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夜空のハル  作者: 里村
17/42

16

車の事故の記載があります。

 バリバリっと地割れのような音がして飛び起きた。


 目前に迫る巨大な岩というか壁。

 ごうごうと響く風。

 何かになぎ倒されたように散在する木々や何か。


 大きな音に驚いて目を覚まして、とっさに身をすくめるような景色が広がる。

 慣れてはきたけれど、思わず避けようと、体が逃げを打つ。

 目を閉じてやり過ごそうとして、風の音だけが横を通り過ぎてゆく。


 このところ毎朝、非現実的な光景の中、目を覚ます。

 

 しばらく待つと、それは薄くかすれていって、ベッドの上にいるのが分かる。


 幻視、幻聴、大掛かりな3D投影?

 何度となく考えることを、今朝も莉子は考えてしまう。



「おはよう!」

「おはよう、ハル」

「リコって変な夢見るんだねぇ」

「あれって、私が見る夢なの?ハルのかと思ってた」

「えー、僕、あんな夢、見た覚えないけどなぁ…」

「じゃあ誰の?」

 また少し大きくなったハルが、莉子を見て首をかしげた。

「さぁ?」


 ハルと会ってすでに数か月。もう季節は冬になる。


 気づいたのは最近だから、正確なところは分からないけれど、ハルは1月で1歳ほど年を重ねているような気がする。

 つまり、今のハルは、たぶん9~10歳といったところ。

 初めて会った時と比べて、20センチほど身長は伸びた。

 髪型はずっと長くも短くもない状態でサラサラ、顔色も手足も透けそうなほど色白なところは変わらない。ほっそりとした顔立ちが少年に近づいているような気もする。残念な悪がき風情に成長する兆しはない。ちょうど良い優男というか、育つならこんな感じが最良というところに、成長しているような気がする。


「あのさぁ、誰かの夢だとして、何でこの部屋にそれが投影されてるの?」

「そんなの僕が知ってる訳ないでしょ」

 口調が莉子に似てきた気もする。

 人は環境が育てると、誰かが言っていたのを莉子は思い出す。

 自分と同じ口調の子どもって生意気だよね、と、そこの部分は本当に残念に思う。

「じゃあ、ハルの夢を見ることもできるの?」

「できるよ」

 こともなげに言うハルに、莉子は不審な目を向ける。

「見えるはずの隣で寝てる人の夢は見られないのに、どうして毎朝のように荒れた草原の夢を私は投影されて目覚めるんだろうねぇ」

「なんでかなぁ、知ってる人の夢なんじゃない?僕より近い人の」

「物理的にハルより近い人なんていないじゃない…」

 じゃあ心理的に近い存在はと考えると、家族や少ない友人の顔が思い浮かんだ。

 そして、あれ以来週に1~2回のペースで会っている友晴の顔も。

 そろそろ連絡が入る頃だろう。先週は週中に食事を一緒に取った。あのリゾットの店で。今週は出張が多いと言っていたから、次は週末辺りに墓参りも兼ねて会うことになるかな。あの辺りでランチだとあの古民家の店も行ってみたいな…。

 友晴とのことに流れた思考を振り払うように、莉子は話を続けた。

「試しに、今、ハルの夢を私に見せてって言うと、できるの?」

「見る?」

 そう言うとハルは、両掌で何かを包むような素振りをして、目を閉じた。

 手の中に、むくむくと白い雲のようなものが見えたような気がして、次にそれを莉子の方へバレーボールのトスの要領で軽く投げ放つ。

「うわぁ」

 条件反射で避けようとした莉子に、その雲はゆるゆると近づいてすっと消えた。

 消えたというか入ったというか。

 不思議に感じながらも、莉子の意識は、強制的に脳裏に流れる映像のせいでそちらに集中していった。

 

