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夜空のハル  作者: 里村
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 今日も遅いのか。

 ふらっと飛び出した夜空から見下げた足元に、難なく莉子を見つける。その隣にいる男を見て、ハルは一つ頷いた。

「莉子とパパがねぇ」

 不思議な感じがする。

 莉子の部屋に出没するようになって、少しずつだがあり得ないスピードで成長する心と体を持て余し、昼も夜中も、ぐるぐると風に乗って思考と体の成長の軋みに耐えた。その日々を過ぎて、また幼体に戻って。

 今、ここに在る自分は何なのだろうかと、考えないようにする日々。

 ただ闇雲に、求めるように莉子の姿を探す日もあれば、あの日聞いた『ママ』の声を求める日もある。感情の強弱の調節が難しい時も増えて、何かしら自分から滲むように出ているかもしれない。近頃では、境界が曖昧なヤバい暗闇が、少しずつ自分を浸食していくような感覚を持つ。錯覚かもしれない、と思いはしてもやはり、ムリだ。自分の曖昧さは、よおく分かっている。無駄に成長した思考が、幼体に戻ってもなお残っていて、感情が追い付かない。

 ハルは揺れている。

 その隙間を縫うように、手を伸ばす者もじわじわと包囲を狭めている。

 気づいているような気づかないような変化が、少しずつ日常を変えている。

 そのことに、莉子もハルも、どこかで分かっているような気がしてはいた。

だけれども、対処の仕方は、誰かから教えられるようなことではなかったのだと、思う。自分だけで切り抜けられないのなら、それまで。ただただ、そんな考えに似た諦めはあった。


「莉子」

 深夜、ようやく部屋に戻った莉子にハルは声をかける。

「ただいま、ハル」

 このただの挨拶にぎこちなさを感じるようになったのは、いつからだったか。

「おかえり、莉子」

 表情を変えないハルに、莉子は不自然な笑みを返す。

「待ってなくて良いのに」

「莉子と会おうと思ったら、この時間しかないもん、最近はさぁ」

「…なんか、ごめん」

 目を合わせることなく、そう言って莉子は、バスルームへと消えてゆく。

 そんなやり取りを何十回と繰り返しているような気がしてくる。

 ハルは、それまで感じていた安堵や居心地の良さを、どんどん他へと流す莉子に、あきれていた。そして、悲しくもあった。必要ではないのなら、なおさら自分は何なのだろうと。

 暗いリビングで開いた手のひらを見つめて、ハルは深いため息を吐き出す。

 そして、バスルームへ目線を投げて、なかなか出てはこない莉子にしびれを切らすように、夜空へと飛んだ。

 空はいつでもハルを受け入れ、泳がせる。

 風はどこかから何かの匂いや気配を運び、ハルを誘う。

 見てはいけないもの、見ない方が良いもの、知らなくて良いこと、そういうことも突き付けてくることもある。

 けれど、そこに空はある。

 夜空で漂うハルが反転した時、急に気配を詰めたものがいた。

「君、ハル君だね?」

「誰?」

「知ってるでしょ」

 目を細めて(さげす)むような冷たい目線をよこして、その男はハルを不遜(ふそん)に見つめた。

「…廊下の?」

 下駄箱の小さな影に縮めるように身を置いて、焦点の合わない(うつ)ろな目を血走らせていた、あの最初の印象とは違う男がそこにいる。

「ああ。ご無沙汰というべきか、懐かしのというか」

 男の軽口に、警戒感がぐっと上がる。何のためにこのタイミングで…。今まで、あちらから接触するような素振りは、あまりなかった。初めは脅かされたが、ハルの成長と共に、逆に恐れを含んだ目線を向けられていたはずだ。

「ずうずうしいです、どちらも」

「うわ、けっこう言うね」

「…成長、したから…」

「ああ、そういう人、いるんだってね。聞いたことがあるよ。死んでからも成長する子どもの霊とか、人生をなぞるように老いてゆく霊とか」

「あなたは…あの場所から動いた気配があまりないのに、そんなことになぜ詳しい?」

「ああ、僕だって、一度は死んだからね。召された時に走馬灯のように、知識の流れに一度身を置いた。でも、そこからは一瞬で弾かれたよ。というか、拒否したせいで弾き出されたと言う方が正しい気もする。気づいたらあの場所にいたから、確証はないんだけど」

 ケケケっという笑いが男の口から薄く漏れた。

「…生前からそうやって思いを吐き出していれば、あなたはここにはいない」

「その通りだよ。ばかな人生だった」

「では、流れに戻れば良いじゃないですか」

 そこで男は、腹をかかえて大笑いをする。その表情は、生前のとも最近のとも違って、魚眼レンズの端のように歪んでいた。

「それは、僕に言ってるの?君自身の話?」

 ひきつるような笑いを残して、そう絞り出す男を、咄嗟に突き飛ばしてハルは、その場から逃げた。

 あの男の言うとおりだと。

 それに一瞬で気づかされたとたん、後悔と懺悔と、何よりも自分の存在の不自然さが心へと刺さった。

 あの場所へ…。

 目指したのは、莉子と共に祈った社。

 夜の社に張られた結界は、キラキラと輝いている。

 薄く半透明に透けた社が、ガラスケースに入ったアンティークの様相で、滑稽(こっけい)で手の届かないもののように見える。

 あれ(あの男)は、ここへは入れない。

 そう確信して逃げて来たハルは、それまでのスピードのままに、結界の膜へ飛び込む。

 衝突した、そう理解したのは数瞬先だった。

「…弾かれた…」

 思わず出た声を拾ったのは、逃れて距離を取ったはずのあの男で。

「だろっ」

 そう言って、指差してげらげらと笑う男を睨みつけたものの、ハルにはそれ以外に出る言葉もなく。

 体の力が抜ける。

「だから言ったんだよ。君自身の話じゃないかって」

「知ってたのか?」

「そりゃぁ。同じ穴のムジナって、一目見たら分かる」

「お前の目に、僕はどう見えているんだ?」

「真っ黒。輪郭もオーラも、僕たちの仲間」

「…そんな」

「そうなんだよ、それなのに、莉子さんの部屋に入れるのが不思議。僕たち親子は、あの緑色があるから入れないのに」

「…莉子にも、僕は…そう…見えて…いる…の…か…」

「笑っちゃうよねぇ」

 同意とも相槌とも、どうとでも取れるような言い回しで男はハルに返事を返す。

 その真意を考える余裕はハルにはなかった。

「…」

 男の言葉を同意と取った。

 ハルは。

 あの不自然な莉子の態度やハルの父親への傾倒を、半ば自分の所為だと思い始めてしまった。

 ハルは。

 生きながらえるとか、生への執着とか、そういう希望や欲を持ったのは、つい最近のことで。その残像のような気持ちのブレに、ただただ流されて揺さぶられて。

 ハルは。

 小さな希望に、ほんの少し心を寄せただけだった。

 なのに、ハルは。

 

 体を幼くして、自分の感情の起伏に振り回されて、思考だけは残ったまま、ハルは。

 

 少しだけ、願ってしまった。

 あの夜空で、思いっきり飛びわまる自分や莉子や、両親の姿を。





読んでいただいてありがとうございます。

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