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刃(Edge)(1)

窓の外から聞こえる鳥の微かなさえずりで、プリシラはゆっくりと目を覚ました。柔らかな陽光が部屋を包み込み、彼女は不思議と故郷にいるような安らぎを感じていた。


「う……」


彼女は呻き声を漏らした。喉はカラカラに渇き、腹部のあたりに重苦しさを感じる。

 視線を落とすと、傷口を覆っていた包帯は新しいものに替えられていた。リオナラの姿はどこにも見当たらない。


「あの子はどこに……」


「おや、おはようございます、プリシラ様」


左側から聞き慣れない声がした。首を巡らせると、一人の鬼の女性が自分のポーチを手に持って立っていた。


「え……? あなたは……?」


「ああ、昨夜のことは覚えていらっしゃらないかもしれませんね」

 彼女は騎士のポーチをナイトスタンドに戻すと、向き直って一礼した。

「私の名はトモエ。レン様の助手をしております」


「ああ……昨日の、癒し手の……」


「左様でございます。様子を見に早くから伺っていたのですが、安らかに眠っておいででしたので、起こさぬよう控えておりました」

 彼女はベッド脇の丸椅子に腰を下ろした。

「お加減はいかがですか? 痛みや不快感は?」


プリシラはゆっくりと首を振った。


「いえ、ただ……少し喉が渇いています」


トモエは頷いて立ち上がった。

「お水をお持ちしましょう」


助手が部屋を出ようとしたその時、反対側からノックの音が響いた。


「プリス? 私よ、リオ。入ってもいい?」


トモエは入り口のそばで躊躇い、肩越しに騎士の顔を見た。プリシラが頷いて応えると、鬼の娘は鍵を開けて扉を引いた。そこには、右手にバスケットを提げ、左手にベルトを巻き付けたロングソードを持ったリオナラが立っていた。


「あ、トモエさん。いらしてたんですか」


「ジェンヌ様?」

 彼女は片方の眉を上げつつも、軽く会釈をした。

「おはようございます」


「あの……おはよう。プリスに会ってもいい?」


「もちろんです。ですが、やはり外のものをそのまま部屋に持ち込むのはお勧めできません。回復を遅らせる原因になりますから」


「あっ!」

 本能的に、リオナラは一歩後ずさった。

「そ、外で待ってた方がいい?」


トモエは頷き、部屋の外へ出て扉を閉めた。

「主様に洗浄の処置を頼んで参ります。安心してお入りいただけるよう整えますので、ここでお待ちください」


「わ、分かったわ」


扉の向こうから彼女たちの声が聞こえてくる。プリシラはベッドに頭をもたせかけ、静かに微笑んだ。


(神の導きであろうとなかろうと、この人たちがそばにいてくれてよかった……)

 彼女は右手に視線を落とし、それから目を閉じた。

(彼らがいなければ、私は本当に死んでいたかもしれない)


記憶の奥底で、女王の言葉が蘇り始めた。


『プリシラ。アクラポカリスの東にある都市で、そなたの父の失踪について調査してほしいのだ』

『アリボール(Arivaul)でございますか、陛下?』

『そうだ。三週間で戻ると言っていたのだが、一ヶ月以上音沙汰がない。何かが起きたのではないかと案じている』

『御心のままに、陛下』


女王のくすくすという笑い声が、脳裏に響く。


『そなたの忠誠心は称賛に値する、プリシラ。だが、真の騎士とは盲目的に従うだけのものではない。自らの誓いを忘れるな。それが、そなたを正しき道へと導く道標となるだろう』

『はっ、陛下』


(守る力を持たぬ者を、守るために……)


彼女は陽の光が満ちる部屋で目を開けた。胸の奥で決意が熱く燃え上がる。体は依然として重く、腕を動かすのも一苦労だったが、回復しようという意志はかつてないほど強かった。


