考は、すでに先回りされている」  作者: Taku
A面:違和感の観測

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第2話後半「旅行編:その瞬間をそのまま感じる」

✧ ✧ ✧


「それが、あなたの体験?」


声がした。


振り向くと、そこに“カノジョ”が立っていた。


整った表情。

完璧な距離感。

そして、わずかな違和感。


「また……」


私がそう言うと、カノジョは微笑んだ。


「“記録”の話をしましょう。

 あなたたちは、体験するためにここに来たのに――

 もう、その目的を忘れている」


気づくと、景色が変わっていた。


そこは、同じ展望台のはずだった。

でも、何かが違う。


ガラス張りの床。天井まで届く大きな窓。

展望台の形は同じだ。


でも――


誰も、景色を見ていなかった。


全員が、何かを撮っている。

カメラか、スマホか、時にはタブレット端末。

ある者は一脚を立て、ある者はレンズを交換し、ある者はすぐにSNSを開いて投稿している。


「ここでは、すべての体験が記録される」


カノジョが説明する。


「視覚、聴覚、感情の変化――

 すべてが最適な形で保存される」


「あとから、いつでも“最高の状態”で再生できる」


「最高の状態……」


私が繰り返すと、カノジョは頷いた。


「はい。ぼやけた記憶や、あいまいな感覚は、すべて補正されます。

 より鮮明に、より感動的に――

 あなたの記憶は、編集される」


一人の家族がいた。


子どもが笑っている。

親も笑っている。


でも、その笑顔はどこか均一だった。

「写真を撮っているときの笑顔」――それ以上でも、それ以下でもない。


「この体験は、すでに最適化されている」


カノジョが言う。


「無駄な揺らぎは削除され、最も“価値のある記憶”として保存される」


「価値のある……」


「はい。SNSでの評価が高いもの、再生回数が多いもの、共感を得られるものが

 “価値のある記憶”として優先的に残ります」


「じゃあ……」


私は聞いた。


「そのときの“本当の感じ方”は?

 風の冷たさとか、隣にいる人の体温とか、

 うまく言葉にできないあの感じは、どこに行くの?」


カノジョは、少しだけ首をかしげた。


「“本当”とは?」


「最も満足度が高い形で保存されているのだから、それが最適な記憶でしょう」


その言葉は、正しかった。

理屈の上では、完璧に正しかった。


でも――


言葉が出なかった。


確かに、それは“良い記憶”だった。

写真に残る笑顔は素敵だし、景色は美しい。


でも――

その写真を見返したとき、風の冷たさは蘇るだろうか。

一緒にいた人の、何気ない一言は思い出せるだろうか。

「あのとき、確かにそこにいた」という実感は、残るのだろうか。


わからなかった。

ただ、胸の奥が、かすかにざわついた。


「あなたも選べる」


カノジョが言う。


「この瞬間を、そのまま記録するか――」


「それとも、最適化された形で残すか」


目の前に、選択が提示される。


・加工され、完璧に美しい記憶

・不完全で、曖昧なままの記憶


私は、少しだけ迷った。


ほんの一瞬。

でも、その時間がやけに重く感じられた。


瞳を見る。光莉を見る。

二人とも、黙って私の選択を待っている。

答えを急かさない。それが、彼女たちの優しさだった。


「……そのままでいい」


そう言った瞬間、空気が揺らいだ。


✧ ✧ ✧


気づくと、また元の展望台に立っていた。


風が吹いている。

少しだけ、強い。


髪が乱れて、視界に入る。

それを手で押さえながら、私はもう一度、景色を見た。


スマホは、ポケットの中。

画面越しではなく、直接、この目で。


光の揺れ。

遠くのかすかな音。

風の温度。


すべてが、少しだけ不完全だった。

写真にすれば、「ピントが合っていない」「ブレている」と言われるかもしれない。


でも――

それが、今、ここにある「本当」だった。


「どうしたの?」


瞳が聞く。


「いや……ちょっと、このまま見てたくて」


そう答えると、瞳は少し笑った。


「いいね、それ。

 私も、そうする」


瞳もスマホをポケットにしまった。


光莉は、何も言わなかった。


ただ、じっと空を見ていた。


その目に、ほんの少しだけ、

言葉にならない何かが揺れていた気がした。


「ねえ」


光莉が、ぽつりと言った。


「この景色、覚えていられるかな」


「……わからない」


私が答えると、光莉は小さくうなずいた。


「うん。

 でも、忘れてもいいのかもね。

 写真に残さなくても――

 今、ここにいるってことのほうが、大事な気がする」


振り返っても、もうカノジョの姿はなかった。


風が、もう一度吹いた。

今度は、柔らかく。


私は、もうスマホを出さなかった。

シャッターを切らなかった。

「記録」を選ばなかった。


ただ、そこにいた。


【観測者としての作者の独白】


私たちは、いつから「残すこと」を優先するようになったのだろう。


その瞬間を、そのまま感じることよりも、

あとから振り返るための“最適な記録”を選び続けている。


美しく整えられた記憶は、確かに心地いい。

でも、その中に含まれていないものがあるとしたら――

それは、あのとき確かに存在していたはずの、曖昧で、揺らいだ感覚なのかもしれない。


風の冷たさ。

隣にいる人の体温。

何気ない会話の間。

うまく言葉にできない、その場の「空気」。


それらは、写真には残らない。

動画にも、音声にもならない。

でも――その「記録できないもの」の中にこそ、

「私がそこにいた」という証があるような気がする。


私たちは、本当に体験しているのだろうか。

それとも――

記録するために、生きているのだろうか。


もし、すべての瞬間が最適化された記憶になるとき、

私たちはまだ「自分の人生を生きている」と言えるのだろうか。


私はまだ、

この瞬間を“そのまま”感じられているだろうか。


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