第2話前半「旅行編:その瞬間をそのまま感じる」
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
見慣れない天井。
旅行先のホテルだと気づくまでに、少し時間がかかる。
窓の外の光は、やけに柔らかい。カーテンの素材まで「よく眠れるように」計算されているのかもしれない。
隣のベッドでは、瞳がまだ眠っている。
規則正しい寝息。時計を見ると、ちょうど予定の時刻だった。
――よく計算されている。
その向こうのベッドで、光莉はもう起きていた。
スマホを眺めている。SNSか、今日の予定か。
誰かの「いいね」を待っているのか、それとも自分が「いいね」を押す側なのか。
昨日は移動で疲れていたのか、珍しくすぐに寝てしまった。
でも、その前に――
ホテルの部屋の写真を何枚か撮っていた。
「眺めがいい」と、窓からの景色を。
「広めのベッド」と、まだ使っていないベッドを。
「アメニティも充実」と、並んだボトルたちを。
すべては、これから始まる「思い出」のための準備だった。
「今日、どこ行く?」
朝食を終えたあと、瞳が聞いてきた。
私はスマホを開く。
観光地ランキング、おすすめルート、混雑予測、天気予報、お店の評価――
必要な情報は、すべてそこにあった。
いや、「必要だと判断された情報」が、そこに並んでいた。
「この順番で回るのが一番効率いいみたい。
口コミも高いし、写真映えするスポットを押さえてある」
画面を見せると、瞳は少し考えてから頷いた。
「じゃあ、それで行こうか」
迷いはない。
誰も迷わない。
最初から“正解”が提示されているのだから。
最初の観光地は、有名な展望台だった。
エレベーターを上がり、扉が開く。
そこには――
スマホを構えた人々の列。
景色は、確かに素晴らしかった。
空は澄んでいて、遠くまで見渡せる。
雲の切れ間から差し込む光が、街を柔らかく照らしている。
「きれい……」
瞳がそう呟く。
でも、その声は、シャッター音の波に少し消されていた。
光莉は、しばらく黙って景色を見ていた。
手すりに寄りかかり、スマホも出さずに。
そして、不意に言った。
「これ、本当に見てるの?」
「え?」
思わず聞き返す。
光莉は、私の手元を見ていた。
そこには、スマホがある。
カメラが起動していて、今の景色を切り取っている最中だった。
構図を決め、ピントを合わせ、露出を調整し――
「いい感じ」と思ったところで、シャッターを切る。
私はその動作を、無意識に繰り返していた。
「だって、それで見てるよね」
光莉は、当たり前のように言った。
否定しようとした言葉が、喉の奥で止まった。
周りを見渡す。
若いカップルが、背を合わせて自撮りをしている。
家族連れの父親が、子どもに「こっち向いて」と声をかけている。
一人旅の女性が、一脚を立てて、何度も同じ場所でシャッターを切っている。
景色を見ている人は、ほとんどいなかった。
みんな、景色を「撮っている」。
「ねえ」
光莉が、小さく言った。
「私たち、何のために来たんだっけ」
「ほら、もう一枚撮ろうよ」
瞳が言う。
私は反射的に頷いて、もう一度カメラを構える。
構図を微調整し、光の入り方を確認し――
その瞬間だった。
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