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「ほら、莉子」
見て見て~と葵が騒ぎながら指差した方向に、ご神木に抱かれたお社が見える。五月の晴れた空を背景に浮かぶ赤い鳥居も美しい。抜ける風が少し涼しく、観光客で蒸れた電車から吐き出されたばかりの二人に、心地よい。
「それにしても、恨めしいほどの晴天だね。まるで初夏じゃない」
右手で作った日陰で目を細く開けて、葵が指差す社を見やって、莉子はそう言う。
「そーねー、確かに。でも、良いじゃん、雨だったら私来てないもん」
そのセリフひどくないですか、莉子は葵を見て思う。
「誘ったの葵のくせに…雨だと来なかったんだ…へぇ」
「やでしょ、雨の観光地。それなら映画とか買い物とか、ああ、郊外にオープンしたアウトレットでも。そっか、次はそこ行こうよ。雨でも晴れでも大丈夫だし。空調効いてるし。これからの季節には、もってこいだね」
駅にあるラックから取った観光マップを眺めながら、葵はそんなことを言っている。気のないセリフだなと思いつつ、莉子は再び強い日差しに目を細めた。
「それにしても、暑いよ、今日の日差し」
「へろへろの莉子には、きついかもね。ちょっとは日焼けして健康的に見えていいじゃない。何事も、前向きに」
「あのねー、自分がそうだからって他人もそうだとは限らないんだからね。前向きになれない人間を、無理に前に向けると、余計に拗れるはずだから、絶対」
「『はず』なのに、『絶対』なの。矛盾してるわ。…じゃなくって。せっかく、観光地に来て晴れてるんだから、そういうグダグダした話題は、なし。ほら、あのお社だよぉ。霊験あらたかなぁ。樋口さんもお薦め」
「そっちが本体かよ…」
なるほど、と莉子は納得した。混雑したシーズンの神社仏閣巡りなんて、葵の興味からはずれている。莉子の部屋に除霊の置物を置いて行った、あの樋口の助言で来たというならば、全てが腑に落ちる。
「何か言ったぁ?」
「…ふぅ、どっちにしろ、私に選択肢ないんでしょうけど」
断れば良いだけの話だけれど、莉子にとってはそう容易いものでもない。葵は、無理強いもしなければ、無駄なことも背負い込むタイプじゃない。『ただ行きたいから付き合って』と葵に誘われれば、断る理由も見当たらない。
「あ、分かった、莉子のハメられた思想でしょ。うざいよぉ。悪いことが起きるわけじゃないんだから、乗っとけ。人の善意には、甘んじて乗っかってれば良いんだよ」
何かというと出る葵の『甘受しろ』内容の助言に、莉子は一つ息を吐き出した。
「善意だか、どうだか」
「これは、善意でしょ。休みの日に同僚の友人と観光地で遊ぶことに、悪意なんてないでしょ」
「しらねぇっす」
「ああ、ブラック出てきたね。そうだ。お社の途中に門前町あるみたいだから、どっかでお茶しようよ。ほら、葛餅が名物って書いてあるよ」
マップに掲載された写真を指差して、葵が莉子を見てにやりと笑う。
「良いね、乗った。葛餅休憩」
自分はチョロイ。
莉子はそう思いながら、葵の手にあるマップを確認して、その店を目指した。
門前町の茶屋で一息ついた後に、のらりくらりと土産物や実演販売などを眺めたり試食したりして進んで、ようやく境内に差し掛かった時には、電車から降りてすでに2時間ほど経っていた。
日はすっかり頭上に昇っている。
『昨日はありがとう。もう着いてる頃かな』
そんな友晴からのメッセージを受信した画面で時計を見ると、十二時を過ぎている。
『こちらこそ、ご馳走様でした。今、お社の近くまで来ましたよ』
社を見上げた写真を添付して送ると、友晴の返信がすぐに返ってきた。
『晴れて良かったね。観光日和だ』
『暑いですよ、とっても』
『休みながら楽しむと良いよ。確か、葛餅が有名だったかな』
『さっき食べました。美味しいですよ』
『葛餅をお土産には強請れないかな。すぐ悪くなってしまうだろうから』
『駅まで取りに来てくださるのなら、デリバリーしましょうか』
冗談でそう返すと、それに乗るような友晴からの返事がやってきて、莉子は驚いた後に少し頬をゆるめていた。
