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夜空のハル  作者: 里村
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友晴のこと


 朝になると目は覚める、そのことがとても辛い。


 ずっと沈んでいられれば良いのに。

 戻りたい、戻りたい、戻りたい、どうしたら、戻れる、

 あの時間に。

 あの電話を受けて、仕事に戻ってしまった自分を。

 どうしたら、どうやったら、何をどう考えれば、

 許すことができるのだろう。

 許す、許さないじゃないんだ…

 違う、戻りたい。

 神様、戻らせてくれ。

 どうか、どうか…。





 現実を受け入れることができずに過ごした。

 悲しみは、後々やってきた。

 葬式や警察とのやりとり、妻の両親との処理すべき法的な手続きなどの相談、雑事を仕事としてこなす間は、まだ、良かった。涙が枯渇すると、心がカサカサと音を立てた。痛い。痛かった。何を見ても、何を聞いても、あの二人のことへと繋がって、やり場のない問答が続く。答えが出ないことに苛立ち、神経が高ぶり眠れなくなり、アルコールの量がどんどんと増えた。飲んでも、なぜか思考は冴えたような状態になり、酔いつぶれて寝落ちすることを待つようになった。眠るまでに考えることは毎日同じようなこと。何回巡っても、救いも答えも慰めもない。底知れない不安と後悔に、どっぷりと気力が持って行かれてしまうのに、それほど時間はかからなかった。

 そんな人間の籍を残してくれた会社に、今は本当に感謝している。あの時、仕事まで失っていたら、自分がどうなっていたか、身震いする。ひどい状態の営業マンは、不必要だっただろう。『休め』そう命令にも近い口調で言ってくれた同僚や上司。

 それでも休まず意地になって仕事を続けた必要悪な人間を、支えてくれた面々がいたから、今の自分が存在するのだから。


 ただ、そんなことに気づくことができたのも、ここ最近のことだが…。


 スマホが揺れる。

 届いたメッセージに目をとめて、二言三言、返信の文字を打つ。

 それをスウェットのポケットに差し込んで、段ボールにガムテープを張り「廃棄」の文字をマジックで書く。

 この日、友晴(ともはる)は引越し作業を一人でしていた。

 亡くなった妻の両親に協力してもらい、家財一切の引き取るか捨てるかの判断をしてもらったのが一週間ほど前だ。

 この家から出る。この結論に納得するまで、二年もかかった。まだ二年。早いのか遅いのか、友晴には実感がない。

 二人の命を奪った犯人は捕まった。

 そこでようやく、心にあった重い物を「重い」と認識した。

 もう、置いて行ってしまおうと、やっと思えた。

 これからも、ずっと二人を忘れることはない、できない。

 突然愛すべき片割れを家族を失う、そんなことが自分の身に起きることを微塵も疑わず漫然と過ごしていた、あの日々には到底戻れない。両親を学生時代に無くして、その上、新しく手に入れた家庭も失ってしまった。もう、見過ごせない。一度は立ち直ったけれど、また失った。どうして自分にだけ何度も…そんな恨み節を奏でたくなる。

 この家に居続けることが、もう、苦しいことになってしまった。


「売りに出そうかと…」

 言いにくそうに、何度も何度も口を開いては茶で濁す友晴に、「何か相談があるんじゃないんですか」と義母が声をかけてやっと口をついて出た言葉。

「あの、あの家を売却しようと思っています」

 権利としては友晴のもの。ただ、思い出は、義父母にもある。両親がすでに亡くなっている友晴にとって、相談する先はここ義父母のみだ。勝手に売却するのはためらわれ、かといって相談するにも言い出しにくく、ずっと考えているだけに留まっていた話だ。

「そうですね」

 義母がそう言うと、

「そうか」

 と義父も続く。

「お二人にとっても思い出深いと思います。ですが、あの家で生活を続けることが、僕には、辛い。毎日帰る度に、二人の不在を思い知らされます。随分前から、考えてはいました。…これを機会に動かないと、僕はあの家に囚われてしまう」

「…いや、良いんだ、友晴君。私の方からも提案しようと思っていたんだが…そうか、決心したか…」

 義父はそう言うと、茶をすすった。

「はい」

「あなたはまだ若いのよ。進みなさい」

 義母はそんなことを言って、他の言葉を飲み込むように、涙を手ではらった。

 もう数か月で二年が経つ。

 三回忌の打ち合わせがあって来た亡くなった妻の実家で、迷いに迷ってうまく考えをまとめられずにいた言葉が、義母に促されて、流れるように口をついて出て行く。

 まるで思考をトレースした誰かが口を動かしているようだな、そんな風に友晴は感じていた。

「両親が死んで、拠り所のない僕を支えてくれたのは、間違いなく由喜(ゆき)です。出会って15年。当たり前だと思っていました。ずっと、側に居て年を取ってゆくのだと、そう思っていました。…結婚してからは特に、そのことに疑問を持つことはなかった。由喜と晴喜(はるき)と、生まれてくるはずだった子どもと。僕は、幸せな時間を過ごしてゆくことを、何の疑問も持たず、享受していました。…本当に…ただ…ただただ、幸せだった。…今は、そのことが辛く苦しい…」

 そう言って頭を下げる友晴を見て、義父母は涙を浮かべる。

 本当は、義父母に謝罪がしたい。

 あの時、仕事へ戻った自分の行動に、許しを請いたい。

 そんな思いが、ずっとずっと友晴の中に、ある。

 だけど、ここでそれを言って許されるのは、甘えに過ぎないと思ってもいた。自分で越えなければ、何度もあの痛みはやってきて、この先新しく出会うどんな立場の人とどんな関係を持っても、その不安感から離れることができないだろうと。

