小さな一歩(2)
リオナラは小銭入れを取り出すと、十二枚の硬貨を数えてカウンターの上に置いた。それを見たプリシラが尋ねた。
「リオ? どうしてそこに置いていくの?」
「あ、ええと……だってお金を払わなければいけないんじゃ……?」
その言葉に、騎士は小さく吹き出した。
「頼んだものを受け取った時に払えばいいのよ。まあ……ジェラルトなら別に構わないとは思うけれど」
鍛冶屋は不敵な笑みを浮かべた。
「へっ、信頼してくれるのは嬉しいがな、お嬢ちゃん」
彼は硬貨を彼女の方へ押し戻した。
「だがな、まともなサービスや品物を受け取るまでは、他人に金を払うもんじゃねえぜ」
「あ……」
リオナラは軽くお辞儀をした。
「教えてくれてありがとうございます」
「おうよ」
少女が納得した様子なのを見て、プリシラは重心を移し、左腕をレイピアの鍔に乗せて別れの挨拶を告げた。
「それじゃあジェラルト、また明日」
「ああ、明日には用意しておくぜ」
騎士は右手を挙げて振り、リオナラももう一度お辞儀をしてから、扉を抜けるプリシラの後に続いた。
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扉を閉めると、そこには静かな中央広場が広がっていた。数人の人々が歩いてはいたが、昼時が近づいているため、ほとんどの商人は店を閉め始めていた。
(せめて、ダンジョンの入り口くらいは見ておくべきかしら)
プリシラの視線が、それに気づかぬ様子のリオナラへと向けられた。
「リオ」
彼女は声をかけた。
「宿に戻る? それとも、私と一緒にダンジョンを少し覗いてみる?」
「えっ?」
少女は不思議そうな表情で見上げた。
「私は、プリスが行くところならどこへでも行くよ」
プリシラは左手を鍔の下にずらして鞘を握り、独り言のように笑った。
「そう。じゃあ、行きましょうか」
「うん」
二人は街の東側へと歩き始めた。
アリヴァウルのダンジョンは、アルカディア大陸の各地に出現した数ある迷宮の一つだ。富、栄光、名声の約束――名高い冒険者になるという誘惑。男も女も、その足跡を追ってこれらのダンジョンへと足を踏み入れる。そこは、財宝と危険が等しく満ちた宮殿だった。
足並みを揃えて進むにつれ、東地区に近づくほど通りは広くなっていった。北の貴族街や南の貧民街とは異なり、向かっている先には家も店もなかった。それどころか、中心部から離れるほど建物は次第に荒廃していった。
瓦礫の間には、食べ物を探したり崩れた建物に隠れ場所を求めたりするネズミや小さな虫の姿が見られた。
さらに東に目を向けると、プリシラは遠くに、衛兵に囲まれた背の高い黒い矩形のモノリス(石柱)に気づいた。衛兵は八人ほどで、全員が全身をプレートアーマーで包み、ハルバードを手にしていた。二人がモノリスの各辺を固め、残りの六人は古いレンガ造りの建物の横に張られた即席のテントの陰で休んでいた。
衛兵の他に、数人の冒険者たちが地面や瓦礫の上に座り、ダンジョンに入る順番を待っているかのように、衛兵が敷いた境界線の周りにたむろしていた。
二人がモノリスの付近に入ろうとすると、六人の衛兵のうちの一人が気づき、ハルバードを手にこちらへ向かってきた。
「止まれ」
彼は広場を横切りながら叫んだ。
「ここで何の用だ?」
プリシラは前に踏み出し、軽く頭を下げて説明した。
「ダンジョンがどのようなものか、見学に来ました」
「あん?」
衛兵の視線が、騎士の首から下がっているプレートに向けられた。
「銅級の冒険者か?」
彼は目を細めたが、すぐに驚いてのけぞった。
「待て……あんた、知ってるぞ。ブラック・アサシンを捕まえた女だ!」
よく見ると、目の前の男は先程兵舎の近くで出会った衛兵の一人だった。かつてのアルカディア女王について言及した年配の男だ。プリシラは苦笑いしながら答えた。
「ああ……ええ、私です」
「ふむ……あんたのような者が騒ぎを起こすとは思えんな」
彼は脇に退き、道を開けた。
「通行許可証を持っていないんだ、中には入るなよ。見物するだけなら、そこの子供と一緒に見て回って構わん」
「ありがとうございます」
リオナラも前に出て、お辞儀をしながら衛兵に礼を言った。
「ありがとうございます!」
小柄な少女の可愛らしいお辞儀を見て、衛兵は笑みを浮かべながらテントの陰へと戻っていった。安堵の視線を交わし、二人はゆっくりとモノリスに向かって歩き出した。
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周囲の冒険者たちは、探索と戦闘の両方に備えた装備を整えていた。重厚な鎧、つるはし、ランタン、食料の袋に、水を入れたひょうたんの水筒。それらはどのパーティーにとっても基本の装備だった。中には魔導士を連れたグループもあり、彼らは重い荷物こそ持っていなかったが、ポーションや薬を入れるための予備のポーチやカバンを全身に装備していた。
(これが冒険者のパーティーなのね……)
プリシラは注視した。アルカディアの軍隊とは異なり、少人数の冒険者グループには遥かに多様な役割があった。地下にある未知のダンジョンの危険を考えれば、あらゆる事態に対応できる編成にするのは賢明な判断だ。
上着の左側を引かれるのを感じ、プリシラはリオナラを振り返った。少女は好奇心に満ちた瞳で彼女を見つめていた。
「プリス。ここが、来たかった場所?」
「ええ」