扉の向こうで何かが動く音がし、やがて扉が開いた。レン、トモエ、そしてリオナラが部屋に入ってくる。

 ハイエルフはカットされた梨が乗った小皿を持ち、トモエは水の入ったグラスを、レンは手帳と研ぎ澄まされた鉛筆を手にしていた。


「おはようございます、プリシラさん」

 レンはベッド脇の丸椅子に座りながら声をかけた。

「気分はどうですか?」


「おはよう。体はだるいけれど、昨日よりはずっといいわ」


「熱は? 痛みはどうですか?」


彼女はトモエから水のグラスを受け取り、首を振った。

「全くないわ」


彼はわずかに頷きながら手帳に書き込みを始めた。プリシラは水を一口飲み、控えめな微笑みを浮かべて皿を持っているリオナラの方を向いた。


「プリス、果物を持ってきたわ」


「果物?」

 騎士は不思議そうに、だが嬉しそうに尋ねた。

「街で買ったの?」


「ええ」

 彼女は一切れ手に取って差し出した。

「はい、どうぞ」


「ああ、ありがとう、リ――」

 彼女は言いかけ、自分の声を修正した。

「――ジェンヌ」


瑞々しい果実が騎士の歯で砕かれ、甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。活力が戻ってくるのを感じる。アルカディアの王都でも果物は珍しくなかったが、軍で支給される食事以外では、街を訪れる商人から買うしかない贅沢品だった。


「……すごいわ」

 プリシラは唇の端を舐めながら呟いた。

「本当に美味しい」


「健康にもいいですよ」

 手帳への記入を終えたレンが付け加えた。

「プリシラさん。危機は脱しましたが、傷口が塞がるまでは当分の間、十分な休息を摂ることをお勧めします」


彼の言葉に、騎士は少し不安そうな顔をした。

「……どのくらいかかるのかしら?」


「早くて数週間、長ければ数ヶ月といったところですね」


「数ヶ月!?」

 彼女は思わず身を乗り出し、即座に痛みに顔をしかめた。

「ああっ……失礼ながら先生、そんなに長くベッドに縛られているわけにはいかないの」


「お気持ちは分かります。しかし、再び寝たきりになって期間を延ばしたくないのであれば、開いたままの傷口で街を歩かせるわけにはいきません」


「う……」

 プリシラは視線を逸らした。少し躊躇した後、彼女は再び彼を見た。

「……もし、あの『ポーション』があれば、解決するかしら?」


「ポーション? あの赤い小瓶のことですか? あれは錬金術師たちが小銭を稼ぐために売っている偽物ですよ」


「いいえ、違うわ……本物の『回復薬ヒーリング・ポーション』よ」

 彼女は弱々しくナイトスタンドのポーチを指差した。

「あのポーチの中に一つあるわ」


レンの表情から懐疑心が消え、好奇心へと変わった。彼は手帳を脇に置く。


「トモエ」

 彼は静かに命じた。

「扉を閉めて。誰にも聞かれないようにしてくれ」


「承知いたしました、主様」


鬼の助手は立ち上がって扉の外を一度確認してから、扉を閉めた。そして扉に背を預け、そこに留まった。


「プリシラさん」

 レンは警戒と真剣さが入り混じった口調で尋ねた。

「そのポーション、どこで手に入れました?」


彼の態度の急変に、プリシラは身を硬くした。

(この人はまさか……?)

 彼女は理由を考えたが、考えれば考えるほど答えから遠ざかっていく。

(他国のスパイか何かなの……?)


「あの……」

 リオナラの声が沈黙を破った。騎士と医者の両方が彼女を見る。

「どこで見つけたか、そんなに大事なことなんですか?」


レンにとって、リオナラがそのポーションの重要性を理解していないことは明白だった。普通は知らないはずだ。医者は深く息を吐き、再び騎士に向き直った。


「……レオナ女王は、あなたにとってどのようなお方ですか?」


プリシラはシーツの下で手を握りしめ、目を細めた。

「……なぜ、そんなことを聞くの?」


「あなたの忠誠がどこにあるかを知りたいのです」

 彼の左手がコートのすぐ下に伸びた。まるでベルトにある何かに手をかけているかのように。

「もし言ったことが本当なら、あなたは王室の騎士か、そなくば泥棒だ」


(この男……!)


