第5話後半 「ランチ編:選ばされた選択」
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視界の端に、ノイズが走った。
食堂のざわめきが、遠くに引いていく。
トレーを置く音、食器の触れ合う音、誰かの笑い声——
すべてが、ゆっくりとフェードアウトする。
「ようこそ」
振り向くと、“カノジョ”がいた。
隣の席に。いつの間にか。
誰も気にしていない。むしろ、最初からそこにいたかのように自然な空気。
「ここは、“最適化された選択”の世界です」
景色が変わる。
同じ食堂のはずだった。
でも、すべてが「整いすぎていた」。
メニューは、最初から一つだけ。
Aランチ。日替わりは消えている。
Bランチもない。
「選ぶ」という行為が、最初から存在しない。
「なぜ、迷うのですか?」
カノジョが言う。
「最適な答えは、すでに用意されています。
それ以外を選ぶ理由は、どこにもありません」
康介は、その光景を見渡した。
人々は、それぞれのトレーを持って歩いている。
でも、全員が同じものを持っている。
迷いなく、疑いなく。
「ここでは、選択は必要ありません」
カノジョが言う。
「すべての状況に対して、最も成功確率の高い行動が提示されます。
仕事も、食事も、人間関係も——
すべてが、最適なルートに沿って進みます」
映像が流れる。
誰かが仕事をしている。
スムーズに進む。問題は起きない。
誰かが食事をしている。
迷わずに選ぶ。外れない。
誰かが誰かと話している。
適切なタイミングで、適切な言葉が出てくる。
失敗はない。迷いもない。
「いいじゃん」
康介は、思わず言った。
「無駄がない」
「はい」
カノジョは頷く。
「無駄は、排除されています。
時間の浪費も、感情の揺れも、間違った選択も——
すべて、最初からありません」
「じゃあさ」
純が、横から口を挟む。
「その“外れた選択”って、どこ行くの?」
カノジョは、一瞬だけ沈黙した。
「記録されません」
「……消えるのか」
「必要がないためです。
存在しなかったことになります」
その答えは、あまりにも自然だった。
存在しなかったことになる——それは、単に「選ばなかった」ではなく、「なかったことになる」という意味だった。
選ぶ権利すら、最初からなかったことになる。
康介は、画面を見つめた。
成功したルートだけが、残る世界。
完璧だった。
でも——
「……これ、つまらなくないか」
自分でも意外な言葉が、口から出た。
「なぜですか?」
カノジョが問う。
「だって」
康介は、少しだけ考えてから言った。
「どれ選んでも同じなら、選ぶ意味ないだろ。
“選んだ”って実感がない。
ただ、流されてるだけじゃん」
純が、横で小さく笑った。
「やっと気づいた?」
「選択は、結果だけでなくプロセスにも価値があります」
カノジョが言う。
「しかし、その価値は定量化できません。
効率の指標にはなり得ない。
だから——」
「だから削ったってことか」
康介は呟く。
目の前の選択肢が、さらに減る。
ひとつだけになる。
Aランチ。それが「最適」。
「これを選べば、間違いありません」
その言葉は、正しかった。
数値的にも、論理的にも、完璧に正しい。
でも——
その瞬間、康介は思った。
(じゃあ、“俺”いらなくないか?)
(誰が選んでも同じ結果なら——そこに、自分の意志が入る余地はない)
世界が、ほどけた。
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透明な層が剥がれ、元の食堂の喧騒が戻ってくる。
トレーの音。話し声。食器の触れ合う音。
気づくと、康介は元の席に戻っていた。
Aランチの皿が、目の前にある。
康介は、しばらくそれを見つめた。
「なあ」
純に言う。
「明日、違うの頼んでみるわ」
純は少し驚いて、それから笑った。
「いいじゃん。何にするの?」
「……わからない。
でも、とりあえずA以外」
「どうなるわからないけどな」
康介は、フォークを手に取った。
Aランチを一口食べる。美味しい。
でも、明日は違うものを食べる。
たぶん、外すかもしれない。
でも——それでいいと思えた。
【観測者としての作者の独白】
私たちは、「より良い選択」を求める。
成功率の高い道。後悔しない判断。間違いのない答え。
それは、合理的で、効率的で、正しい。
しかし、その先にあるのは——
“選ばなくてもいい世界”かもしれない。
すべての答えが用意され、間違いが排除されたとき、
人間は何を基準に選ぶのだろうか。
いや——そもそも、選ぶ必要はあるのだろうか。
「選ぶ」ということは、時に間違えることだ。
「迷う」ということは、時に無駄な時間を過ごすことだ。
でも、その「非効率」の中にしか、
「自分で決めた」という実感は生まれない。
「選ばなかった」という選択肢を残すこと。
「外れるかもしれない」というリスクを受け入れること。
それらが、人間の自由の最後の砦なのかもしれない。
私はまだ、
“外れる可能性”を受け入れているだろうか。




