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長々と休んでいました…夏風邪、こじらせると怖いですね。
さっそく修正してしまいました。
「死んで二年目だ、今日で」
がばりと起き上がって、ハルは唐突にそう叫んだ。
叫んだというか、それに気づいて驚いたような声色、という感じだと莉子は思った。
友晴が三回忌の供養があると言っていたのが先週、それを莉子は思い出しながらハルに答えた。
「おめでとうって言うべき?」
実体はなくても、ごろりと大きな人間が二人も転がっていると、なんとなく狭く感じる室内。莉子はこの部屋にすっかり馴染んでしまったハルへと目を移しながら、皮肉な一言を投げた。
「んん?なんだよ、莉子」
「なんだよって何だよ」
莉子がスマホの画面から目を離さないまま、気のない返しをすると、ハルがふんっと鼻息で返す。
ハルはすっかり成長してしまった。
もう高校卒業する頃じゃないかな、そんな感じだ。ふてぶてしさと若さと幼さが混在している。まさに、青春と言って良いんじゃないかと莉子は思う。その矛先が自分だとするとやっかいなのだけれど。反抗期はなかったなぁ、そんなことを思いながら莉子は、スマホからハルへと目線を動かす。
「ごめん、ご愁傷様ってのが、大人の対応なのかも。私、幽霊と同居って初めてだから、よく分からない」
「それ、な。幽霊ね」
「ハルはさ、そろそろ大学生かな?」
「僕も、よく分かんないんだ」
「何か望むことがあって、ここにいるの?それが成長?」
「そうだよなぁ…そうなんだろうなぁって、思えるんだけど…」
「そう言えば、樋口さんが置いてった除霊目的の緑の置物、ハルには効果ないよね?」
「何?僕のこと、除霊しようと思ってんの、莉子は」
「いやいや、勝手に樋口さんが置いてったからさ」
そう言って睨み付ける莉子に、ハルは笑って答える。
「ごめん、冗談。たぶん、あの置物は、それなりに効果を上げてると思うよ」
「え、ハルってば、あれに干渉されてるの?」
「いや、僕じゃない。僕が来た時から居た、生霊と憑依霊がいなくなったから」
莉子は跳ねる心臓をできるだけ無視して、ハルの言葉を数回、頭の中でリピートしてみた。
何度振り返っても「生霊と憑依霊」が他の言葉に置き換わらない。おかしい、「僕が来た時から居た」ってことは、ハルが来る前から居たということが暗に示されている。
「さらりと、怖いこと言うわね」
ハルが驚いたように莉子を見る。
「え、莉子、知らなかったの?」
そこ、驚くところなの?
莉子はハルが何に反応しているのか、怪訝な表情を浮かべる。
「逆に、なんで知ってると思ったの?」
「だって、僕のこと見えるから、当然、あれらも見えてるんだと思ってたんだ…ああ、でも、莉子って初めから僕のこと見えてた感じではなかった…そう言うことか…」
一人、合点がいったと納得の表情で首を縦に振るハルに莉子が切り出す。
「生霊と憑依霊って、何の話?説明してよ。ちょー怖いんだけどっ」
両手で自分を抱きしめながら、ハルが先ほど言ったことを思い出して身震いした。莉子は、ハルを前に言うのもおかしな話だがオカルトも苦手だ。
「説明と言われても…」
ハルはしばらく考えを巡らしている様子だ。
目を閉じた少年の顔に、窓から差し込む夕日が一筋、当たる。
早めにカーテンを閉めるとハルが部屋に現れるのを知ってから、莉子は今日のような休日にもカーテンを早めに閉めることにしている。閉めたまま過ごすのは葵からの苦言を受けて止めていた。『これ以上病まないでよね』とは、今も多少病んでるってことですね?と莉子は素直に受け止めて。ここ最近は夕方閉めるようになった。春になって日が伸びて、すこしずつ閉める時間が遅くはなってきたけれど、空の端が茜色に染まる頃、それを目処にしている。
カーテンを閉めると、足音のないハルの気配が部屋に漂う。それは、けっして悪いものではなかった。
この頃、友晴に似てきたハルの横顔を、莉子は見つめる。
当たった夕日の筋が少しずつ動くそのゆるやかな変化と、そこにあるハルの表情と、友晴の面影と。
誰かの顔を、意図なく見つめるようなこと、なかったなと、莉子は思った。
少し目線を下げて来客の対応をしたり、ペーパーワークならその指示のための書類と誰かの顔の間をさまよわせたり。ランチ一緒に食べる時に葵の顔はよく見るな、樋口さんの目ってどんな感じだったかしら、あ、友晴さんなら思い浮かぶ…。
しばらく考え込んでいたハルは、「そうだ」と目を開くと、莉子を見た。
「あのさ、ちょっと前に見たことあるよ、あの人たち。莉子が朝方、夢でうなされてて、それに出てきてた人たち。…あの夢は、たぶん、過去のこと、だな。ずいぶん、顔立ちが変わってたけど、年齢とか特徴とかが同じかな…これ」
