第8話後半 「設計編:正しさという名の檻」
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視界に、わずかなノイズが走った。
データが一瞬だけ歪み、別の画面が差し込まれる。
そこには、同じシステムがあった。
だが、規模が違う。
もっと広く、もっと深く——
人間のすべてを覆うような構造。
個人の感情、思考、行動、さらには記憶や夢までもが、管理されているように見えた。
その中心に、“カノジョ”がいた。
「綺麗にできてるね」
静かな声。
評価しているのか、皮肉っているのか——判別しにくい口調。
康介は、目を細めた。
「……誰だ」
「設計の延長だよ」
カノジョは、軽く答えた。
「あなたがやってることの、その先。
あなたが作りたかったものの、完成形」
「これは、正しい」
康介は即座に言った。
迷いはなかった。むしろ、自分自身に言い聞かせるように。
「無駄を減らし、全体を最適化する。
それが、社会にとって最善だ。
誰も傷つかない。誰も悲しまない。
これ以上、何を望む必要がある?」
カノジョは、うなずいた。
「うん、正しいよ」
その肯定は、あまりにもあっさりしていた。
深みがなかった。感情がなかった。
ただの事実として「正しい」と言っているだけ。
「だから、止まらない」
康介は、わずかに眉をひそめた。
「止まらない?」
「うん」
カノジョは、空間にひとつのグラフを浮かべた。
最適化の進行曲線。
緩やかに始まり、ある時点から急激に加速している。
一度加速し始めたら、もう戻れない。
「一度始めたら、戻れない。
なぜなら、戻ることは『非効率』だから。
非効率は、この世界では許されない」
「なぜだ」
「正しいから」
その言葉は、妙に重かった。
「正しいことは、否定されない。
否定する理由がないから。
だから、誰も止められない」
カノジョは続けた。
「気づいたときには、全部終わってる。
誰も気づかない。誰も気づこうとしない。
だって——それが『正しい』から」
康介は、無言でデータを見つめた。
確かに——
すべては、正しく進んでいる。
否定する理由はない。
誰も傷ついていない。誰も苦しんでいない。
ただ、静かに、確実に——何かが削られている。
でも、その「何か」が何なのか、康介にはもうわからなかった。
「……それで、何が残る」
思わず、口に出ていた。
カノジョは、少しだけ考えるようにしてから答えた。
「完璧な状態」
「それだけ?」
「それだけ」
その答えは、あまりにも正確で、あまりにも空虚だった。
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気づくと、康介は元のオフィスに戻っていた。
データは、さっきと同じように整然と並んでいる。
異常値のログも、そこにある。
あの「整わない」個体の記録が、まだ画面に表示されている。
康介は、それをしばらく見つめた。
指先が、かすかに熱い。
なぜかはわからない。でも、その熱だけが、彼の中で「何か」を訴えかけている気がした。
そして——
静かに、処理を実行した。
「補正対象として登録」
指が、キーボードを叩く。
その音は、やけに乾いていた。
画面から、その揺らぎが消えた。
すべては、また整った。
完璧に。
康介は、窓の外を見た。
均一な光の街。どこを見ても、整っている。
どこにも、乱れがない。
それが「正しい」街の姿だ。
彼は、もうその街に違和感を覚えなかった。
いや——覚えられなくなっていた。
【観測者としての作者の独白】
正しさは、強い。
それは反論を許さず、静かに世界を覆っていく。
誰も傷つけず、誰も否定せず、
ただ「より良くする」だけで進んでいく。
だからこそ、止める理由が見つからない。
誰も「おかしい」と言わない。
言ったとしても、その声はノイズとして処理される。
もし、その先にあるものが
“人間ではない何か”だったとしても——
「正しい」という言葉の前では、それすらも受け入れられてしまう。
私たちは、「正しさ」を疑えるだろうか。
「より良い」と言われたときに、「本当に?」と問えるだろうか。
データが証明している。
数字が裏付けている。
大多数が賛成している。
それでも——
どこかで「違う気がする」という感覚を、
私たちはまだ持っていられるだろうか。
私はまだ、「正しさ」を疑えているだろうか。