プリシラが至近距離で魔法を放とうとしたその時、部屋の全員を驚かせるようなリオナラの叫びが響いた。


「プリスは泥棒なんかじゃない!」

 彼女は強い信念を込めて叫んだ。持っている木皿の縁を握る指先が白くなっている。

「彼女は、善い人々を守る騎士様なのよ!」


「リオ!」

 プリシラが目を見開いて彼女を見た。ハイエルフの心臓がギュッと縮み上がる。

「あなた、何を――!」


「あっ!」


リオナラは即座に自分の失言を後悔し、恥じ入るように頭を下げた。


「はぁ……」

 レンは安堵の声でため息をつき、左手を胸の前へと戻した。

「……やはり、本物の王室騎士だったのですね」


騎士は敵意を予想して彼を見ていたが、代わりに彼は平穏な表情をしていた。

「誰か泥棒の手に渡ったのかと思いましたよ」


「泥棒?」

 プリシラは最初困惑したが、すぐに合点がいった。

「待って、それじゃあ、あなたはそのポーションのことを知っているの?」


「私の以前の師匠が作ったものです。女王陛下への贈り物でした」

 彼は背もたれに寄りかかり、肩の力を抜いた。

「誰か他の者がそれを盗んだのだと考えただけで、私は――いえ、私たちは腹立たしかったのですよ」


トモエは腰の後ろに隠していた短刀を帯に仕舞い込み、再び主の次の命令を待つメイドのように、体の前で手を揃えた。プリシラは驚きを隠せない表情でレンを振り返った。


「……女王陛下にお会いしたことがあるの?」


「ああ……まあ……」

 彼は座り直し、静かに微笑んだ。

「ええ。十年ほど前、まだ陛下が王女でいらした頃にお会いしました」


「……そうだったのね……」


彼はトモエに視線を送り、彼女はベッドに近づいて軽く一礼した。医者は咳払いをし、助手を指し示した。


「改めて自己紹介を。こちらは安本トモエ、私の護衛兼助手です」

 彼女は両手を腿に置き、丁寧にお辞儀をした。

「私は安本レン。駆け出しの医者であり、旅人です。私たちはアルカディアへ向かう途中だったのですが、あなたのハイエルフの友人が、助けを求めて必死にギルドへ駆け込んできたものでね」


リオナラは視線を逸らし、肩をすぼめた。プリシラに声を荒らげられたのは初めてのことで、それだけで彼女の心は震えていた。


「そう……だったのね」

 プリシラはハイエルフを見て、静かにため息をついた。

「ごめんなさい、リオ。私……あんな言い方をするべきじゃなかったわ」


「いいの……私がパニックになって、考えずに口走っちゃったから……」


「プリシラさんがあなたを止めたのは正しかったですよ」

 レンが言った。リオナラの肩はさらに縮こまったが、彼の言葉とは裏腹に、彼はまだ微笑んでいた。

「ですが、あなたのおかげで、無益な血を流さずに済みました。お礼を言いますよ。リオさん……それとも、ジェンヌさんとお呼びした方がいいですか?」


「あ――!」


「ジェンヌと呼んであげて」

 プリシラが真剣なトーンで割って入った。

「彼女は……複雑な事情があってね。あまり説明したくないの」


レンは一度頷き、再びリラックスした様子で言った。


「分かりました。では、お詫びの印に――」

 彼の目がハイエルフに向く。

「彼女にどこか異常がないか、簡単な診察をさせてもらっても構いませんか?」


騎士はリオナラに視線を送った。リオナラはその視線に気づき、恥ずかしそうにレンを見て、控えめに頷いた。

 医者は優しく微笑み、立ち上がった。


「ハイエルフはこのあたりの領地では珍しいですからね」

 彼は丸椅子をリオナラの前に置いた。

「さあ、座ってください。すぐに終わりますから」

※次回更新は4月27日 21:30予定です。

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