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夜空のハル  作者: 里村
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 きらきらと輝く光とそれに照らされた社や新緑の鮮やかさに目を細めながら、ハルは少しずつ高度を落とした。

 社の敷地周囲は、聖域か結界のようなゆるやかなドーム状の膜に覆われている。

 それを見て、ハルは少し(ひる)んだ。

 自分の存在は、あの街灯の下で呪縛されていた男と変わりない、と。莉子(りこ)を守ろうと取った行動で、あの悪霊を退治したのは偶然で、どちらかというと、あの男寄りの存在に違いないのだから。

 そう思ったものの、どこかで冷めた思いも抱いていて。

 ぐんぐんと迫るその結界に、触れて弾けるならば「それまで」と割り切る思考に落ち着くまで数瞬。ほんの少しの畏怖(いふ)を持って、目を閉じて、自分の審判をその薄い膜に(ゆだ)ねた。

 少し焼けるような感覚があったような気がする。

 (まぶた)を少しずつ開くと、それまで膜を隔てて見えていた社が、クリアに目に入って、()()()ことが分かった。無事に通り抜けたことにほっとして落した視線の先に、石畳の上を進む莉子を見つける。

 横を通り抜けて少し高度を上げると、通り抜けたばかりの結界に近づく。手を伸ばすと、指先にじりじりとしたわずかな熱を感じる。帰るときに再びここを通ることが簡単にできるのかどうか、わずかな不安が、その指先の熱を通して頭に浮かんだ。視線を足元に戻して、莉子を探す。再びその姿を追って、鈴の前に並ぶ人々の頭上を通り抜けた。いよいよ莉子の順番がやってきた時、莉子の直後に鈴に手を伸ばす。強風になってそれは、莉子の近くに小さな竜巻のような風を起こした。

 手を合わせる莉子の表情に沿って手を伸ばす。

 瞳を閉じた莉子の横顔を見ていると、なぜか、近づけないほどの距離を感じた。その願いが気になって、その心を探ろうと心が動く。そうすれば、遠く隔たって感じる、莉子の近くへと行けるような気がしてしまう。莉子は日中のハルを見ることはできない。一緒にいても気づくことはない。ハルを認識するのは、限定された時間で、あの部屋の中だけだ。そのことで感じる寂しさや心細さも、莉子の願いを探れば、ましになるんじゃないかって。

 どよんと沈む思考で、莉子へ同調しようとした時、

「…はる…」

 そんな声が聞こえたような気がして、(はじ)かれたように、辺りを見渡す。

 懐かしい声だと思った。

 耳に、心に。

「はる」

 次には、はっきりと聞こえた。

「…ママ?」

 そう口にした途端、しゅっと何かが縮むような感覚があった。

 薄い煙がハルの周りを(おお)い隠し、次の瞬間にはその煙は霧散した。

 煙の消えた場所に、幼いハルが立っていた。

 本来のあるべき姿に戻ったハルが、周囲を必死で探るように見渡している。

 それを探さないといけない、ハルは焦がれるように思った。

 そのハルの意思を阻害するように、まとわりついた煙に、眉根を寄せて、その原因を思いもしなかった。

 ハルは、一瞬で解けてしまった魔法に、気づくことはなかった。


 あれは、ママだ。

 聞き間違うはずがない。


 焦がれるように、ハルはその声を求めた。




 莉子と友晴(ともはる)は、いつもより少し多く、話しをした。

 それだけで、時間が早く過ぎてゆく。

 気づけば辺りが暗くなり、簡単な食事のような前菜のようなプレートとビールを一杯ずつ頼んで、やっと店を出た。店の前で別れようとした莉子に「今日からは…」とこの建物の下まで送ってくれた友晴が、何か言いたげに名残惜しそうに、莉子の手を放して帰って行ったのは、ついさっきのこと。

 名残惜しいと思ったのは自分かもしれない。

 もう少し一緒に…そう思うことと、その先がまだ見えないこととが、大人げない対応につながってしまって。もっと、近くで感じていたい体温と心が、すっと街並みに消えてゆく。手に残る温もりに触れながら、離れてしまった友晴の背に、莉子は小さく頭を下げた。

 ずいぶん離れた後に、振り向いた友晴が莉子の姿を見て、少し笑っていたような気がしたのだけれど…。

 ここにハルがいる限り、この部屋に友晴を呼べるはずもなく。

 そんなことを思ってしまった罪悪感が、エレベーターの中でじわじわと駆け上がってきた。


「おかえり~」

 暗い玄関のドアを開けると、奥から間延びしたハルの声が聞こえた。

 あれ?その声、すごく若くない?あれ?


