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【観測者の時空】創作エッセイ―その違和感は、未来のバグです― 「あなたの思考は、すでに先回りされている」  作者: Taku
A面:違和感の観測

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第9話後半 「所有編:モノを抱えること」

✧ ✧ ✧


視界が歪んだ。


規則的な低音。換気のような、機械の駆動音のような。規則的すぎて、逆に気持ち悪い。


――いた。


窓辺。いや、ベランダの手すりの上。境界が曖昧な場所。


「ようこそ」


カノジョがいた。


「最適化された『所有』の世界へ」


次の瞬間、部屋が変わった。


同じ間取りだった。でも――


壁には何もない。本も、写真も、置物もない。


家具は最小限。椅子、机、ベッド。すべて無駄のないデザイン。色も統一されている。グレー。ただのグレー。


クッションもカーテンもない。


「ここでの所有は『効率』です」


カノジョが言う。


「モノは機能のため。愛着や思い出は、ノイズです」


「ノイズ……」


康介は繰り返す。


「データ管理に例えましょう。過去のデータを全部とっておけば、ストレージが埋まります。大事な処理が遅れる」


「過去のモノは、未来を圧迫する」


それは理屈だった。正しい。


でも――


康介は壁の一点を見た。小さなフォトフレーム。誰かの笑顔。


「あれは?」


「許容された所有物です」


「許容?」


「モチベーションを12%上げることがデータで証明されています。だから残されています」


「効果のないものは?」


カノジョは答えなかった。代わりに、部屋を見渡した。


さっきまであったはずのクッションが消えている。マグカップも。予備の靴ひもも。


康介はクローゼットを開けた。服は三着。すべて同じサイズ、同じ機能。


「モノは、あなたを最適にするためにある。それだけです」


カノジョの声は優しかった。


でも、なぜか寂しかった。



「……これをどう説明するんだ」


康介はポケットを探った。


そこには――あの黄ばんだ手紙。なぜか持っていた。この世界にはないはずなのに。


カノジョが首をかしげた。


「それは、ノイズです」


「機能を果たしていない」


「じゃあ、消えるのか」


「はい。すぐに」


手紙が、透き通り始めた。


康介は思わず握りしめた。


「待ってくれ」


カノジョが止まった。手を下ろす。


「なぜです?」


「これを読むと、あの頃の自分を思い出すんだ」


「あの頃?」


「間違えた自分。迷った自分。誰かを好きでいすぎて、どうにもならなかった自分」


「それが、何の役に立つのですか?」


康介は言葉に詰まった。


役に立つかどうか。


それが基準だった。この世界の。


「役に立たない」


彼は言った。


「邪魔だし、余分な物だ。見返しても、何の生産性もない。でも……」


手紙を見る。字は掠れている。


「この手紙がなければ、あの頃の自分は、完全に消える」


カノジョは無言だった。


少しだけ、目を伏せた。


「それが、嫌なのですか」


「……ああ」


康介は頷いた。


「面倒くさいけど、それが嫌だ」


カノジョはしばらく考えていた。本物の「考える」だった。計算ではない。


「私は――」


彼女は言いかけて、やめた。


そして、小さく言った。


「その気持ちは、定量化できません」


「効率の指標にはならない」


「だから――」


「わからない、ということです」


それが、彼女の口から出た初めての「わからない」だった。


✧ ✧ ✧


世界がほどけた。


透明な層が剥がれ、元の空気が戻る。コピー機の音。遠くの笑い声。


タンスの引き出しは開いたまま。


スマートウォッチが光っている。


「未使用品を検出。処分しますか?」――はい / いいえ


康介は長く見つめた。


そして、そっとスマートウォッチを外した。机の上に置く。


指で、引き出しの中の手紙に触れた。


閉めない。開けたままにしておく。


「……明日、また読もう」


そう呟いた。誰に向けてでもない。


風が吹いた。窓が少し開いていた。カーテンが揺れる。


その不完全な風が、なぜか気持ちよかった。


【観測者としての作者の独白】


私たちは「モノを持たない生活」を美しいと思うようになった。


ミニマリズム。断捨離。サブスクリプション。合理的で機能的で気持ちがいい。


でも「手放すこと」が習慣化したとき、「なぜ手放せないのか」という感情ごと手放してしまっていないか。


使い道のないモノ。誰にも見せない手紙。穴の空いたマフラー。効率的じゃない。邪魔だ。荷物になる。


でもその「非効率な所有」の中にしか、「自分が歩んできた道」は刻まれない。


モノを持つことは、過去の自分を捨てないことだ。間違えた自分。恥ずかしかった自分。誰かを好きすぎてどうしようもなかった自分。それらを「まだここに置いておく」選択は面倒で場所を取る。


でもその面倒くささが、人間の「つながり」の正体かもしれない。


私はまだ、「必要のないモノ」を手放さずにいるだろうか。

それとも手放す快適さに自分を合わせてしまっていないだろうか。


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