消毒(1)
借りていた部屋に運び込まれた後、プリシラはベッドに横たわっていた。荒い呼吸と冷や汗が、彼女自身を不安にさせた。
(こんなに気分が悪くなったことはないわ……)
苦痛で顔が歪むのを自覚する。
(……癒し手が必要かもしれない……)
体の内側が焼けるように熱い。体は重く、焦点も定まらなくなっていた。そこへ、小さなスープの器を手にしたリオナラが部屋に入ってきた。
「プリス、食べ物を持ってきたよ」
騎士は視線の端で彼女を捉え、無理に微笑もうとした――だが、激痛のあまり両目は勝手に閉じてしまう。
「あ、ありがとう……」
プリシラは絞り出すような声で言った。
「よくなったら……すぐに食べるわ……」
リオナラはベッドの脇に歩み寄った。窓から差し込む微かな月光が、騎士の顔を青白く照らしている。医学の知識がなくとも、彼女の容態が尋常でないことは明らかだった。
「私……助けが必要なら、食べさせてあげられるよ、プリス」
「私は……」
呼吸は乱れ、いくら吸い込んでも空気が足りない。返事をするという単純な行為さえ、今の彼女には死闘だった。
「……気分が……よくないの……」
その言葉を聞いた瞬間、リオナラの体から一気に熱が引いた。背筋に死の予感のような寒気が走り、彼女はスープの器をナイトスタンドに置くと、慌ててプリシラの手を握りしめた。
「私にできることはある!? プリス! 何でも言って!」
二人の目が合った。騎士には答える力は残っておらず、代わりに首を横に振り、「ポーチを」と言おうとしたが、言葉にならなかった。プリシラは目を細めたが、時間が経つにつれ、リオナラの顔はますますぼやけていった。
そして、無理に作った微笑みと凄まじい激痛の中で、彼女は意識を失った。
「プリス……?」
握っていた騎士の手から力が抜けた。胃の底から恐ろしい感覚が沸き上がってきた。災厄が降りかかる直前に感じる、あの不吉な予感。
(何としても彼女を救わなきゃ)
最初の本能が彼女を支配した。
(自分を救ってくれた人を、今度は私が救うんだ)
彼女は迷うことなくプリシラの手を放し、部屋を飛び出した。大きな音を立てて階段を駆け下り、表へと飛び出す。
「おい! どこへ行くんだ、お嬢ちゃん!」
背後でジェラルトの声が響いたが、リオナラは止まらなかった。中央広場を目指し、持てる限りの力で走った。白い外套を着た男にぶつかり、二人とも転びそうになったが、体勢を立て直すと謝る暇もなくギルドへと走り続けた。
「何だ、一体……?」
リースはその背中を見送り、困惑しながら宿の方へと視線を向けた。
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リオナラの素足が通りの石畳を叩く。足が動く限りの速さで走っていたが、以前と違い、今の新しい体に慣れていない彼女は、一歩足を踏み外しただけで地面に顔から突っ込んでしまった。
「ううっ!」
鼻から温かいものが流れるのを感じた。血が顎まで滴り落ちたが、その痛みも、今感じている絶望に比べれば無に等しかった。
通りがかりの人々が驚きと困惑の目で彼女を見た。アリヴォールにおいて、鼻血を出しながらボロ布のようなリネンドレス一枚で駆けていくハイエルフの姿など、日常茶飯事ではない。
(この体、言うことを聞いてよ!)
怒りに震え、石畳に拳を叩きつける。
(動いて!)
