第16話『黒煙、谷を覆いて』
「おい、あれを見てみろ!」
朝靄にけぶる谷の向こう、黒い煙が、もくもくと空へ伸びていた。
ランダ村の外れに、鉱山を探すという商会の一団がやって来たのは一週間ほど前のことだった。彼らは「この地には良質な鉱石が眠っている」と言い、掘削機や金属器具を持ち込み、岩山の奥を穿ちはじめた。
最初こそ、村の者も警戒して遠巻きに見守っていたが、しばらくしてから「掘った道を使えば、王都までの交易路ができる」「鉱石の利益で村が潤う」と囁かれるようになると、次第に人々の表情が変わっていった。
だが、変わったのは人心ばかりではなかった。
ある朝、晃志が紙漉き用の川辺へ行くと、水が濁っていた。木の枝や油膜のようなものが浮き、草の間には茶色い泡が絡みついていた。
「……紙が作れん」
そう呟いたのは、紙漉きを手伝っていた少年だった。湯もぬるくなり、風呂に入ると肌がピリつく。晃志の桶の木目にも、黒い粉が入り込みはじめていた。
村は揺れ始めていた。
「わしらも王都のような暮らしができるっちゃないか?」
「でも、このままじゃ、茶も、提灯も、作れんごとなる……」
村の集会所では、昼も夜も議論が絶えなかった。
その夜、晃志は黙って一人、提灯に火を灯した。
火は揺れながら、晃志の顔を照らした。皺の間に刻まれた火の色。あの八女の町でも、祖父がこんな顔をしていた夜があった。
「便利が悪かとじゃなか。おいも技術者やけんね。でもな――」
翌朝、晃志は商会の責任者を訪ねた。
「この地に来て、何ば見たとですか?」
商会の長は怪訝な顔をしながら言った。
「岩山、鉱脈、地形図、そして……掘れる資源、だな」
晃志は首を振った。
「見とらんとです、村ば。湯の温もり、茶の香り、紙のやわらかさ、灯りのゆらぎ。それが全部、あん掘削で死にかけとるとばい」
「しかし、利益があれば村も――」
「技術はな、人を生かすもんや。壊すためのもんじゃなか」
その場に居合わせた村人たちも口々に語りはじめた。桶職人の老人は「木目の節が変わった」と言い、若い母親は「湯に子どもを入れられん」と涙ぐんだ。
会話の最後、晃志はそっと言った。
「この村の技ば伝えたいとなら、まず守ってもらわなならん。自然と共にあってこそ、技は生きるとばい」
会議が終わりかけたそのとき、一人の少女が手を挙げた。
「紙が作れんようになったら……お手紙、書けんくなる……」
その言葉に、場の空気が変わった。しん、と沈黙が落ちたあと、誰かがぽつりとつぶやいた。
「……そうやった。わしらの技は、自然と共にあったっちゃね」
晃志はその夜、提灯を一つ灯しながら、丘に立った。
濁った川も、止まった湯も、すぐには戻らないかもしれない。
だが、ひとつの灯りがあれば、また誰かの心に火がともる。
「技ば伝えるなら、まず守ることから始めんといかんばい」
提灯の炎は、黒煙とは逆の風に、やさしく揺れていた。