そう言ってハルが手の中に浮かべた自分の記憶を莉子に放つ。
するっと入ってきたその映像に、心を握りしめられたように莉子は感じて、ひどく痛みをともなった。
「…あれ、ね…」
痛みを隠し切れない声色で莉子は答える。そこに見えたのは、ここへ引っ越す原因となった男とその母親の姿だった。
忘れたくても忘れられなくて、まだ1年、もう1年、その出来事が、ハルからの記憶をきっかけに、莉子の心に再び上書きされる。何度こんなことが続くのだろう、そんなことを莉子は思う。どうやったら、自分から、この出来事と記憶を切り離せるんだろう。
「うん、ごめん」
胸に手を置いて苦い表情を浮かべる莉子に、ハルはそう言う。
「ほんと、なんか、ごめん」
答えない莉子に、ハルはもう一度謝罪を並べることしかできないでいた。
「いいよ。しょうがないことって、あるものね…」
ため息と共に吐き出した莉子の失速した物言いに、ハルは同じため息を漏らした。
「…悪いこと、したね」
デジャブのように感じて、莉子は驚いた顔をハルに向ける。
友晴の口癖だ。
急な残業で待ち合わせに遅れたり、無理に誘ったと勘違いをしたり、偶然同じ待ち合わせ場所にいた顔見知りと話しているのに気付かずに後ろから声をかけたり、手と手がふいに触れて莉子が大げさに驚いてしまったり、そんな些細なことで出る友晴のセリフがまさにそれだ。
「親子だね」
「何?」
「口癖」
「?」
首を少しかしげて、ハルは不思議な表情を浮かべる。
「友晴さん、そうやって言うの。ちょっとしたことも、謝ってくれて。その謝罪の言葉『悪いことしたね』って、よく言うの」
そうハルに告げる自分に、自嘲めいた表情が出ていると、莉子は思う。
友晴のことを話すとき、少しの後悔や疾しさを感じている。
その自分と向き合う刹那、見なかったことにしようとして、そういう表情が出てしまうことに、気づく。
ハルの前でそんなことに気付くなんて…。
もう一度、自分を笑いたくなる。
「無意識だよ。そっか、口癖…同じって、なんかうれしいよ」
話すことができない、存在を理解しない、ハルは父親との距離を理解している。時々見に行っているが、ビールを出したりおもちゃを出したりは、もう、していない。ハルなりに思うところがあるのだろうと思う。どうしても『気づいてほしい』が目的で現世にこだわっている訳ではないことが、その行動から莉子にも知れる。ハルから、執着めいたものを感じることはできない、という方が表現として合っている気もする。
だから、ハルがここに居座ることに、道理を感じない。
ハルが居ることを免罪符に、友晴に会っているのだろうか。
それとも、友晴に会っていることを免罪符に、ハルにここへの執着を持たせてしまっているのだろうか。
ハルが消えてしまう未来に、自分と友晴の縁は、どんな結末を迎えるのだろう。
心積もりがほしい、できれば。
そんな、他人任せの思考が巡る。
『私はこうありたい』と存在を主張する葵のような意志と力が、ほんの少しで良いから、自分にもあったら良いのに。そう考えることこそどうでも良い発想だと、葵は笑い飛ばしていたけれど。
「で、二年目の記念日なんだっけ」
「そう。記念でも何でもないな、死んだ日って、皮肉」
鼻で笑ってハルはニヤリと笑う。それを見て莉子は、どことなく居たたまれないような気持ちが上がる。
「明日、お墓参りに行く予定にしてたよ、私は。誰もあなたが亡くなったことを、忘れてない、し、忘れられない、今も。希望も未来も、あったんだよ」
そうこぼすように言う莉子に、ハルは目を見張る。
「莉子…ちょっとずりぃな、その物言い」
複雑な表情を浮かべて、ハルは少し笑う。
「ずるいも何も、あなたの過去には愛されていた情景が重なるから。両親の愛を受けて、生まれてすくすくと育っていた、それって事実」
二人の大人の間にぶら下がるハルの表情と、それを見つめる両脇にいる大人の表情。
いつか見たハルからの記憶が、瞼を閉じた莉子の脳裏に、ありありと思い浮かぶ。
莉子にとって、どんなに姿形を変えようと、ハルはあの小さなハルとして、存在している。
「由喜さん、友晴さん、そして、晴喜。うらやましく感じるの。亡くなった人にとって…ずるいなんて言葉、おかしいけど。手の届かない所に、理想の形があって、それが現実として存在していて…残っていて…何言ってんだろう…私…」
じわじわとお腹の底から上がってくる感情が、涙腺をゆるませそうになる。莉子は、知りたくもない思いと対峙する。「ずるい…」小さく口をついて出た言葉に、また、ため息が出る。
ハルはそう言う莉子の手に手をそっと重ねて言う。
「散歩、行く?」
なぐさめるように。
その流れに莉子は笑う。
「なぐさめが必要なのは、ハルの方なのにね…」
ごめん、と小さく言う莉子に、ハルは「ほら」と手を差し出した。
ありがとうございました。