「でも……どうして? なんだか、すごく暗い場所だね」
「私の父様が、この中のどこかにいるはずなの」
「お父さんが? どうしてこんな場所に来たの……?」
「それは私も知りたいわ」
彼女の視線がモノリスの頂上へと向けられた。黒い構造物は微かなオーラを放っており、騎士に不快な感覚を抱かせた。
「人間が足を踏み入れるべき場所ではないわね、こんなダンジョン……」
「冒険者にしては、随分とはっきりした物言いね」
プリシラの真後ろから聞き慣れない女の声が響き、彼女は素早く一歩前に出て、左手を鞘に添えながら振り返った。
「おっと、ごめんなさい。こんにちは、魔法剣士さん」
騎士のパーソナルスペースに侵入していたのは、金髪のエルフの女性だった。彼女は革のストラップで顎に固定したケトルヘルムを被り、白いガンベゾン、膨らんだ茶色のズボン、そして靴代わりに革のストラップを足に巻きつけていた。その濃緑色の瞳には、どこか悪戯っぽい光が宿っていた。
「エレイン、他人の話を盗み聞きするのは行儀が悪いぞ」
エルフの背後から、フルプレートを纏った騎士が窘めながら近づいてきた。その体格と声の調子から、プリシラはそれが誰であるかをすぐに察した。彼女は背筋を伸ばし、武器の柄から右手を離して腕の力を抜いた。
「ラインハルト卿、彼女はお仲間ですか?」
リオナラはプリシラの背後に駆け込み、騎士の足の間からエルフをじっと見つめていた。その様子を見て、ラインハルトは兜を脱ぎ、謝罪した。
「ああ、すまない。彼女は少し自制心が足りなくてね」
彼は頭を下げ、相棒を睨みつけた。
「ほらエレイン、言うことがあるだろう?」
エルフは両手を頭の後ろで組み、体を斜めに傾けながら視線を逸らした。そして蚊の鳴くような声で言った。
「……ごめんなさい」
ラインハルトは溜息をつき、姿勢を正してプリシラに向き直った。
「しかし、ここで何をしているんだ? てっきり、また賞金首でも追っているのかと思っていたが」
「ああ……ただの好奇心ですよ」
彼女は背後のモノリスを一瞥し、再び彼に視線を戻した。
「ダンジョンというものを、一度も見たことがなかったもので」
「なるほどな」
彼は腕を組んだ。
「最近、このダンジョンは非常に実入りがいい。探索の報酬を得たいなら、ランクを上げておくに越したことはないぞ」
「助言に感謝します」
プリシラは体の前で右手を添え、軽く会釈した。
「さて、目的は果たしました。私たちはこれで失礼します」
彼女は背後に隠れているリオナラを見た。
「行きましょう、リオ」
「うん……」
ラインハルトは再び一礼し、別れを告げた。
「では、プリシラ殿」
一方、エレインは穏やかな笑みを浮かべ、両手を振った。
「チャオ!」
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二人が去るのを見送った後、エレインはラインハルトを振り返り、尋ねた。
「あれが、昨日言っていた女?」
「ああ。どう思った?」
「ただの冒険者じゃないわね」
彼女は自分の喉元に手をやり、まるでないものを探るように指でなぞった。
「もし彼女が本気で剣を抜いていたら、最初の一振りで私の首は飛んでいたでしょうね」
「『飛んでいたでしょう』、か。……お前なら勝てたか?」
「さあね。不意を突ければ、あるいは」
彼女は両手を頭の後ろで組み、屈託のない笑顔を浮かべた。
「でも、手強い相手なのは間違いないわ」
「フィービー様のようにか?」
「はは! まさか、あんな怪物と一緒にしないでよ。でも、間違いなく警戒すべき相手ね」
「そうか……」
ラインハルトは肩越しに魔法剣士の背中を見つめた。
「プリシラ・アベリオン、か……」
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テントの下にいた衛兵の一人がベルトから懐中時計を取り出し、時間を確認して立ち上がった。
「時間だ」
その言葉を聞き、モノリスの前にいた二人の衛兵が、休んでいた者たちと交代し始めた。新しい衛兵の準備が整うと、彼は叫んだ。
「準備しろ! 扉を開けるぞ!」
荷物の上で休んでいた大勢の冒険者たちが、荷物をまとめて立ち上がり始めた。ラインハルトは持っていた袋に手を伸ばし、傍らにあった弓と矢筒を掴むと、それをエレインに手渡した。
「さて……」
彼は再び兜を被り、溜息をついた。
「行くか」
「了解」
剣と盾を手に取ると、彼とエルフはダンジョンへと向かう冒険者の列に加わった。
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中央広場に戻ったプリシラは、少し疲れを感じ、目頭を指で押さえた。騎士のその様子を見て、リオナラが尋ねた。
「プリス、大丈夫?」
「ん?」
彼女は目を開け、微かに微笑んだ。
「ええ、少し疲れただけよ」
ダンジョンの近くにいたせいか、どこか調子が狂っていた。まるで体から力が吸い取られたような感覚。それは、普段の疲れとは質の違う消耗だった。
「宿に戻る?」
心配そうな表情で見つめるリオナラに、プリシラは思わず笑みをこぼし、背筋を伸ばした。
「いいえ、大丈夫。少し息を整えたいだけよ」
彼女は広場の周りにいる数少ない商人たちに目を向け、再びリオナラに視線を戻した。
「もう少し、辺りを歩きましょうか」
「うん」
※次回更新は3月28日 21:30予定です。