『ほんとに?』
そう確認をしてみると、
『駅に着く前に連絡もらえるかな。取りに行くよ』
と返事が入る。
『了解です』
『じゃぁ、楽しんで』
『また』
最後に、女の子のキャラが手を振るスタンプを送ると、友晴からの返信が切れる。それを確認した莉子がスマホをバッグへ片づけたのを見計らって、葵は切り出した。
「ね、そろそろ、紹介してくれても良いんじゃない?」
「そう言うんじゃないんだよね」
「またまた」
葵がそう言うのも、仕方ないと莉子は思う。どう見ても、自分は浮かれているだろうから。友晴からのメッセージの着信だけで、ほっこりと心が包まれる。返事を打ち返す表情は、きっとゆるんでいるのだろう。葵はそれを察している。
「じゃ、どんな人?これは答えられるでしょ」
簡単に答えると、同居している幽霊の父親。で、分かりやすいスペックとしては、バツイチの36歳少し背の高い営業職といったところか。
「…共通の知人がいて、一緒に過ごしやすい人、かな。年上だから、だと思うけど、なんとなく、肩の力を抜いて接することができるっていうか、こちらの状態を受け入れてくれるというか」
「ほう」
「良い人だと思う」
「へぇ」
「でも、そういうんじゃないから」
「何、中学生みたいなこと言ってんの。中学生でも言わないかも。歯切れ悪いわね」
「う~ん。でも、そろそろ会えなくなるかも。会わなく、というか。友だちや知人でも、頻繁に会ってたのに急に会わなくなってフェードアウトってことあるでしょ。そろそろそうなるんじゃないかな、と思う。元々、お互いのカウンセラーって感じというか。似た状態にいたというか。そこを抜けると、お互いの必要性がなくなるというか。むしろ、直ったところを思い出してしまう存在になってしまうんじゃないかって」
「わぁ、重症だね。何、乙女になってんの」
「もともと、こういう性格です、私」
「…そうかもねぇ。見た目からは分かりにくいけど、莉子ってそうかもねぇ…」
「しみじみ言われると、なんか、やなもんだね」
「莉子ってば、もう少し、ズーズーしさがあって良いと思うんだよねぇ」
「同感」
「あ、分かってんの、自分でも」
「なんとなく分かってるのと、直せるのとは別問題だから」
「そうね、でも、案外そういうの大丈夫かも」
「そう?」
「そう。今度、紹介してね」
今までの話の流れで出る葵のその言葉に、莉子は眉根を寄せながら答える。
「…機会があればね」
その機会はやってこないだろうけど、そう心の中で莉子は続けていた。
社への初めの鳥居を抜けると、ざざっと風が吹き抜けた。
風の中のハルを無意識に探して、抜ける風の彼方へと目線を向ける。
その先には、畏怖堂々とした社への石畳が続く。
「良いもんだね、こういう場所」
自分が小さな存在に思える。社の大きさも、その背景にある青々とした山々の在り様も、社に立つご神木の数々にも、普段は目にしない枯山水や手水舎などを見ても迫ってくる何か。
「何か、濁りがましになるね」
「濁ってんの?」
笑って莉子がそう言うと、
「多少は」
と葵も笑って答える。
時々吹き抜けてゆく風に慣れる頃、本坪鈴の前にある数段の階段の前まで着いた。
三つある鈴を鳴らす列の真ん中に並び、順番を待つ。
社の張り出した屋根が落す影のおかげで、ぎゅうぎゅうに並ぶ列の中でも過ごしやすい。列はじりじりと進む。葵と取り留めもないことを話していると、その順番はすぐにやってきた。
綱を左右に揺らすと、ガランガランと大きな鈴が鳴る。
先に終えた葵が、莉子が鈴を鳴らし終わるのを離れた所で待っている。
その視線を少し感じながら、莉子は手を合わせ目を閉じる。
その時、びゅーっと強い風が鈴を鳴らしながら、通り抜けて行った。
風で顔にかかって邪魔になった髪を耳にかけて、再び莉子は手を合わせる。
―どうか。私のこれからが、過去にとらわれたものになりませんように。誰かの犠牲や同情を基盤にしませんように。巻き込みませんように。
―そして…
―ハルが魂として幸せな道をゆけますように。
この先、私が一人で歩めますように。




