17
あと一歩で届く。
また見てしまった夢を、リアルな3D投影で目覚めた後でもう一度体験する。
あと一歩足りない、どうやっても、届かない。
「おはよう、リコ」
莉子の隣からむっくりと起き上がって、ハルは莉子と部屋の映像を見た。
「…なんか、リコってさ、見る夢が暗いよなぁ」
また背が伸びて、中学生くらいに見えるハルが生意気なことを言う。
「お前に言われたくないわ」
「僕は、莉子にこんな夢、見せたことない。自分でもこんな夢見たこともない」
「いやいや、そもそも、生きてないわけじゃない。未練があって残ってるってこと。暗いっていうのは、そういう状態でしょ。私は、一方的に見せられてるだけだから。私に被はないでしょ」
「また、そんな屁理屈を言って…リコかわいげがなぁ~い」
背も伸びたが、精神的な部分と言うか、莉子への対応が格段に大人びてしまったハル。自分の状況も、以前よりは理解している素振りがあって、そんな軽口で話すこともできるようになった。
ひょっとすると、思春期特有の意地を張っている状態なのかもしれないけれど。
母親じゃないし、深く考えないことにする。
「かわいげなんて、持ち合わせてないから、それで合ってるよハル」
「うわぁっ、ほんと、かわいげない」
「お前ねぇ、居候の分際で…」
「だって、僕、ここじゃなくても良いし、いつでも出て行けるし」
「わ、お前だってかわいげないじゃない」
「いやいやいやいや、リコ、女としてはどうなのかって話」
「はいはい」
「ほんと、どーして、こんなママと全然違うタイプに構ってるかなぁ、パパは」
莉子が友晴と会っていることを、ハルは知っていた。
いつからというより、『パパ、ちょっとは元気出た?』という質問を突然受けて、ハルが知っていると莉子は知って。気まずさから絶句した莉子に『あ?言わない方が良かった?』と逆に聞かれてしまった。
やましいことはない。
大人気ないそんなセリフが口から出そうになって、中学生くらいに見えるハルに言い訳するにしては、どうでも良い内容だなと自嘲して『初めて見た時よりは、元気かな』と答えたのはつい最近のことだ。
魂だけの存在で、呼べば出てくるんだから、姿を見せずに付き添っていては莉子には分からない。
深く考えることをやめて、ハルとはそういう存在なのだからと、思うことにした。
「さあねぇ、どうしてだろうね」
ハルの質問に、莉子は曖昧に答えて、出社準備に取り掛かる。
風が強い日だ。
寒さが最終、本当に苦手な季節。部屋から出るだけで、骨も筋肉もきゅっと強ばる。
コートのボタンをきっちりと閉じて、マフラーを何重にも首に巻きつけて、厚手のニット帽をかぶり耳を覆い、スマホ操作のできる薄い手袋の上に皮の手袋を重ねて装着する。
どこからも風が入り込まないことを祈りつつ、玄関の扉を開ける。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
ソファーから顔だけ廊下へ向けて、ハルから声がかかる。
玄関まで見送ってくれてた頃が懐かしいわ…。
つい数か月前のハルを思い出して苦笑いしながら、莉子は玄関を勢いよく開ける。
「さむっ」
「今日、今年一番の冷え込みって、お天気おねぇさんが言ってたよ~」
そんな声が、閉まる扉の隙間からもれてきた。
そう言えば、私の体調、いつの間にかマシになってない?
倒れて以来、病弱認定されていたはずが、寒くなってからは大丈夫な気がする。
それを葵に確認すると、短い鼻息が漏れた後で、
「ちゃんちゃらおかしいわ」
と、不必要に冷たい言葉が返ってきて、莉子は鼻で笑う。
「変わりなく、じゃくじゃくなわけ?」
面白そうに聞く莉子に、葵は眉を寄せる。
「ほんと、なんでそんなで元気風なのか、私には疑問」
「まじで」
「まじっす」
「どの辺が?」
「いや、もう、全部。体重計乗ってみたら」
そう言えば数か月乗ってないなぁと莉子は思っていた。
「そうね」
「ランチもしっかり食べてるし、振る舞いは健康な人って感じなんだけど、なぁ~んかねぇ、心配」
「あ」
ふいに、莉子は思い出す。
カレンダーに目を馳せた莉子の目線を追って、葵も頷いた。
「…あれから一年ねぇ」
「樋口さんは?」
まだ話したくない、それ以上、話したくない、そう思って莉子は聞かれてもいないことを葵に尋ねる。
「…まだ。近くまでは帰って来てるんだけど。もうちょっと付き合って」
樋口の帰社が予定したより遅くなってしまったらしい。
二人の待ち合わせ場所で、莉子は夕食を食べている。莉子は樋口が来たら帰るつもりでいる。注文したサンドイッチを一切れ小皿に乗せて葵に渡した。莉子は残りを手早く平らげようと思った。
「あの日も、二人でさぁ…」
そんなことを言う葵に「早く食べな」と莉子は促す。
莉子を一瞥して、葵はそれでも話を続けるつもりだ。
「来週末、予定ある?ないなら家に泊まりに来なよ」
来週末とは、ちょうどあの日から一年の日のこと。
莉子はため息を吐きだした。
「…ありがとう、葵。また、考えておく」
そう言った莉子が、この話を自分からすることはないことを葵も分かっている。
「分かったわ」
そう一言告げて、葵はサンドイッチに手を伸ばした。