 芝生の上を進む視界だ。

 晴れた日、目線の高さは70センチほど。

 がくがくよたよたと映像が動く。

 ふいに蝶々や雲や自分の手などに視線が泳ぐ。

 歩き始めの子どもの目線かな。

 小さな手を(のぞ)き込む時に、小さな足も見える。庭の芝生の上を歩いているようだ。その進む先には、両手を伸ばして待ち受ける女の姿が見えたような気がした。


 つっと映像が切れて瞬きすると、自分のベッドの上で前に座るハルを眺めていた。

「今のは?」

「僕の夢」

「夢?」

「うーんっとね。夢っていうようり、思い出かな」

「あんな小さな頃のこと覚えてるの?」

「それは、よく分かんないんだけど…最近、時々、それが思い浮かぶの」

「へぇ…」

 莉子は、見せられた映像でハルの心もトレースしているような気がする。

 『おいで』と呼ぶ女の声に『きゃっきゃ』とはしゃぐほんの小さな頃のハルの声、降り注ぐ太陽の温かさ、芝の匂い、心地よい風、五感をくすぐられて温かさを感じた。


 それは、ハルの気持ちと繋がっている感情だと、莉子は思う。


「会いたい?」

 それが誰だと言わなくてもハルは分かっている。

「…分かんない、分かんないけど…でも、何処にいるか分かれば良いなって、すごく思う」

「分かったら?」

「分かったら会いに行きたい。それに、何処にいるか僕に分かるってことは、ママにも分かるってことだから、きっと、ママが迎えに来てくれると思うんだ」

 懸命に考えを言葉に出しているような、小さくてもはっきりとした言葉の出し方に、ハルの意志を感じる。

「お迎えに来てほしいってこと?」

「…うーん、分かんないけど、来てくれると嬉しい。でも、今はママの居場所が分からないから…」

 そう言って、少し自信がなさそうに顔を下げてしまった。

「良いのよ、ママが来てくれるまで、ここで待ってて」

「ありがとう、リコ」

 ハルは、ようやく顔を上げる。

「次ね!」

 明るくそう言うハルに、莉子は「はい」と答えてそれを待つ。

 さっきと同じ仕草の後に、莉子の頭にまた違う映像が流れる。

 夢というよりも、その見せられるものは全てハルの記憶の一辺のようだ。

 家族で出かけた場所や近所の公園、祖父母らしき男女の姿や幼稚園の先生やお友だちの姿が見受けられる。

 取り留めもない思い出の数々が去来する。

 温かな何かを求めて、秘めて。

 しばらくそんなことを続けてハルが、ふっとつぶやく。

「これも…見せて良いのかな…」

 目を閉じて掌に集中しているハルから聞こえた言葉に、莉子は少し怪訝な表情をする。それでも、やってきた映像を受け入れる。というか、ほとんど自動再生されるので拒否することは無理に思える。



 夜だ。

 ぼんぼりが吊るされた道に、人の往来がある。

 お祭りか何か…と考えた所で、咲き誇る桜の木が沿道に立ち並んでいるのが目に入った。

「…すごい」

 お花見なんて、会社の飲み会で強制的に参加させられる昨今、桜を見入るような気持ちの余裕は莉子にはなくて。久々に無心で見たそれは、心に響いた。

 満開の桜が幾重(いくえ)にも連なっているだけで、美しい。

 夜の闇に桜の花が白く浮かび上がり、ぼんぼりに彩られた往来の人々の表情も明るく見える。

 泥酔しているような一団もある。莉子同様、会社の行事として参加している人々もたくさんいる。子どもと一緒に来ている人や、初々しいカップルも熟年夫婦も、犬の散歩のついでに歩いている人や、ジョギングコースで走り抜ける人もいる。

 ざっと強い風が通り抜けて、莉子はその風の先を見た。

 莉子が見たというか、ハルの目線なのだろう。

 その先に、友晴が手を振って遠ざかって行くのが目に入る。

 ハルも手を振っているのが、視界に入る手の動きで分かる。

 (うなが)されるように歩みを進める。

 右隣りにワンピースを着た女、ハルの母親の姿がある。

 しばらく進むと、ぼんぼりが切れて桜の道が終わってしまった。

 すると、夜の暗さが際立った。

 駅へと向かう人々の流れは速い。

 ハルの母親の歩くペースはとてもゆっくりだ。

 信号のない抜け道にある横断歩道を渡る人々も早足で、人通りが途切れたところで、ようやく二人もその上を歩く。

 ハルは、足元の白と黒をどっちの足で踏むか考えながら歩いている様子だ。

 そんなハルを母親はのんびりと見下ろして、横断歩道をゆっくりと二人で進んでいるのが分かった。

 突然、キキキーっと金属のこすれる音と、路面とゴムの焼ける匂いがした。

 振り向いた先にシルバーの塊。

 勢いを弱めることなく滑り込んでくる。

 とっさに母親がハルを覆う様に視界を塞ぐ。

 もう、遅かったのだと分かる。

 最後にハルが見たのは、車のナンバープレートと思しき場面。



 ふいに頭を抱えた莉子を、ハルは、はっとして見上げた。


「ごめんね。怖かった?やっぱり、止めた方が良かったかな…」

 何故か反省してそういうハルと、ようやく目を合わせて莉子は言う。

「ねぇ、ハル。今の最後の部分だけもう一度見せてってお願いすると、できるの?」

「できるけど…」

 本当に良いの?と含んで、ハルは莉子を見上げた。

「じゃあ、お願い」

 正直、怖い。

 車が突っ込んでくるのがリアルに感じて、本当に怖かった。

 莉子はジェットコースターに乗れない人間だ。

 だけど、今のは…

 莉子が意を決して望んでそれを見た。今度は、正確に自分で記憶するのを目的に。


『ち 31―XX』


 確かに見えた。


「ありがとう、ハル」

「…リコ、大丈夫?」

 緊張のためか莉子は真剣な表情で固まっていた。ハルはその表情を見て、莉子を労うようにそう声をかける。

「大丈夫。さ、今日も仕事仕事」

 体は重いし、食欲も相変わらずない。

 早朝から現れるハルのおかげで、朝の時間に余裕ができて、朝ご飯はきちんと食べて出かけることができる。こうやって、朝、ハルと話す時間も取れる。

 悪いことばかりじゃない。

 ナンバープレートだって。


 

 友晴との待ち合わせの日、莉子は以前使ったことのある駅で途中下車した。


 その駅の近くに古い公衆電話があるはずだ。

 まだあると良いな…

 希望的観測で近づいたそこに、まだそれはあった。

 周囲に監視カメラや交差点がないことを改めて確認して、硬貨を数枚それに入れる。

 緊張して仕方がない。

 何て言ったら良いのか…信用されないのもしょうがないけど…知ってしまったのだから…。

 用心に用心を重ねて、手には手袋をしている。冬だから不自然はない。季節は莉子に味方している。

 匿名で通報できるという番号も調べた。

 できることだけやってみれば良い、再度、自分にそう言い聞かせて、莉子はダイヤルに手を伸ばした。

 

 その数週間後、二年ほど前の春に起きたひき逃げの犯人が捕まったというニュースが、地方ニュースの一つとして流れた。


 それからしばらく友晴からの連絡が途絶えた。

 次に会った友晴は、莉子の願望のせいか、ひと段落ついたようにも見えて。


「引っ越そうと思う」


 友晴は、晴れ晴れとそう莉子に告げた。





通報に関するところは、想像です。ナンバープレートだけで…どうでしょう…。


最後の方にある「その数日後、二年ほど前の春に」と 「その数週間後…」と変更してます。後々おかしくなってきましたので…。

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