彼女は無理やり体を起こし、再び走り出した。足の速い市民は彼女を避けたが、運の悪い者たちは彼女に突き飛ばされ、何人もの肩をかすめながら、ようやく閉まりかけたギルドの前に辿り着いた。
「はぁ……はぁ……」
息は絶え絶えだったが、ボロボロの服で鼻血を出しながらも、彼女は中に足を踏み入れた。その姿に、ロビーに残っていた冒険者たちの間に囁き声と驚愕が広がった。
奥のカウンターにいたルシナは、ロビーからの騒ぎを聞きつけて様子を見にきた。
「ん?」
黒髪に紺碧の瞳を持つハイエルフがロビーの真ん中に立ち、泥だらけの足跡で床を汚し、顎から白いタイルへ血を滴らせているのを見て、彼女は目を見開いた。
リオナラはようやく大きく息を吸い込むと、喉の限りに叫んだ。
「ルシナ様! 助けてください!」
白いガムベソンを着たギルドの衛兵が、右手に木製のバトンを持って彼女に近づいた。ロビーにいる全ての客、冒険者、それ以外の者たちが一斉に彼女を注視しており、衛兵もこの事態を軽くは見ていなかった。
「お嬢さん、外へ出なさい」
彼は左手を挙げて制止した。
「迷惑ですよ」
「嫌だ! 彼女と話させて!」
喘ぎながらも鋭く息を吸い、再び叫ぼうとしたその時、衛兵は彼女をねじ伏せようとバトンを振り上げた。
「待って!」
ルシナの声に衛兵の手が止まった。受付嬢が彼らに歩み寄る。
「ルシナさん」
衛兵は彼女を横目で見た。
「この女を知っているのですか?」
「いいえ、でも……」
彼女はリオナラを頭からつま先まで観察した。奇妙な既視感があったが、確信は持てなかった。
「彼女は、私のことを知っているようね」
「ルシナ様!」
リオナラが歩み寄ろうとしたが、衛兵に遮られた。バトンは下げられたものの、彼女が少しでも攻撃的な動きを見せれば即座に対処する構えだ。
「プ、プリスが! 助けが必要なの! お願い!」
その呼び方に、ルシナは眉をひそめて怯んだ。まるで、あってはならない光景を目にしているかのような表情だった。
「リオ、あなたなの――」
「時間がないの!」
涙が溢れ出した。リオナラは絶望を抑えきれなかった。
「お願い! 助けて!」
「分かった、分かったわ」
ルシナは深く息を吸い込み、周囲を見渡した。全員の視線が自分たちに集まっている。口の中にひどく苦い味が広がった。
(十年前と同じだわ……)
受付嬢は静かに息を吐き出すと、衛兵に向き直った。
「このお嬢さんはプリシラさんを見つけたようです。ギルド職員として、彼女の安否を確認しに行かなければなりません」
衛兵は怪訝そうに眉を上げた。
「ルシナさん、失礼ながらこれは――」
「私が、行ってもいいかな?」
背後から男の声がした。短く切り揃えられた漆黒の髪と、深い青色の瞳を持つ青年が近づいてきた。軽いリネンの外套《コート》に生綿のシャツ、リネンのズボンに革のブーツという、簡素な冒険者の装いだ。首からは銀色の冒険者タグが下がっていた。
「騒ぎが聞こえたんだが、癒し手が必要なのかい?」
その言葉こそ、リオナラが求めていたものだった。彼女は即座に、叫ぶような勢いで答えた。
「はい! あなたは癒し手様なんですか!?」
「医者の卵だ。レンという」
彼は腕を胸の前に当てて一礼した。
「お役に立とう。君は?」
「ジェ、ジェンヌです。村の娘です」
彼女は軽く会釈した。
「よろしい」
レンは咳払いをして言った。
「トモエ! 患者だ」
ロビーの隅で、巨大な背負い袋を背負った女性が立ち上がった。
「承知いたしました、主様《あるじさま》」
透き通るような白い肌が、深いエメラルド色の髪と紫色の瞳を際立たせていた。額からは二本の細い肌色の角が突き出し、真っ直ぐな前髪を二つに分けてから眉の近くで再び合流している。彼女は上半身と下半身を覆う重厚な革のコートを纏い、足元には同じ素材のサンダルが見えるだけだった。
「ルシナさん」
レンは落ち着いたトーンで言った。
「移動しながら患者の状態を教えてもらえるかな」
それから優しくリオナラに向き直った。
「ジェンヌさん、君には何が起きたのかを詳しく聞きたい」
「もちろんです。私も同行します」
「は、はい! お願いします!」
四人のグループは急いでギルドホールを後にした。ルシナは三人の後ろにつき、リオナラはレンが投げかける質問の一つ一つに、必死に答えていった。
「症状はどうだった?」
彼は革表紙のノートと、炭のかけらを差し込んだ粗末な鉛筆を取り出しながら尋ねた。
「意識はあったか?」
「しょ、症状?」
「普段とは違う、不快な感覚のことですよ、お嬢様」
トモエが優しく補足した。
「熱とか、吐き気とか、頭痛とか……」
「彼女……自分では言わなかった。痛そうだったけど、それ以外は……」
「なるほど……」
レンがいくつか書き込みを始める。
「病気か、それとも怪我か?」
「怪我です」
「ふむ、ふむ……」
彼はさらに激しく書き込み、質問を続けた。
「その怪我について、何か知っていることは?」
リオナラは首を横に振った。
「お腹に包帯を巻いていたけど、一度も外してくれなかったから……」
彼らの会話を聞いているだけで、ルシナの不安は募るばかりだった。
(プリシラ・アベリオン……)
受付嬢は苦々しく唇を噛んだ。
(お父様に、あなたを助けるために全力を尽くすと約束したのに……)
彼女の視線は、レンの質問に必死に答えようとしているジェンヌの横顔へと向けられた。胸が痛んだ。
(この見知らぬ人たちに比べて、私はどれほどあなたの力になれたというのかしら)
※次回更新は4月17日 21:30予定です。




