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【観測者の時空】創作エッセイ―その違和感は、未来のバグです― 「あなたの思考は、すでに先回りされている」  作者: Taku
A面:違和感の観測

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第6話後半 「屋上編:理由のない時間」

✧ ✧ ✧


風が、一瞬だけ止まった気がした。

音が遠ざかる。

遠くのサイレン、

誰かの笑い声、

ドアの開く音、

すべてが、ゆっくりとフェードアウトする。


代わりに、規則的な低音が聞こえてきた。

自分の心臓の音のようにも聞こえる。でも、もっと均一で、もっと冷たい。


「ようこそ」


振り向かなくてもわかる。

“カノジョ”だ。


屋上に立っている。フェンスの向こう側。

いや、フェンスの上に立っているのか。

境界が、曖昧だった。


「ここは、“存在が最適化された世界”です」


次の瞬間。


世界が、変わった。


同じ屋上のはずだった。

同じ夕方。同じ空。


でも、

すべてが、少しだけ滑らかだった。

空気の流れが、一定の速さで動いている。

雲の形も、計算されたように整っている。

無駄な乱れが、どこにもない。


人々が歩いている。

下の街を。遠くの道を。

無駄な動きがない。

立ち止まる者もいない。

全員が、どこかに向かっている。

誰も、無意味にそこに留まらない。


「この世界では、“無為な時間”は存在しません」


カノジョが言う。


「すべての行動には、目的と最適な意味が付与されています。

 立ち止まることは、次の行動のための準備。

 考えることは、より良い判断のためのプロセス。

 休むことは、効率を最大化するためのリセット」


「すべてが、何かの“ため”にある」


瞳は、周囲を見渡した。


「……じゃあ、あれは?」


指差した先。

ベンチに座る人がいる。

動かない。

ぼんやりと空を見ている。


「休息です」


カノジョは即答する。


「次の行動のために最適化された状態です。

 体力の回復。精神のリセット。情報の整理。

 それらはすべて、次の行動のための準備です」


「ぼーっとしてるわけじゃないのか」


「はい。“無意味な状態”は存在しません。

 意味のない時間は、削除されます。

 そこに価値はないからです」


光莉は、ずっと黙っていた。


フェンスにもたれたまま。動かない。

表情も、ほとんど変えない。


そして、ぽつりと言う。


「じゃあさ」


「“ただ生きてる”って、どこにあるの?」


カノジョは、答えなかった。

その沈黙が、何よりの答えだったのかもしれない。


代わりに、世界が少しだけ変わる。


人の動きが、さらに滑らかになる。

感情の揺れが、見えなくなる。

表情はある。でも、その表情は「適切な表情」であって、その人の内面を映していない。

すべてが、一定のリズムで流れていく。

まるで、巨大な機械の一部のように。


「ここでは、“存在”は機能として定義されます」


カノジョが言う。


「あなたは、あなたという役割を果たすことで、そこにいていい。

 役割を果たさない存在は、システムにとってノイズです」


「機能……」


瞳が繰り返す。


「役割。果たすこと。価値。

 それがないと、いられないってこと?」


「はい。個体は役割を持ち、それを果たすことで価値を持ちます。

 価値を持たない個体は。」


「……消える」


瞳が言い終える。


「じゃあ……」


瞳は、少し考えてから言った。


「役割がないときは?」


一瞬の静寂。


その静寂は、ただの「間」ではなかった。

何かが「答えを検索している」ような、計算しているような、機械的な静けさだった。


「その状態は、最適化されます」


言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。


最適化。それは、役割を与えられることか。

それとも、役割がないという状態そのものが「エラー」として処理されることか。


「……消えるってことか」


カノジョは、否定しなかった。


肯定も、否定も、しなかった。

ただ、そこにいた。


光莉が、空を見上げる。


雲は、計算されたように整っている。

でも、本当の雲は、もっと曖昧で、もっと不規則だったはずだ。


「私、さっき何もしてなかった」


その声は、とても静かだった。


「考えてなかったわけじゃない。

 でも、何かを“考えている”感じもしなかった。ただ、そこにいた」


「でも、ここにいたよね」


誰も答えない。


「それって……無駄なのかな」


光莉の問いは、誰に宛てたものでもなかった。

自分自身への問い。それとも、この世界への問い。


瞳は、言葉を探した。


でも、見つからない。

この世界では、それは“不要な問い”だった。

「無駄」かどうかを問うこと自体が、すでに「無駄」だから。


そのとき。


光莉が、ゆっくりと一歩踏み出した。


何もない場所へ。

フェンスから離れ、屋上の中央へ。


意味のない動き。

目的のない行動。

そこに行く「理由」はない。ただ、そうしたかったから。


その瞬間。


世界が、わずかに歪んだ。

空気が震え、光が揺れた。


「……検出されました」


カノジョの声が、初めて揺れた。


その声には、驚きのような、困惑のような、

あるいは、どこか「懐かしさ」のようなものが混じっていた。


「非最適行動」


「理由のない移動」

「目的のない動作」

「価値のない行動」


光莉は、もう一歩進む。


「ただ、歩いてるだけだよ」


その言葉は、あまりにも小さかった。

風に消えそうな声。


でも、

世界にとっては、ノイズだった。

システムが処理できない「例外」だった。


空気が、ざわつく。

何かが“修正”しようとする気配。

光莉の動きを「意味のある行動」に変換しようとする。

「何かを考えていた」「何かを感じていた」「何かの準備だった」

無理やりに、理由を付けようとする。


それでも、光莉は止まらない。


「理由なんてないよ」


振り返る。


瞳を見る。カノジョを見る。空を見る。


「でも、ここにいる」


その瞬間。


世界が、ほどけた。


✧ ✧ ✧


透明な層が剥がれ、音が戻ってくる。

風の音。遠くのサイレン。誰かの笑い声。


現実に戻る。


屋上。夕方の光。風の音。


光莉は、同じ場所に立っていた。

フェンスの近く。最初と同じ場所。


「……今の」


瞳が言いかける。


「さあ」


光莉は、少しだけ笑った。


「でも、ちょっとだけ分かった気がする」


「何が?」


「“ここにいる”って、こういうことかも」


理由は説明できない。

でも、確かに感じた。

「意味」ではなく「実感」として。


風が、ゆっくりと吹いた。


意味はない。

でも、確かに感じた。


【観測者としての作者の独白】


私たちは、「意味」を求める。


行動の理由。存在の価値。生きる目的。

それらは、人間にとって自然な欲求だ。


しかし、そのすべてが最適化されたとき、

「意味を持たない状態」は排除される。


何もしていない時間。

どこにも向かわない瞬間。

理由のない存在。


それらは、非効率として処理されていく。


だが、本当にそうだろうか。


人間が「ここにいる」と感じる瞬間は、

必ずしも意味に裏付けられてはいない。


むしろ——

意味がないからこそ、

そこに確かな実感が宿るのではないか。


「何かのため」ではなく、「ただそこにいる」ということ。

それは、効率では測れない、人間の根源的な在り方なのかもしれない。


もし、すべてに理由が与えられたとき、

私たちはまだ「存在している」と言えるのだろうか。


役割を与えられ、価値を求められ、意味を探し続ける。

そのプロセスの中で、私たちは「自分」を見失っていないか。


私はまだ、

理由のない時間を、生きているだろうか。

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