 許されたい、できるなら。だけど、この義父母から娘を奪った片棒を自分が担いでいる気が、未だにぬぐえない。

「引越しの日は決めたのかね」

 頭を下げたまま動かない友晴に、義父が声をかけた。

「ええ、その日程も、相談して進めようと思っています」

「私たちは、いつでも良いですよ。なんなら由利(ゆり)にも手伝わせても良いですし」

 義父母の家の近くには、由喜の妹夫妻も住んでいる。確か、出産したばかりだと聞いていた。

「いえ、まだ三人目が生まれたばかりでは、ご迷惑でしょう。挨拶には改めて伺いますから、引越しは自分で進めます。ただ、家財道具も売却してしまおうかと思っているので、もし、お子さんたちで使っていただけるものがあれば引き取っていただいたり、ご実家で残しておくものがあれば、と。その選別をお義父さんお義母さんにお願いできないかと思っています」

「そうね、由利にも連絡はしてみましょう」

 共通の痛みを知っている、ただそれだけで、義父母との空間は、友晴には居心地は良い。だが、居心地の良さの後に、懺悔(ざんげ)のようなもので心が押しつぶされそうにもなる。

「お二人のご都合が良ければ、三回忌が終わってからと考えています」

「そうか」

 義父は、静かにそう言う。同意と取って良いと友晴には感じる。

「連休の前にしましょうか。そうすれば、作業が残っても連休中でなんとかできるでしょ?」

「ええ、そうですね。そうしていただけると、助かります」

「引越し先は決めたのかね」

「いえ、まだ。ただ、場所は、職場の近くにしようと思っています。今は単身者向けの物件を、検索しているところです」

「そうか」

「そうね、友晴さんは、休日が決まっていると言っても、先方の都合でどうなるか分からないものね。時間も。…会社の近くが良いのかもしれないわね。でも、ここと比べると家賃が高くなってしまうのかしら」

「築年数や間取りやなんかにこだわらなければ、手ごろな物件はありますね。駅から少々離れていても、運動と思えばなんとか」

「そうか。良い物件が見つかることを願うよ」

 茶をすすり、饅頭に手を伸ばす。

 幾度となく、由喜と晴喜を連れて来たこの家からも、自分は決別する。

 あの家から引っ越すと言うことはそういうことだと、友晴は理解している。それは、義父母とて同じだろうと、思う。

「寂しくなるわね…」

 思わず漏れてしまったようなつぶやきに、友晴はうなずいて返す。

「お前は…」

 諌める義父の口調は、体裁といったところで、本心では義母のそれに同意なのだろう。

「友晴君には、友晴君の人生がまだ残っている。…だが、たまには、こちらにも足を延ばしてくれ」

 そう続けた義父に、

「ええ、墓参りの折には、ぜひ。また、お邪魔させてください」

 友晴はそう、答えた。


 この道を、三人で歩く、その思い出と幻影が、見えた気がする。


 振り返ると、義父母が手を振っているのも、あの数々の記憶の中と同じだ。


 それを見ているのが自分しかいない、そこが違う。

 その部分が、大きく異なっている。


 手を伸ばせばあった、あの小さな手も、優しい眼差しも、ここではない所へ消えてしまった。


 脳裏に浮かぶそれを振り払って、友晴は歩き続けた。




 三回忌が終わり、引越しの下準備にとりかかり、義父母や義妹の由利に家財道具の取捨選択を任せて、日々の業務をこなしていると、ゴールデンウィークはすぐにやってきた。

 あれほど、離れがたく思っていたこの家の中の様子が、この一か月ほどで一変している。

 キリが良い、それだけの理由で4月からは会社近くのマンションへ単身入居して、この家には土日の引越し準備に戻るだけになっていた。

 離れてしまえば、案外、なんとかなるものなのだな。拍子抜けするほど、あっさりと、友晴の脳も心も、それをすんなりと受け入れて生活している。

 夕方から夜になる時間、無性に家に戻りたい、そんな焦燥感に駆られていた時期もあったというのに。

 何もない部屋に戻る今の状態が、驚くほど、すとんと腑に落ちる。

 思い出の詰まった家に戻るという行動がストレスだったのかと思うほど、執着が霧散してしまっていた。

 そして、今は、黙々とこなす作業に、没頭する。

 詰めて閉めて『破棄』、その繰り返し。

 考えることをやめて、イヤホンから流れる音楽を聴きながら、作業を淡々とこなす。詰めて閉める、詰めて閉める。何度も何度も繰り返し、空が茜色に染まる頃には、予定していた作業は、ほぼ終わっていた。

 腰をのばして、積み上げられた段ボールが並ぶリビングを見回す。

「さぁ、帰るか…」

 イヤホンを外すと、耳に違和感が残った。随分と集中して作業していたことが、それからうかがえた。友晴はそんな感想を抱く自分に、少し安堵して息を吐いた。

 今夜は莉子と会う予定もある。一度マンションへ戻ってシャワーを浴びて出かけたい。

 共通の見たい映画がゴールデンウィーク前に公開されたのを知って、一緒に行ってみようかとなった。ゴールデンウィークだと混むだろうからレイトショーで行こうかと、そんな話になって。

「映画館で映画って、何年ぶりだ…」

 遠足前のように、はやる気持ちを持つのも、いつぶりだろうと友晴は思った。

 窓や勝手口の戸締りを確認してまわって、玄関にカギをかけた。

 ふと、小さな庭の伸び放題の草が目についた。庭を見たのもいつぶりだろうか。「草もかっておいた方が良いのか…」と一人つぶやいて、友晴は駅へ向かう。

 この道をゆくのも、あと数えるほどになるだろう。

 その発想に、悲しみよりも、どこか、前向きな気持ちが上がってくるのを、友晴は感じていた。







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