 ハルの声がおかしい。

「来てたの」

 莉子がハルに声をかけると、

「お先」

 真っ暗な部屋で、ハルはそう答えた。

 口調はいつもと同じ、だけど、声が違う…。

「前々から思ってたんだけど、暗くても平気なのね」

「そうだなぁ、特に不便に思ったことないな」

 いつもの口調が、幼い子どもの声で放たれると、驚くほど生意気に聞こえる。電気を点けるとやはり、定位置に座ったハルが小さい。というか、若い、というか、幼い。

「…どうしたの」

 莉子がそう声をかけると、

「何?」

 とハルは答える。

「ハル…小さくなってる…けど…自覚なし?」

「?」

 不思議そうな顔をして、ハルは自分の手足を見ている。

「あ、ほんと。気づかなかった」

「気づくでしょ、座った時の感覚とか、物を見るときの目線とかで」

「…そう言われると…テーブル高いなと思ったんだよなぁ、どうりで」

「ないわぁ…気づかないとか、ないわぁ…」

 そんな愚痴とも苦情ともつかない、独り言をこぼしながら、莉子はローテーブルに持って帰ってきたものを置いた。

「あ、ひょっとして、これって僕へのお土産かなぁ」

 と嬉々とした表情で、いつもよりも短い手を紙袋へ伸ばすハルを、莉子は見て、

「…飲み物、いれてくるね」

 今朝までの大人のハルと、今焼き菓子を覗き込むハルに、違和感を持ちながらもそう言って、冷蔵庫へ向かった。グラスの一つに並々と牛乳を注ぎ、もう一つにはお茶を注ぐ。それを両手で持ってローテーブルに戻ると、ハルが焼き菓子の一つをつまみ出した所だった。

「ハルの好きそうなのあったから、買ってきたんだよ」

 菓子を喜ぶ表情は、大人も子どもも同じなんだな、と莉子はハルの表情を見て思う。

「これ?」

 ガレットを取り出してハルがそう言う。

「やっぱり、それだと思ったんだ」

「どれか一つっていうと、これだな」

「どうぞ」

 と牛乳をテーブルに置くと、ハルが「サンキュ」と置かれたグラスに手を伸ばした。

 そのハルを眺めながら莉子は、なめらかな髪に手を添わせて、その輪郭を探る。ちりちりとした感じが指先を滑ってゆく。その手を一瞥して、ハルは小さく笑う。その表情が、とても大人げで、寂しげで、今の幼いハルとは不釣り合いで何とも心細そうに見えた。

「ハルはさぁ、そうやって、牛乳飲んだり好物を食べたりするのに、私の手は素通りしちゃうんだよねぇ」

 尋ねているわけでも、責めているわけでもなく、事実としてのそれを言葉にする。そう言葉を重ねることで、莉子は自分を納得させているような気がしていた。

「…そうだなぁ」

「ねぇ、さっき、何だったの?」

「…さっきって?」

「とぼけても、ダメ」

 ハルと同じガレットの袋を開けながら、莉子は強くそう言ってハルの方を見る。見られたハルは、意外でも何でもない表情で肩を少し上げる。

「何だろうな」

「またぁ」

 最近続く、似たような問答。ハルは答えないが、何か感じているのか思っているのか考えている。悩んでいるのかもしれない。この数日注意して観察してみた莉子には、何か言いたくて説明し難い何か、そんな風にも思えてきた。

「莉子、最近、体調は?」

「…悪くないよ」

 話をそらすための質問に思える。それに答えた莉子は続ける。

「私の体調はずっとこんなもんだったから。それより、ハルのことの方が気になる。何か考え事あるでしょ、それに、その見た目、戻っちゃってることとか…」

「…僕ね」

 そう言ってハルは、ガレットの残りを口に入れ、もごもごと口を動かした。

「今日、行った所って、莉子が行きたかったの?」

「ううん。葵に誘われた。今日行ってみて分かったんだけど、どうも樋口さんの入れ知恵だったみたい」

「ああ、それで」

「ハルも知ってる所?」

「僕も莉子と一緒に鈴鳴らしたよ。あの場所、きれいだね」

 やっぱり居たの、と莉子は思う。

「お天気も良かったからかなぁ、特にそう思った」

 とハルが続けた。そして、ぽつりと言う。

「…僕は、どうしてここに居るんだろうなぁ…」

 それは、おおよそ、幼いハルが口に出すには、チグハグな言葉の羅列に思えた。







読んでいただいて、ありがとうございます。

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